横浜フリューゲルス
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横浜フリューゲルス | |
原語表記 | 横浜フリューゲルス |
---|---|
愛称 | フリエ |
クラブカラー | 白と青 |
創設年 | 1964年 |
所属リーグ | Jリーグ |
ホームタウン | 横浜市 |
ホームスタジアム | 三ツ沢公園球技場 |
収容人数 | 15,046 |
代表者 | |
監督 | ゲルト・エンゲルス |
横浜フリューゲルス(よこはま―、Yokohama Flugels)は、かつて日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟していたプロサッカークラブ。
目次 |
[編集] 歴史・概要
前身は横浜市にあった中区スポーツ少年団(のちに横浜サッカークラブと改称)で、のちに全日空が援助を行い、横浜トライスターサッカークラブ→全日空横浜サッカークラブ(全日空スポーツ)となった。(ちなみにトライスターとは当時の全日空の主力機ロッキードL-1011の愛称であり、ユニフォームにも同様のロゴが使用されていた。チームの運営会社「全日空スポーツ株式会社」は1984年に設立。)
1991年にJリーグに加盟。Jリーグ開幕時の加盟チームのひとつ。 ホームタウンは神奈川県横浜市、ホームスタジアムは三ツ沢公園球技場(後に横浜国際総合競技場も追加)であり,横浜マリノスと同一のため両チームの対戦は横浜ダービーマッチと呼ばれた。 練習会場は当初神奈川区にある全日空菅田総合グラウンドを使用していたが、1994年に戸塚区のかつて保土ヶ谷大洋球場として大洋ホエールズの練習場に使用されていた場所に建設されたフリューゲルス・東戸塚トレーニングセンター(これは合併後、横浜F・マリノスの練習場として使用されていたが、横浜F・マリノスのみなとみらいへの移転により、横浜FCが使用)が使用されるようになった。
「フリューゲル(Flügel)」はドイツ語で「翼」という意味だが、サッカー用語としては英語と同様にウイング(翼)と呼ばれるポジションも意味する。また、チーム名の「Flügels」は二格形(英語の所有格に相当)であり、複数形ではない(複数形はFlügelで単複同形である)。スタート当初は全日空(ANA)のAと、Jリーグ参戦にあたり共同出資したゼネコン・佐藤工業のSを取って「(横浜)AS(エイ・エス)フリューゲルス」と名乗っていた時期もあった。ちなみに読売新聞とフジテレビ「プロ野球ニュース」(当時全日空が全国ネットスポンサーだった関係もあるとされている)では1992年と1993年はチーム名表記を「AS(フリューゲルス)」、スポーツ報知も「AS横浜フリューゲルス」と紹介していたが、1994年から「横浜F(横浜フリューゲルス)」に統一している。
1992-1995年までは九州地方にJクラブがなかったこともあり、長崎県、熊本県、鹿児島県を「特別活動地域」というカテゴリーとして活動していたが、アビスパ福岡のJ昇格に伴い1996年以降は本拠地を横浜市一本に絞った(次項参照)。
1998年,出資会社の一つである佐藤工業が本業の経営不振のためチーム運営からの撤退を表明。 もう一つの出資会社の全日空も航空業界の競争激化により単独でチームを支える余力がなく、横浜マリノスの親会社日産自動車との協議の結果、横浜マリノスに吸収合併されることになり、チームは事実上消滅することになった。 事前に何の説明もなく決定されたことに多くのサポーターの反感を買い、合併反対署名運動等が全国で起こり50万を超える署名が集まったが、合併は覆らなかった。
同年開催の天皇杯、負ければその時点でチーム消滅という状況の中、準々決勝でジュビロ磐田、準決勝で鹿島アントラーズと当時のJリーグで突出した強さを持っていた2チームを破り決勝まで勝ち進んだ。 1999年1月1日の決勝では、清水エスパルスを逆転で破って優勝(2-1、得点者:久保山由清、吉田孝行)。 合併発表後、リーグ戦・カップ戦を通じて1度も負けることがなかった。
なお天皇杯決勝で掲げられた横断幕には、作家の銀色夏生の詩から引用された次のような言葉がつづられていた。
