八大競走
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八大競走(はちだいきょうそう)とは、日本の中央競馬における、3歳(旧4歳)馬のクラシックの5競走(桜花賞、皐月賞、優駿牝馬(オークス)、東京優駿(日本ダービー)、菊花賞。五大競走という)に、古馬の天皇賞(春・秋)と有馬記念の3競走を加えた、8つの競走のことを指す。
本項では八大競走の他にもそれと関連するレースならびに八大競走と同格に扱われていた競走についても一部記述する。
[編集] 概要
八大競走のうち有馬記念を除く7つの競走はいずれも終戦以前に創設された競走で、クラシックの5競走はイギリスのクラシックを模した競走であり、日本でも3歳の最高峰の競走とされた。天皇賞はイギリスのロイヤルアスコットのゴールドカップを模した競走であり、古馬の最高峰の競走とされた。また有馬記念は1956年に創設(第1回は中山グランプリ。第2回から有馬記念。)され、ファン投票を採用したオールスターの競走であるとともに、その年の総決算の競走という位置付けで行われていた競走である。
1984年にグレード制が導入されるまで、これらの競走は重賞の中でも特に格の高い競走であるとされていた。グレード制が導入された際も、これらの競走は全てグレードワン(Grade I,GI)に格付けされた。グレード制導入以前はこれらのレースに加えて、中山大障害や宝塚記念、ジャパンカップなどが全国発売競走であった。
1960年に創設された宝塚記念は有馬記念を模して春のグランプリとして関西地区に創設された競走であるが、施行時期の問題から3歳馬の出走が難しく(一時期は出走条件として3歳馬の出走ができなかった)、有馬記念に比べて盛り上がりに欠ける面がある。また一時期は負担重量が別定で行われていたなど、1984年に八大競走と同じくグレードワンに格付けされたものの、やや八大競走と比べると格下に見られる傾向が強く、比較的内容の薄いレースになることも多い。
1981年に開始されたジャパンカップについては公式には八大競走ではないが、国際招待競走であることや競走施行内容や賞金額が八大競走に匹敵することもあるため八大競走と同格に扱われることもあった。ただし、1990年代後半まではグレードワン競走の中でも、八大競走を目標とする馬主・調教師が多く、秋の天皇賞や菊花賞に出走後、ジャパンカップを回避して、有馬記念に出走した競走馬が多かった。そのため、2000年にジャパンカップの1着賞金を1億3200万円から2億5000万円に大幅に引き上げたり(同年にジャパンカップが日本の最高賞金レースとなった)、秋の中長距離のグレードワン競走3競走を全て制した馬に褒賞金(ボーナス)を出すなどの施策を行い、ジャパンカップの地位が向上し、相対的に八大競走の価値が低下した。
[編集] 完全制覇
競走馬は桜花賞、優駿牝馬が牝馬限定戦であること、天皇賞が1980年までは勝ち抜け制(1度勝利すると出走できなかった)で行われていたため、牡馬ではクラシック3冠に天皇賞と有馬記念を制する5冠が完全制覇という概念には近いであろう。シンザンは3歳時にクラシック3冠を制した後、翌年に秋の天皇賞と有馬記念を制し、このときに5冠という言葉が初めて使われた。
グレード制導入後はグレードワン競走を制していく度に冠の数を増やすような数え方がされるようになり、シンボリルドルフは4歳時の春の天皇賞を制した時点でシンザンと同様に5冠であったが、後にジャパンカップと有馬記念(2度目)を制したことから7冠馬と称されている。また、ディープインパクトも4歳時の有馬記念を制したことでシンザンと同様の5冠であるが、こちらは4歳時に宝塚記念とジャパンカップを制していたことから、有馬記念の優勝時に騎手と馬主によって7本の指が挙がった(すなわち7冠であることのアピールである)。
なお、戦後の三歳クラシック3冠馬はいずれも後に八大競走の他の競走に少なくとも1つは勝っており、ミスターシービーは4歳時に秋の天皇賞、ナリタブライアンは3歳の暮れに有馬記念に勝利している。