中村屋
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種類 | 株式会社 |
市場情報 | |
略称 | 新宿中村屋 |
本社所在地 | 〒151-8541 東京都渋谷区笹塚一丁目50番9号 |
電話番号 | 03-5454-7111 |
設立 | 創業1901年12月、創立1923年4月1日 |
業種 | 食品 |
事業内容 | 和洋菓子類の製造・販売 |
代表者 | 長沼誠(代表取締役社長) |
資本金 | 74億6940万円(2006年3月期) |
売上高 | 単体418億800万円、連結433億2500万円(2006年3月期) |
総資産 | 単体435億8200万円、連結442億5400万円(2006年3月末) |
従業員数 | 単体984人、連結1063人 |
決算期 | 3月 |
主要株主 | 取引先持株会7%、みずほ銀行4.9%、立花証券2.6%(2006年3月現在) |
外部リンク | http://www.nakamuraya.co.jp/index.html |
株式会社中村屋(なかむらや)は、菓子製造、製パン、食品メーカー。
目次 |
[編集] 概要
一般には老舗の「新宿中村屋」で知られる。和菓子・洋菓子の他、菓子パン、中華まん、レトルト・缶詰のカレー等を製造販売している他、いわゆるデパ地下やショッピングセンター等に菓子の名店として出店(直営店160店)、レストラン(直営店20店)を営業している。
関東エリアのセブン-イレブンで売られている中華まんのほとんどが中村屋の中華まんであるなど、コンビニエンスストア向け業務用食品にも有力商品を持つ。
その他事業として、旧・笹塚工場跡地に地上18階建ての「笹塚NAビル」を所有し、賃貸事業・スポーツクラブ事業をおこなっている。(笹塚NAビルはかつてマイクロソフト日本法人の本社が入居していた。)
売上比率は菓子事業64%、食品事業20%、レストラン事業13%、賃貸事業1%となっている。(2006年現在)
[編集] レストラン・ベーカリー
- 新宿中村屋インドカリーの店(9店)(2006年10月末現在)
- オリーブハウス(南欧風レストラン・16店)(2006年10月末現在)
[編集] 沿革
- 明治34年12月 現在の文京区本郷の東京大学正門前に相馬愛蔵・良夫妻が中村屋を創業。
- 明治42年9月 新宿(現在の本店)に移転し各種菓子や缶詰等の製造販売も始める。
- 大正12年4月 株式会社に改組。
- 昭和23年8月 多摩川食品株式会社を吸収合併。
- 昭和23年12月 専属の和菓子工場、黒光製菓株式会社を設立。
- 昭和26年9月 渋谷区笹塚一丁目に笹塚工場を新設。
- 昭和32年3月 東京証券取引所上場。
- 昭和34年10月 エース食品株式会社に資本参加し、社名を株式会社中村屋食品と改称。
- 昭和43年11月 神奈川県海老名市に神奈川工場を新設。
- 昭和48年9月 黒光製菓を子会社化。
- 昭和52年10月 株式会社ハピーモアを子会社化。
- 平成元年9月 埼玉県南埼玉郡菖蒲町に埼玉工場を新設。
- 平成3年12月 株式会社エヌエーシーを子会社化。(現エヌエーシーシステム)
- 平成5年2月 エヌエーシーが笹塚NAビル竣工。
- 平成9年4月 エース食品とハピーモアが合併。
- 平成10年10月 茨城県牛久市につくば工場を新設。
[編集] 創業者・相馬愛蔵
創業者相馬愛蔵は1901年の創業以来、独創的なパン・食品を作り続けた。1904年にはシュークリームをヒントに現在もポピュラーな菓子パンであるクリームパンを考案した。1927年には中国に行った時知った包子を、中国人向けの味付けから日本人向けに改良し、「中華饅頭」として売り出した。これが現在の中華まんの始まりと言われている。1918年に娘がインドの独立運動家のラス・ビハリ・ボースと結婚をしたことから、本格的なカリーの調理を学び、1927年(昭和2年)に日本で初めて純インド式カリーを販売している。
フランスパンを日本で最初に発売した京都の進々堂創業者の続木斎、そしてヤマザキパン創業者の飯島籐十郎もこの相馬愛蔵のもとで奉公していた。
新宿の中村屋本店には愛蔵・良の人柄に惹かれた文化人が盛んに来店していた。
[編集] 主な事業所
[編集] 関係会社
- 黒光製菓(菓子事業)東京都新宿区、100%子会社
- ハピーモア(食品事業)東京都新宿区、100%子会社
- エヌエーシーシステム(NAスポーツクラブA1経営他)東京都渋谷区、100%子会社
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 関口保 『ピロシキとチョコレート―新宿中村屋・菓子職人物語』 鱒書房、1994年、257頁。