北海道深川西高等学校
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北海道深川西高等学校(ほっかいどうふかがわにしこうとうがっこう)は、北海道深川市にある北海道立の高等学校である。深西(ふかにし)、深高(ふかこう)と略される。
「きり拓き 創りあげる人に」を教育目標に、先人から強靭な精神を受け継ぎ、未来を担う人材を育成してきた。 その校風から「自由の学園」とも呼ばれ、伝統的に学生の自主性と自治活動が尊重されてきたが、過去には学校の自由と自治をめぐって悲しい事件も起きている(下記、保安大学受験拒否事件、あゆみ会事件を参照)。
生徒会活動が盛んで、ホームルームや全校集会が活発である。学校祭、コーラス大会、運動会などの行事も学生主体で取り組まれている。校則についても、過去の生徒会活動のなかで制定された経緯から比較的ゆるやかである。制服も一定の指定はあるものの学生の自主性に委ねられている部分が大きく、比較的自由に着こなしを楽しんでいるようである。
かつては進学校として進学率は95%を超え、旧帝大を始めとする有名国公私立大に多くの合格者を輩出してきたが、近年は周囲の過疎化に伴い、合格難易度が低下。卒業生の進路も大学、短大の他、専門学校、就職と多様である。
部活動は体育系、文化系ともに軒並み全道大会レベルのクラブが多く、吹奏楽局は全道大会でも上位校に名を連ねている。近年は陸上やスキー、弓道で全国大会への出場が続いており、硬式野球も好成績をおさめている。
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[編集] 所在地
[編集] 学科
- 全日制普通科のみ設置。
[編集] 沿革
- 1938年 北海道北空知中学校開校
- 1941年 北海道庁立深川中学校と改称
- 1948年 北海道深川高等学校と改称
- 1950年 北海道立深川女子高等学校と合併し、北海道深川高等学校となる
- 1953年 北海道深川東高等学校と分離、本校は北海道深川西高等学校と改称
- 2001年 北海道秩父別高等学校の募集停止(廃校)に伴い、同校を統合
[編集] 教育目標
きり拓き 創りあげる人に
考える力を 豊かな心を 強い身体を
[編集] 校歌
「生徒会の歌」「学生の歌」「逍遥歌」の3曲が伝統的に歌い継がれてきているが、「生徒会の歌」が正式な校歌とされている。 卒業生にとっては、校歌より歌われる機会が多かった「学生の歌」の方が馴染みがあるようである。 1998年の開校50周年の際には、同校同窓会によって上記の3曲がCD化(非売品)され、関係者に配布されている。
[編集] 保安大学受験拒否事件
1952年、当時校長が保安大学校を進学先として志望した学生と父母に対して個人面談を行い、「この大学は普通の大学と異なり軍人幹部を養成するところであり、保安隊はれっきとした軍隊で憲法にも違反するものである。先の戦争の反省からも我が校の学生を戦場に送りだす人生選択には賛成できない」という趣旨の意見を述べて、受験を思い留まらせたことがあった。
ところが、校内に張り出された保安大学校受験ポスターを校長が撤去したことがマスコミに知られ、これが「受験拒否事件」として大々的に報道された。更には、人権侵害の疑いがあるとして人権擁護局が調査に乗り出す事態にまで発展した事件。
結果的に人権侵害の疑いは無かったということで、それ以上問題化されることはなかったが、校長はその後に起きた火災事故などの責任をとる形で同校を去ることになった。この事件によって、地域住民のみならず文部省や北海道教育委員会などからも「左がかっている」要注意の学校と目をつけられることになった。
[編集] あゆみ会事件
1954年9月、地方新聞紙上に深川西高で「偏向教育」が行われていると報道されたことが事件の発端。
これを最初に報じた北海日日新聞には「日共の触手高校生へ、父兄ら神経尖らす」、続く北海道新聞にも「学園に日共の触手、深川西校『あゆみ会』問題化、非武装の軍事訓練も行う」などとショッキングな見出しが踊ったため、学生、教職員はもとより父母や地域住民にも動揺が広がった。
