全マレーシア・イスラーム党
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全マレーシア・イスラーム党(英語表記the Islamic Party of Malaysia: マレー語表記Parti Islam SeMalaysia、略称PAS。この項目では、以下PASと略す)は、マレーシアにおけるイスラーム政党である。PASは自らをクルアーンやスンナといったイスラーム法源に基づく「マレーシア・イスラーム国家」を設立することに置く。
PASは、クランタン州やトレンガヌ州といった北部の保守的な地域から大きな支持を得ている。また、マレーシア憲政史の上では、初めて登場した野党勢力でもある。1999年、アンワル・イブラヒム元副首相の逮捕を契機とした国民のUMNOへの抗議が高まり、PASは、民主行動党(DAP)とワン・アジサ(アンワル夫人)が組織した国民正義党と代替戦線(Alternative Front,AFを組織した。1999年総選挙では、PASはクランタン州では政権を握った。また、国政選挙では大躍進を遂げ、前回の8議席から27議席を獲得した。
しかし、2004年総選挙では、PASの党勢は減退傾向であった。国政選挙では、7議席を獲得するに留まった。
[編集] 沿革
結成されたのは、1951年である。もともと、マレー人の政治の受け皿として、UMNOが存在したわけだが、UMNOの非マレー人に対する妥協政策とイスラームに対しての煮え切らない態度に対して、ウラマーたちが不満を抱いたからである。独立以前の1955年総選挙から、今日まで、政党として選挙戦を戦い抜いて来た歴史を持つ。また、国政選挙よりも、ムスリムが多く居住しているクランタン州、トレンガヌ州、クダ州などの州選挙において多くの議席を獲得してきた。
イスラームへの回帰と遵守を党是におくため、マレーシアに居住する非マレー人である華人・インド人に対しては大いに不安を抱くのは独立以降も変わらない。1959年総選挙、1964年総選挙の際には、「PASが大勝したならば、非ムスリムは中国に送還されるか、南シナ海に捨てられるであろう」と公式の場で述べたこともあるし、1974年には、マレー人だけが首相や閣僚に就任できるように憲法改正を提案したこともある。
また、1999年総選挙では、民族の壁を越えて、DAP、国民正義党と代替戦線を結成した。しかし、PASの急進的なイスラームへの回帰に対して、DAPの支持者の票をPASが取り込むことは困難であった。加えて、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロを契機に、よりいっそうのイスラームへの回帰を鮮明にした。その結果、2003年にトレンガヌ州議会でがイスラーム法の導入を議決した。このことは、DAPが代替戦線から離脱する要因となった。
[編集] 主張
カイロのアズハル大学、マッカ、メディーナといった中東の大学を卒業した伝統的なウラマーが党の指導者層を占める。そのため、イスラームに対しては保守的であり、歌劇で偏狭な宗教的政党であるとレッテルを貼られてきたし、徹底した西洋批判、イスラーム法の普遍的原則から女性やムスリムに関する具体的事例まで、イスラームの解釈を遵守している。その点では明らかに伝統主義的であり、実際、PASは、ムスリムに反対するものならば、誰にでも不信心者のレッテルを貼った。
政府の議会制を容認している一方、イデオロギー的には、全ての法律がイスラームにのっとったものであること、ウラマー委員会の創設、教育課程のイスラーム化と「近代的」科目がイスラームの原理に沿ったものであっても、それらの宗教色を強化することを求める。また、経済面では、イスラームの原理に反するリバー(利子)の禁止を主張する。
[編集] 参考文献
Esposito, J.L./Voll,J.O., 宮原辰夫・大和隆介(共訳)『イスラームと民主主義』(成文堂、2000)
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