- この想いは決して終わりじゃない
- なぜなら終わらせないと僕らが決めたから
- いろんなところへ行っていろんな夢を見ておいで
- そして最後に... 君のそばで会おう
(但し、この横断幕を作った人間の自己顕示が強かった事から、選手&関係者には大不評であった)
同年、フリューゲルス存続を願うサポーターの熱意により、横浜FCが設立された。
現在「フリューゲルス」の名称を含む諸権利は横浜F・マリノスの運営会社が保有している。 また2004年2月、フリューゲルス関連グッズが東京都文京区にある日本サッカー協会本部(JFAハウス)の「日本サッカーミュージアム」に寄贈された。 なお、合併先・横浜F・マリノスと、その後フリューゲルス応援団有志で結成された横浜FCのチーム史において、フリューゲルスは傍系扱いとなるため、現在のそれぞれのチーム史における創設年度、優勝回数、個人賞などは加算されない。
[編集] オフィシャルテーマソング
THE ALFEE 「Victory」(1993年4月28日リリース) 作詞:高見沢俊彦 作曲:高見沢俊彦 編曲:THE ALFEE
[編集] 特別活動地域のスタジアムを選定するに当たって
- 前述したように、フリューゲルスはJリーグ発足当初は九州地方をホームタウンとするJクラブがなかったこと、また全日本空輸がクラブのメインスポンサーとなっていることから、横浜市と沖縄県を含む九州各県のダブルホームタウンを実施する予定にし、ホームゲームの半数程度を九州で行う方針にしていた。これは「全日空が乗り入れている空港のある地域全てを本拠地にする」計画を持っていたことも絡んでいる。
- ところが、そうしてしまうと各県につき1試合ずつしか割り当てられず、興業的にも不利であることから一部フリューゲルスの主催ゲーム開催を拒絶した県もあったため、結局九州での準本拠地は長崎県、熊本県、鹿児島県の3県に絞った。
- またJリーグではホームタウンを原則1チームにつき1市区町村となっている(現在は同一都道府県内の複数市区町村にまたぐ広域ホームタウンが認められている)とした関係もあり、正式なホームタウンは横浜市としながら、これら3県は「特別活動地域」というカテゴリーを設けてホームタウンとほぼ同じ権限を持ち、フリューゲルスの主催ゲーム(天皇杯は除く)を優先的に開催することができた。
- 特別活動地域のスタジアム 長崎県立総合運動公園陸上競技場、熊本市水前寺競技場、鹿児島県立鴨池運動公園陸上競技場
- 特別活動地域で行われた試合数
全体 | 長崎 | 水前寺 | 鴨池 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|
1992年 | 2試合 | 1試合 | 1試合 | 0試合 | ナビスコJリーグ杯のみ |
1993年 | 8試合 | 3試合 | 3試合 | 2試合 | 鴨池はナイター照明がなくデーゲームのみ開催 |
1994年 | 11試合 | 4試合 | 1試合 | 6試合 | 鴨池はナビスコJリーグ杯2試合含む 水前寺は第1ステージ改修中のため使用せず |
1995年 | 8試合 | 2試合 | 2試合 | 4試合 |
- その関係もあり、1ヶ月以上も三ツ沢(球)でのゲームが組まれず、事実上の長期ロードに出たことも珍しくなかった。特に1993年の第2ステージ(NICOSシリーズ)後半戦=11-12月の試合に至っては三ツ沢(球)のフリューゲルス主催試合は1試合しか行われなかった。また前半戦=7-9月始めにも熊本と国立で1試合ずつ試合をしており、このステージのホームゲーム9試合で三ツ沢(球)で試合をしたのはわずか3分の1に当たる3試合だけだった。
- この期間中に開かれた試合と対戦相手
- 11月6日 ジェフ市原(国立・アウェー扱い)
- 11月10日 名古屋グランパスエイト(長崎)
- 11月13日 清水エスパルス(静岡・草薙)
- 11月17日 鹿島アントラーズ(熊本・水前寺)
- 11月20日 浦和レッズ(鹿児島・鴨池)
- 11月27日 ヴェルディ川崎(川崎・等々力)
- 12月1日 ガンバ大阪(長崎)
- 12月8日 横浜マリノス(三ツ沢球 アウェー扱い)
