原口一博
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
原口 一博(はらぐち かずひろ、昭和34年(1959年)7月2日 ‐ )は、昭和・平成期における日本の政治家。衆議院議員(4期)。
生年月日 | 昭和34年(1959年)7月2日 |
---|---|
出生地 | 佐賀県佐賀市 |
出身校 | 東京大学文学部心理学科卒業 |
学位・資格 | 文学士 |
前職・院外役職(現在) | 佐賀県議会議員 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
衆・予算委員会委員 衆・郵政民営化特別委員会委員 |
世襲の有無 | 無 |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
比例九州ブロック(佐賀1区) |
当選回数 | 4回 |
所属党派(現在) | 民主党(羽田グループ) |
党役職(現在) | 次の内閣・総合政策企画会議担当大臣 佐賀県総支部連合会代表 |
会館部屋番号 | 衆・第1議員会館238号室 |
ウェブサイト | 原口一博 TOP MENU |
目次 |
概要
- 佐賀県佐賀市出身。
- 平成5年(1993年)、衆院議員の大坪健一郎から後継指名を受け、第40回総選挙に無所属・総裁派閥の宏池会の新人候補として出馬するも落選する。
- 平成6年(1994年)、衆院議員の愛野興一郎に従って新生党入党~新進党結党に参画、平成8年(1996年)の第41回総選挙にて新進党公認で初当選する。
- 衆院予算委員会での政府追求やテレビへの積極的な出演から「民主党の若手論客」の1人であると言われる。しかし、不用意な発言をしばしば行うことがあり、批判されることも多い。
- かつて自民党の県議だったが、99年8月衆院本会議での国旗国歌法案の採決では反対票を投じた。
発言
- 「ある組織の手先(スーパーハッカー)に自分のPCをハッキングされ、ハードディスク上にあった国会答弁の内容が入ったファイルを消去されるなど、日本政府も逆らえないような恐ろしい「闇の組織」と現在闘っている。」(要旨)
- 読売テレビ系『たかじんのそこまで言って委員会』(平成18年(2006年)2月26日放映)で、堀江メール問題に関連して発言。さらには「闇の組織」がライブドアと自民党の繋がりの裏に暗躍し、「闇の組織」日本国政府及び合衆国政府との癒着の可能性を指摘した。
- 「闇の組織は必ず黒い服を着ている」・「黒い服は着ない方が良い」
- 堀江貴文が第44回衆議院議員総選挙|第44回総選挙に出馬した際、陣営の選挙スタッフが黒い服(Tシャツ等)を着ていたことから、「闇の組織」とライブドアとのつながりの可能性をも示唆しと警鐘を鳴らした。
- 「メールの中身は偽物。個人の名誉や生活を大変傷つけてしまったことを同僚議員の1人としておわびしたい」(平成18年(2006年)3月2日、衆院予算委員会において)
- 一連の発言の後、メールが偽物であると確定したため。
- この発言の直後、「北陸の富山の方」なる人物が航空自衛隊小松基地内の無線LANを盗聴した行為と内容を披瀝した。
- ※無線通信の傍受行為を罰する法律は無いものの、その傍受した通信の存在や内容の漏洩、窃用は罰せられる(電波法第59条・同109条)。
略歴
経歴
- 昭和47年(1972年)
- 3月 佐賀市立高木瀬小学校卒業
- 昭和50年(1975年)
- 3月 佐賀市立城南中学校卒業
- 昭和53年(1978年)
- 3月 佐賀県立佐賀西高等学校卒業
- 昭和58年(1983年)
政歴
- 昭和62年(1987年)
- 4月 佐賀県議会議員選挙(佐賀市・無所属)当選。
- 平成3年(1991年)
- 4月 佐賀県議会議員選挙(佐賀市・自由民主党公認)2期目当選。
- 平成5年(1993年)
- 7月18日 第40回衆議院議員総選挙(旧佐賀全県区・無所属)落選。
- 平成8年(1996年)
- 10月20日 第41回衆議院議員総選挙(佐賀1区・新進党公認)当選。
- 平成12年(2000年)
- 6月25日 第42回衆議院議員総選挙(佐賀1区・民主党公認)2期目当選(比例九州)。
- 平成15年(2003年)
- 11月9日 第43回衆議院議員総選挙(佐賀1区・民主党公認)3期目当選。
- 平成17年(2005年)
- 9月11日 第44回衆議院議員総選挙(佐賀1区・民主党公認)4期目当選(比例九州)。
出演番組
- 『ビートたけしのTVタックル』テレビ朝日系
- 『みのもんたの朝ズバッ!』・『みのもんたのサタデーずばッと』TBS系
- 『たかじんのそこまで言って委員会』読売テレビ
- 『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』日本テレビ系
文献
著書
- 『やめへんやろうな』原口一博と維新隊、1993年
共著
- 『政策不況 脱出の筋道』東洋経済新報社、1998年
- 『21世紀日本の繁栄譜』PHP研究所、1999年