六条八幡神社
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六条八幡神社(ろくじょうはちまんじんじゃ)は、兵庫県神戸市北区に鎮座する、旧山田村13箇村の総鎮守[1]たる神社である。
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[編集] 歴史
[編集] 興り
興りについては次のような説がある。
[編集] 前身を寺とする説
長徳元年(995年)の当地に周防国の僧基灯が八幡神を祀る一ヶ寺を開基。そののち平安時代(794年~1185年)のうちに、当時の当地(六条)の判官であった源為義が摂津守になった折に神宮寺として再建し、石清水八幡宮の分霊六条左女牛八幡を勧請、もって神仏習合の霊山として六条八幡が創建され、足利家代々の篤い尊崇を受けた。[2]
この説においては、廃仏毀釈の禍を受けた明治時代に神宮寺でなくなったものとされている。
[編集] 前身を宮とする説
平安時代の中期に『若宮八幡宮』として創建され、後期に差し掛かった頃、当時の当地(山田荘)を領有していた源為義が京都六条の自邸に祀る左女牛八幡宮を合祀、もって六条八幡神社としての当社の歴史が始まった。[3]
[編集] 室町時代以降
室町時代の文正元年 (1466年)には、その後に重要文化財の指定も受ける三重塔が建立される。やがて時は下って近世に至り、貞享5年(1688年)、今に在る本殿が再建された。[3][2]
明治になると、近代社格制度のもとで郷社に定められた。以降、八幡大神を祭神とする。[4]
[編集] 境内
[編集] 事物
瓦葦にして入母屋造の本殿、能の舞台や銀杏、神功皇后ゆかりの井戸、[3]これらに加え、次のような事物があわせて境内を形作る。
- 三重塔
- 室町時代中期ならではの古典的な特色を色濃く示す、文正元年 (1466年)建立の和様の三重塔。建立当時の地元の有力者であった鷲尾綱貞の世話を得て建てられた。藤原周次・藤原光重という2人の大工の作であることが棟札の墨書によって確認されている。その総高13~19.1mにして檜の皮葺く屋根を持ち、仏画を内部に置いている。大正3年(1914年)4月17日に重要文化財への指定を受け、平成14年(2002年)にはその屋根の大規模な修復が行われた。[2][5][3]
- 薬師堂
[編集] 所在
兵庫県神戸市北区山田町中字宮ノ片57[2]