全日空スポーツ
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全日空スポーツ株式会社(ぜんにっくうスポーツかぶしきがいしゃ)は、かつて存在した、全日本空輸株式会社(全日空)の子会社で、日本のサッカークラブチーム「全日空横浜クラブ」→「横浜フリューゲルス」の運営母体である。
[編集] 略歴
[編集] クラブチーム時代
1979年、横浜市中区スポーツ少年団を母体に運営していた横浜クラブ(横浜トライスタークラブ)に全日空がスポンサーとして援助していたが、1984年の日本サッカーリーグ2部リーグで2位となり、1部昇格を果たした際、更なるチームの強化を図るための資金援助強化の一環として、全日空が全額出資してこの会社が設立された。
当時、日本のサッカークラブは企業の福利厚生を目的とした実業団チームが多く、読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ1969)等のクラブチームは任意団体(権利能力なき社団)として運営されていたため、サッカークラブの運営会社設立は、当時のサッカー界で画期的なことだった。これによりチーム名も「全日空横浜クラブ」となり、全日空からの出向社員選手も加わるなどチーム力の強化を図った。
[編集] Jリーグ参入後
1991年に日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)参入が決まり、資金力強化を目的として1992年に建設会社・佐藤工業が出資し「全日空佐藤工業サッカークラブ・横浜(A・S)フリューゲルス」として参戦した。
しかし、Jリーグブームも1995年を境に一旦沈静化し、観客動員などの経営面での悪化や、Jリーグ発足当初は横浜市に加えて特別活動地域としての長崎県・熊本県・鹿児島県とのダブルホームタウンだったため、横浜市での固定ファン確保が困難だったこと、また長期不況による企業のスポーツ支援の見直し(特にゼネコンは会社そのものの経営体質の見直しが迫られていた)等から、このまま親会社からの赤字補填を続けると本体の経営にも影響するとして、佐藤工業が1998年限りでの資本撤退を発表。
全日空本体も単独でクラブを運営することは困難として同じ横浜市にホームタウンを置くマリノスへの吸収合併を発表。これにより1999年2月1日付けを持ってマリノスの運営会社「横浜マリノス株式会社」に統合され消滅した。