問題とされた「あゆみ会」は生徒会公認の文化系同好会のひとつで、「きけわだつみのこえ」に衝撃を受けた学生により結成された。反戦平和活動を掲げていたが、具体的には校内での読書会や僻地を訪問してコーラス、人形劇を披露するなど、特に問題視されるようなサークルではなかった。だが、新聞では部員によるキャンプや海水浴が秘密会合、軍事教練などとされ、僻地訪問活動なども、あたかも日本共産党の手引きで行われているかのように報じられた。
この報道の3日後の深夜、校内で男子学生が自殺(この夜は洞爺丸台風で大荒れだった)。自殺した学生は「あゆみ会」の部員で、遺体のそばには新聞社に抗議する旨の遺書が残されていた。
衝撃的な自殺を受けて北海タイムスは「真実訴える○○君の遺書、なぜ赤い目でみる?偽りの報道に死の抗議」(○○は実名)と報じ、先の「偏向」報道に反論。これに毎日新聞、朝日新聞が加わって、各社対抗する報道合戦に加熱していった。
生徒の自殺を契機に、校内では連日ホームルームや全校集会で学生自らが事件解決への粘り強い話し合いを続けた。学生を支える教職員も連日深夜まで対応に奔走していたが、最中に数名の生徒が後追い自殺を試みるなど混乱を極めた。 また、道内外の学生自治会や労働団体、教育学者などが続々と調査や支援のために来市し、北海道大学、北海道教育大学にも事件に関する対応委員会が設置されるなど、深川西高校は全国的に注目されることとなった。
結局、この事件は民主教育のスローガンのもとで学生運動や組合活動が活発だった校内の雰囲気を危惧した当時の校長や教育委員会、公安がマスコミを通じて圧力を加えようとしたというのが真相であった。校長は赴任当初より保安大学受験拒否事件などを挙げて、前校長の教育方針を「潰す」と公言していた人物であった。加えて「あゆみ会」部員の友人生徒などに対して警察官が金銭を与えて情報提供をさせたり、校長が秘密裏に生徒の素行や個人情報を警察に提供した事実などが調査の過程で明るみにされた。発端となった報道についても、記者自身が警察情報を一方的に記事にしたもので、多くが伝聞に基づくいい加減な内容であったことを告白した。
結果として警察による教育への不当介入、校長の職権乱用が新聞でも厳しく糾弾され、当初は学校に批判的だった父母や地域住民も態度を軟化させていった。
事件から1ヶ月を経て、教頭は全校集会で事件の真相と反省に立った決意を報告し、北海道新聞も社説で間接的に誤報を認め(北海日日は最後まで誤りを認めなかった)、反省するとする主張を掲載したことで、事件は漸く収束を見ることとなった。
余談ではあるが、この事件の数年後に北海道教育委員会は同校の大半の教職員を道内の遠隔地へ分散的に異動させる人事を発令する。「ミサイル人事」とも呼ばれた異例の人事は、教職員に対する報復とみる見方もあった。 関係者が分散したことで、事件の真相や意義が受け継がれ、語り継がれることは殆どなくなってしまった。
[編集] 進学
北海道内の大学、短大、専門学校に多くの指定校推薦枠を持つ。以下は近年の進学実績(浪人含)。
- 国公立大学
- 北海道大学、小樽商科大学、室蘭工業大学、北見工業大学、北海道教育大学、旭川医科大学、釧路公立大学、公立はこだて未来大学、東北大学、鳥取大学、高崎経済大学、秋田県立大学ほか
- 私立大
- 札幌大学、札幌学院大学、北海学園大学、北星学園大学、藤女子大学、北海道工業大学、札幌国際大学、浅井学園大学、北海道情報大学、道都大学、旭川大学、東北学院大学、明治大学ほか
[編集] 著名人の卒業生
- 秋山義昭(小樽商科大学学長)
- 木下博勝(医師、東京大学医学部付属病院第一外科勤務医・女子プロレスラージャガー横田の夫)1986年卒業
- 草原克豪(拓殖大学北海道短期大学学長)
- 山下貴史(現深川市長、前衆議院議員)1970年卒業
- 山田吾一(俳優)1950年卒業
- 塚田タカヤ(歌手)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
あゆみ会事件
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