使徒行伝
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新約聖書 |
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使徒行伝(しとぎょうでん:ギリシア語 Πράξεις των Αποστόλων、英語 Acts of the Apostles)は新約聖書中の一書。新約聖書の中で、伝統的に四つの福音書のあとにおかれる。かつて日本のカトリック教会では『使徒行録』とも呼ばれていたが、現代では新共同訳聖書の表記にあわせ、プロテスタントと共通の『使徒言行録』という呼び名が用いられている。新改訳聖書では『使徒の働き』と訳され、日本ハリストス正教会では『聖使徒行実』という訳語をあてている。
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[編集] 概説
使徒行伝の内容は、一口で言えばキリスト教の最初期の様子である。特に二人の使徒ペトロとパウロの活躍が中心に描かれている。さらにエルサレム教会と初期のユダヤ人のみのキリスト教コミュニティーがコルネリウスの洗礼をへて異邦人(非ユダヤ人)の間へと広がっていた様子が記録されている。
本文によれば、使徒行伝は『ルカによる福音書』の続編として(伝承によればルカの手で)書かれたものであるという。どちらも「テオフィロ」(ギリシア語で「神を愛する者」という意味)なる人物に献呈されている。もともとは一冊の書物だったという説もあるが、現代の研究者たちがさかのぼれる最古の資料の時点では、すでにルカ福音書と使徒行伝は別々の本になっていた。使徒行伝はこの時代に書かれた作品としては他に類をみない非常にユニークなものであり、初期キリスト教の研究は本書なしには成り立たない。また、パウロの書簡集も使徒行伝の存在によって価値あるものになっており、使徒行伝なしにパウロの手紙を読んでも理解できない部分が多いことを忘れてはならない。
また、初期キリスト教の発展を記す貴重な文献ではあるが、その限界も明らかである。本書はエルサレムに誕生した原始キリスト教会の地中海を反時計回りに主にパウロによって広げられる過程を描いているが、パウロ書簡に注意するとキリスト教の発展は多くの人々により、多方面から行われたことが明確である。1例をあげるならば、本書の関心はローマ帝国全土に展開する様子を描くことにあるが、ローマ書を読めばパウロ以前に帝国の首都であるローマに教会が誕生しており、パウロの関心はローマに住むキリスト教徒に自らの信じる「福音」を伝えることにある。実際にエジプトのアレクサンドリアにはかなり早い段階で有力な教会が建設されており、エルサレムからアフリカへの布教活動が相当に活発であったことは確実であるし、エチオピア方面への南下する展開も確実である。また、使徒マタイにインド伝道の伝承があるが、東方への展開も考えるべきであろう。が、これらを記録した文献は残念ながら現存しない。今後の新資料の大発見の可能性もゼロではないが、大きな期待は出来ない。が、現存資料からキリスト教の多方面にわたる発展を描く試みは初期キリスト教研究の大きな課題である。
[編集] 構成
使徒行伝の構成とルカ書の構成には共通点が見られる。たとえばルカ福音書はローマ帝国(の人口調査)に関する記述から始まる。物語はイエスが故郷ガリラヤを出て、サマリアからユダヤへゆき、エルサレムで十字架にかけられるところへと展開していくが、そこで復活し、昇天して栄光を受けると結ばれる。
使徒行伝はこれと呼応するかのように、エルサレムから使徒の活動が始まり、ユダヤからサマリアへと広がり、やがてアジア地方をへてローマ帝国の中枢にいたるという構成になっている。このような文章の組み立てをキアスムス構造(X字構造、交差法)という。キアスムスでは構成の中心に位置する部分が重要なのでこの場合は、中心にある「エルサレム」および「イエスの復活と昇天」が著者にとってもっとも重要なものであることを示している。
このような使徒行伝の地理的展開は冒頭におけるイエスのことばであらかじめ示されている。つまり 「あなたがたはエルサレムだけでなく、全ユダヤとサマリア、さらに全世界にいたるまで私の証人となる」という記述である。これがエルサレム(1章~5章)、ユダヤとサマリア(6章~9章)、全世界(10章~28章)という使徒行伝における物語の舞台の展開に対応している。
また使徒行伝はペトロとパウロという二人の使徒の活躍が中心であるが、それによって全体を二つに分けることができる。つまりペトロの活躍(1章~12章)の部分とパウロの活躍(13章~28章)の部分である。
[編集] 成立年代
使徒行伝は2世紀の頭にはすでに存在していたことが他の資料から確認できる。すくなくともマルキオンの活躍した時代(120年~140年)に存在していたことは間違いがない。またポリュカルポスやアンティオキアのイグナティウスの書簡からも使徒行伝の存在が伺われることや、使徒行伝13章22節の記述と『コリントの信徒への手紙一』18章1の引用する詩篇89:20が(本来の詩篇にはない)同じ文章であることが偶然ではないと考えられることなどから、使徒行伝は96年にはローマで、115年までにはアンティオキアとスミルナで広く読まれていたことが明らかである。
成立時期が70年より前ということは考えにくい。ルカ福音の序文はイエスを直接知る世代がいなくなったという事実をほのめかしているからだ。研究者たちの間でもっとも可能性が高いといわれているのが80年ごろである。75年から80年の間に成立したという説の支持者もいるが、70年から75年という説はほとんど支持されない。使徒行伝にはフラウィウス・ヨセフスの著作との共通点があることから著者はヨセフスを参照していると指摘するものもいるが、それが正しいとすると100年以降の成立になってしまうため、説得力は弱い。使徒行伝が他の記録で言及される最古の例は177年を待たなければいけないが、これは成立時期を示すものでなく、ただ使徒行伝という名前がついていなかっただけなどいくつかの説明ができる。
[編集] 成立場所
使徒行伝がどこで書かれたのかというのはいまだに答えが出ていない問題である。伝承ではローマあるいはアンティオキアで書かれたとされていたが、本文からはローマ帝国のアジア属州のいずれか、おそらくエフェソス近辺という可能性がうかがえる。
[編集] 内容
- エルサレムにおける宣教(2:14-8:3)
- ユダヤとサマリアにおける宣教(8:4-9:43)
- 異邦人宣教の開始(10:1-15:35)
- パウロの世界宣教(15:36-28:31)
- パウロの第二回宣教旅行(15:36-18:23)
- パウロの第三回宣教旅行(18:24-21:14)
- パウロの逮捕とローマへの連行(21:15-28:11)
- ローマでのパウロ(28:12-28:31)