吉備津神社 (岡山市)
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吉備津神社 | |
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回廊 |
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所在地 | 岡山県岡山市吉備津931 |
主祭神 | 大吉備津彦命 |
社格等 | 式内社(名神大)・備中国一宮・官幣中社・別表神社 |
本殿の様式 | 吉備津造 |
例祭 | 5月第2日曜・10月19日 |
吉備津神社(きびつじんじゃ)は、岡山県岡山市にある神社である。式内社(名神大)、備中国一宮で、旧社格は官幣中社。
備中国と備前国の境にある吉備中山の麓に鎮座する。元々は吉備国の一宮であったが、吉備国が三国に分割されたときには備中国の一宮となり、備前国・備後国に分霊が勧請されて各国の一宮となっている。備前国一宮の吉備津彦神社は同じ吉備中山の麓にある。
目次 |
[編集] 祭神
大吉備津彦命を主祭神とする。吉備津彦は第7代孝霊天皇の皇子で、別名を比古伊佐勢理比古命という。崇神天皇10年、四道将軍の一人として山陽道に派遣され、弟の若日子建吉備津彦命と協力して吉備を平定した。その子孫が吉備の国造となり、「吉備臣」を名乗ったという。
相殿に以下の八柱を祀る。
- 御友別命(みともわけのみこと)
- 仲彦命(なかつひこのみこと)
- 千々速比売命(ちちはやひめのみこと)
- 倭迹々日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)
- 日子刺肩別命(ひこさすかたわけのみこと)
- 倭迹々日稚屋媛命(やまとととひわかやひめのみこと)
- 彦寤間命(ひこさめまのみこと)
- 若日子建吉備津日子命(わかひこたけきびつひこのみこと)
[編集] 歴史
社伝によれば、吉備津彦は吉備中山の麓に茅葺宮を造って住み、281歳で亡くなって中山山頂に葬られた。吉備津彦の5代の子孫の加夜臣奈留美命が茅葺宮に社殿を造営して吉備津彦を祀ったのが当社の始まりと伝える。
『続日本後紀』承和14年(847年)10月22日条に従四位下の神階を受けたとあるのが国史での初見である。翌年には従四位上に進んでおり、仁寿2年(852年)には四品(しほん)、10世紀前半には一品(いっぽん)の品位(ほんい)も受けている。延喜式神名帳では名神大社に列している。このように、古代には朝廷からの篤い崇敬を受けた。中世には武家の崇敬を受け、たびたび社殿の修復や社領の寄進があった。現在の社殿は足利義満が造営したもので、国宝になっている。(本殿と拝殿は修繕中で平成20年に終了予定)
[編集] 文化財
- 国宝
- 本殿及び拝殿(1棟)
- 重要文化財
- 南随身門
- 北随身門
- 御釜殿
- 木造獅子狛犬
[編集] 吉備津神社が登場する作品
- 雨月物語 - 一編「吉備津の釜」にて鳴釜神事が登場する
[編集] アクセス
[編集] 近隣情報
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 吉備津神社(公式サイト)
[編集] 関連項目
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