- 12月15日 サンフレッチェ広島(三ツ沢球=ホームとしては中断前9月3日のマリノス戦以来3ヶ月半ぶりの開催)
- また1994年も三ツ沢(球)の芝生の張替え工事を行った関係で第1ステージ(サントリーシリーズ)の後半・5月14日以後の主催試合も鹿児島・鴨池、長崎、国立、富山と転戦し(熊本・水前寺は当時改修工事中だったため第1ステージは行わず)、ワールドカップを挟んで8月20日に行った名古屋グランパスエイトとの対戦でようやく3ヶ月ぶり(改修前最後の試合は5月7日のガンバ大阪戦)に三ツ沢(球)に帰ってきたという事例もある。
- このように半ばダブルホームタウンのような形となってしまった上に当時は水曜日・土曜日開催が基本となっていたためフリューゲルスの移動距離は必然的に長くなり、「九州に行くのは嫌だ」と公言する選手も出た。このため九州での試合ではフリューゲルスのモチベーションやパフォーマンスは低くなってしまい、その結果フリューゲルスの九州でのホームゲームの結果はリーグ戦・カップ戦合計で5勝22敗、しかも1994年7月23日のヤマザキナビスコカップ1回戦(対セレッソ大阪、鹿児島)に1-0で勝利したのを最後に14連敗という悲惨な成績で終わってしまった。またスタジアム別では鹿児島で3勝7敗、長崎で2勝8敗と何とかサポーターに勝利を見せることができたが、熊本では7戦全敗と完全な「鬼門」と化していた。
- 1996年にアビスパ福岡がJリーグに昇格したのに伴ってフリューゲルスの特別活動地域のカテゴリーは消滅し、各チームが平等に主催できるようになったが、鹿児島県についてはその後もフリューゲルスの主催ゲームを年1~2試合程度開催している。ダブルホームタウンの解消の理由としては他に、メインである横浜市での固定ファンを確保できなかったことも原因とされ、地元ファンの増大を狙う意味も込められていた。
- またこれは公式なホームタウンではないが、佐藤工業の創業の地が富山県にあるため、1994年から数年間は富山県総合運動公園陸上競技場でも毎年1試合程度主催試合を催した。その他神戸市に本拠地を誘致しようと交渉したことがあったが条件面で折り合いが付かず見送られたこともある。
- Jリーグ発足時、同じ横浜にホームを置くマリノスと同じ日に主催試合をこなすことも珍しくなかったが、Jリーグでは同一会場での複数試合開催をピッチコンディションや観客入れ替えなどの点から認めていないため、マリノスを三ツ沢(球)で、フリューゲルスは上述の九州3県か国立などの他会場を使うケースもあった。
[編集] 獲得タイトル
[編集] 国内タイトル
[編集] 国際タイトル
- アジアカップウィナーズカップ:1回 - 1995年
- アジアスーパーカップ:1回 - 1995年
- ※アジアカップウィナーズカップは1999年度の大会にも本来なら天皇杯優勝により出場権が与えらるところだが、チーム解散、また合併先のマリノスに対する振り替え参加も認められなかったため、代わって準優勝の清水エスパルスが参加した
[編集] 歴代ユニホームスポンサー
- 胸 ANA SATO(1992~1998 チーム名「全日空佐藤工業サッカークラブ」の出資者をひとまとめにしたロゴ)
- 袖 出光興産(1993~1994)→サンミッシェル南青山(1995~1996ごろ)→全日本空輸(1997ごろ~1998)
- 背番号 BANDAI(1993~1998)
[編集] ユニホームサプライの遍歴
[編集] ユニフォームに関しての特記項目
- フリューゲルスのチームカラーは白と青だが、第1ユニフォーム(主にホーム用)は白をベースに製作、第2ユニフォーム(主にアウェー用)は青ベースをベースに製作された。
- 他チームは第1ユニはそれぞれのチームカラーを使用し、第2ユニで白をベースのユニフォームが使用されたため、特に白、またはそれに類似した銀色などのユニホームがこの当時なかったこともあり、第2ユニは1995年まで殆ど使用しておらず、「ユニフォーム使用パターン表」でも同様の理由によりホーム用しか描かれていなかった。このため、ミズノ製の初代デザインの第2ユニは市販用のレプリカしか存在しなかった。なお、海外のクラブとの試合ではプーマ製の第2ユニが実際に使用された。
