全日空横浜クラブ
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全日空横浜クラブ(ぜんにっくうよこはまくらぶ)は1964年創設の横浜中区スポーツ少年団(後に横浜サッカークラブ)に、全日本空輸が1979年以来援助を行っていたサッカークラブ。
当初は当時の全日空の主力機であったロッキードL-1011 トライスターをもじって横浜トライスターサッカークラブと名乗っていたが、1984年以降は全日空完全出資子会社「全日空スポーツ株式会社」を設立し、全日空横浜クラブに改称。1988年に日本サッカーリーグ1部に昇格すると、全日空サッカークラブに改称した。呼称は全日空。
2006年シーズンまで横浜F・マリノスが練習グランドとして使用していた戸塚グラウンドは元々中区スポーツ少年団時代から全日空が使用していたグラウンドであり、2007年からJ1に昇格した横浜FCが使用を開始したのに伴い、言わば「里帰り」を果たすことになった。
1993年にスタートしたJリーグでは横浜フリューゲルスの前身となった。
[編集] 略歴と主なタイトル
- 1964年 横浜市中区スポーツ少年団として設立
- 1983年 JSL2部昇格
- 1984年 JSL1部昇格
- 1985年 JSL2部に降格
- 1988年 JSL1部昇格
[編集] ボイコット事件
1986年3月22日、第21回日本サッカーリーグ第22節の対三菱戦(国立西が丘サッカー場)に於いて、かねてから全日空によるクラブ運営に不満を抱いていた全日空ク所属の登録選手6名が試合をボイコットした。
この試合は控えゴールキーパーを含む残りの10選手で行われ、1対6で三菱に敗れた。ルール上、1チーム7名以上の選手がプレーしていれば試合は成立するが、このリーグ史上初の不祥事に日本サッカー協会は、試合をボイコットした6選手に対して無期限登録停止、全日空クラブに対し翌シーズンのJSLカップを含む3か月間の公式戦出場停止の処分をくだした。
なお、この時に無期限登録停止になった選手のうち2人が横浜サッカー&カルチャークラブ(現・横浜スポーツ&カルチャークラブ)を設立した。
[編集] 全日空出身の主な選手
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