- またこれによる手違いもあった。1995年4月1日のサンフレッチェ広島戦(熊本・水前寺)で、対戦相手の広島は第1ユニ(紫)を用意すべきであったが、アウェーチームということがあってか間違えて第2ユニ(白)を持参。そのためサポーターから紫色のレプリカユニフォームを借り、選手によっては背番号をガムテープで貼りあわせて急ごしらえした。これに対し日本サッカー協会は、広島に制裁金を課した。一方で選手にユニフォームを貸したサポーターには、後日チームからオフィシャルのユニフォームを贈られた。
- しかし、1996年にアビスパ福岡、1997年にヴィッセル神戸が昇格し、それぞれ銀色、白・黒のストライプが第1ユニで使用されることとなったため、それ以後は第2ユニの登場機会が増えた。
- またジュビロ磐田など第1ユニが青ベースのチームとのホームゲームでも、フリューゲルスが第2ユニ(青)を着用したことがあった。この場合、アウェーチームも第2ユニ(白)を着ることになり、両チームとも第2ユニという珍しい光景が見られた(柏レイソルホームのジェフユナイテッド市原戦でも、柏が黒、市原が白と第2ユニ同士での対戦が実現している)。
[編集] 年度別成績
年 | ステージ | 順位 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 得点 | 失点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1993 | 1st | 7 | 18 | 8 | 10 | 24 | 21 | |
2nd | 7 | 18 | 8 | 10 | 20 | 30 | ||
1994 | 1st | 5 | 22 | 13 | 9 | 36 | 27 | |
2nd | 8 | 22 | 9 | 13 | 31 | 33 | ||
1995 | 1st | 13 | 26 | 9 | 17 | 42 | 54 | |
2nd | 11 | 26 | 11 | 15 | 36 | 57 | ||
1996 | 3 | 30 | 21 | 9 | 58 | 44 | ||
1997 | 1st | 2 | 16 | 12 | 4 | 35 | 16 | |
2nd | 11 | 16 | 7 | 9 | 23 | 27 | ||
1998 | 1st | 8 | 17 | 10 | 7 | 33 | 32 | |
2nd | 7 | 17 | 8 | 8 | 37 | 32 | ||
通算 | 228 | 117 | 111 | 375 | 373 |
[編集] 主な記録
- 1試合最多入場者
- 1試合最少入場者
- 1試合最多得点
- 1試合最多失点
- ハットトリック
- ベストイレブン
[編集] 主な所属選手
第78回天皇杯決勝 vs清水エスパルス戦(1999年1月1日、国立霞ヶ丘競技場)の布陣。数字は背番号、(C)はキャプテン。 後半途中からFW吉田に替えてFWアンデルソン(背番号29)が出場。DFのレギュラーメンバー・薩川了洋(背番号3)は累積警告のため出場停止。 |
[編集] FW
- 前田治 1988 - 1996
- 上村崇士 1992 - 1994
- 桂秀樹 1992 - 1996
- 前園真聖 1992 - 1996
- 久保山由清 1995 - 1999.1
- 光岡眞矢 1995 - 1997
- 吉田孝行 1995 - 1999.1
- 服部浩紀 1994 - 1998
- 大島秀夫 1998 - 1999.1
[編集] MF
- 反町康治 1988 - 1993
- 山口素弘 1990 - 1999.1
- 原田武男 1994 - 1999.1
- 波戸康広 1995 - 1999.1
- 三浦淳宏 1995 - 1999.1
- 瀬戸春樹 1996 - 1999.1
- 氏家英行 1997 - 1999.1
- 佐藤一樹 1997 - 1999.1
- 永井秀樹 1998 - 1999.1
- 遠藤保仁 1998 - 1999.1
[編集] DF
- 岩井厚裕 1989 - 1995
- 大嶽直人 1991 - 1997
- 薩川了洋 1991 - 1999.1
- 高田昌明 1992 - 1996
- 渡辺一平 1992 - 1995
- 奥野誠一郎 1993 - 1998
- 中田一三 1993 - 1995
- 小泉淳嗣 1995 - 1996
- 井上雄幾 1996 - 1999.1
- 前田浩二 1996 - 1999.1
- 埜下荘司 1996 - 1998
- 森山佳郎 1996 - 1997
- 佐藤尽 1997 - 1999.1
- 辻本茂輝 1998 - 1999.1
- 手島和希 1998 - 1999.1
[編集] GK
[編集] 外国人
FW
- アンジェロ( ブラジル) 1993
- アウドロ( ブラジル) 1993 - 1994
- アマリージャ( パラグアイ) 1993.9 - 1994.7
- エバイール( ブラジル) 1995 - 1996
- ロドリゴ( ブラジル) 1995
- フェルナンド( ブラジル) 1997.7 - .12
- アンデルソン( ブラジル) 1997.7 - 1999.1
- レディアコフ( ロシア) 1998.4 - .12
MF
- エドゥー( ブラジル) 1993 - 1994
- バウベル( ブラジル) 1994, 1997
- ジーニョ( ブラジル) 1995 - 1997
- サンパイオ( ブラジル) 1995 - 1999.1
- デニウソン( ブラジル) 1996.7 - .12
- フットレ( ポルトガル) 1998
DF
横浜フリューゲルスの選手一覧も参照のこと。
[編集] 歴代監督
- 加茂周 1991 - 1994
- 木村文治 1995
- シルバ( ブラジル) 1995
- オタシリオ( ブラジル) 1996 - 1997
- カルロス・レシャック( スペイン) 1998.1 - .9
- ゲルト・エンゲルス( ドイツ) 1998.10 - 1999.1
[編集] 余談
お笑いタレントコンビ・ペナルティのヒデに市立船橋高校・専修大学時代にオファーをかけた(厳密には、市船時代は前身の全日空がオファーをかけている)。
キャプテン翼において、若島津健(後に名古屋グランパスエイトに移籍)が高校卒業後に入団したチームとなっている。
[編集] チーム名変遷
- 1964年~ 横浜中区スポーツ少年団(後に横浜サッカークラブに変更)
- 1979年~ 横浜トライスターサッカークラブ
- 1984年~ 全日空横浜クラブ
- 1988年~ 全日空サッカークラブ
- 1992年~ 横浜(AS)フリューゲルス
- 1999年~ 横浜F・マリノス
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- フリューゲルス同窓会
- 横浜フリューゲルスを存続させる会
- Story of Yokohama Flugels
- 大住良之(スポーツライター)「フットボールの真実・横浜フリューゲルス物語」
- 横浜フリューゲルスのラスト・チャレンジ(フランス語)
Jリーグ 2007 | |
---|---|
J1 | |
鹿島アントラーズ | 浦和レッドダイヤモンズ | 大宮アルディージャ | ジェフユナイテッド市原・千葉 | 柏レイソル | FC東京 | 川崎フロンターレ | 横浜F・マリノス | 横浜FC | ヴァンフォーレ甲府 | アルビレックス新潟 | 清水エスパルス | ジュビロ磐田 | 名古屋グランパスエイト | ガンバ大阪 | ヴィッセル神戸 | サンフレッチェ広島 | 大分トリニータ |
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J2 | |
コンサドーレ札幌 | ベガルタ仙台 | モンテディオ山形 | 水戸ホーリーホック | ザスパ草津 | 東京ヴェルディ1969 | 湘南ベルマーレ | 京都サンガF.C. | セレッソ大阪 | 徳島ヴォルティス | 愛媛FC | アビスパ福岡 | サガン鳥栖 |
|
過去に存在したクラブ | |
横浜フリューゲルス | |
ナビスコ杯 | オールスターサッカー | チャンピオンシップ | 入れ替え戦 | アウォーズ |