国鉄2850形蒸気機関車
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2850形は、1897年(明治30年)、伊賀鉄道開業に際してアメリカから輸入された蒸気機関車である。3両が輸入された。1897年、ピッツバーグ社(Pittsburgh Locomotive And Car Works)製(製番1709~1711)である。
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[編集] 構造
動輪直径は1321mm、軸配置は2-6-0(1C)のタンク機関車で、弁装置はスティーブンソン式である。
2-6-0(1C)という軸配置はテンダー機関車では多いが、日本のタンク機関車では他に鉄道院2800形(旧関西鉄道「三笠」)、鉄道院2820形(旧九州鉄道形式102)の3形式のみである。これは、従輪を有しないため、背部炭庫や水槽の容量を大きくできず、バランスが良くなかったことが主な理由である。
本形式は外観に大きな特徴があり、運転室、側水槽、炭庫や窓の周辺に貼られた装飾帯金や、運転室の下部、窓の上部等の曲線など、見る者に強い印象を与えるが、ピッツバーグ社製蒸気機関車の標準的なデザインラインからは大きく外れている。また、晩年まで空気制動機は取り付けられず、ほぼ原型を保っていた。
[編集] 主要諸元
- 全長:8852mm
- 全高:3569mm
- 軸配置:2-6-0(1C)
- 動輪直径:1321mm(4'4")
- 弁装置:スティーブンソン式アメリカ型
- シリンダー(直径×行程):330mm×559mm
- ボイラー圧力:9.8kg/cm²
- 火格子面積:0.91m²
- 全伝熱面積:70.4m²
- 煙管蒸発伝熱面積:64.8m²
- 火室蒸発伝熱面積:5.7m²
- ボイラー水容量:2.0m³
- 小煙管(直径×長サ×数):50.8mm×3169mm×128本
- 機関車運転整備重量:34.06t
- 機関車空車重量:27.79t
- 機関車動輪上重量(運転整備時):30.10t
- 機関車動輪軸重(最大・第3動輪上):10.34t
- 水タンク容量:3.68m³
- 燃料積載量:1.02t
[編集] 運転・経歴
3両が伊賀鉄道によって発注され、1~3となるはずであったが、同鉄道は開業せずに終わったため、注文流れとなったうち、1899年(明治32年)に1、3が阪鶴鉄道に引き取られ、A5形(12,13)となった。その後同社は国有化され、1909年(明治42年)に2850形(2850,2851)となり、西部鉄道管理局に所属した。
残った2も1900年(明治33年)に尾西鉄道に引き取られ、乙形(11)となった。1911年(明治43年)10月21日に他の2-4-2(1B1)形タンク機関車3両とともに鉄道院の2-4-0(1B)形タンク機関車4両(160形(164,165)、190形(190,191))と交換することとなり、同車も2850形に編入されて2852となり、西部鉄道管理局に所属した。
1923年(大正12年)4月に2851が、同年7月には残る2850、2852も廃車となったが、2850が駄知鉄道11、2851が播丹鉄道8、2852が北九州鉄道4となった。駄知鉄道11は1938年(昭和13年)11月に売却され、日曹炭鑛豊富鉱業所12となり、1955年(昭和30年)に廃車解体された。播丹鉄道8は1943年(昭和18年)6月に国有化され、廃車が予定されたが、西武鉄道に引き取られ、戦時中は国分寺~川越間、終戦後は北所沢(現、新所沢)の専用線で使用され、7と改番された。その後1959年(昭和34年)頃から休車となっていたが、1962年(昭和37年)3月に上武鉄道に貸し渡され、同年6月から使用されたが、1965年(昭和40年)11月1日付けで廃車となり西武鉄道に返却された。北九州鉄道4は、1937年(昭和12年)に国有化されたが、引き継がれずに廃車解体された。
[編集] 保存
西武鉄道に戻った上武鉄道7は1969年3月に保存が発表され、現在も品川区の東品川公園に保存展示されている。
[編集] 関連項目
- ピッツバーグ社製の蒸気機関車
- 国鉄210形蒸気機関車(旧徳島鉄道甲1形)
- 国鉄1255形蒸気機関車(旧新宮鉄道7・1350形と同形)
- 国鉄1350形蒸気機関車(旧阪鶴鉄道A1形)
- 国鉄1690形蒸気機関車(旧水戸鉄道(2代)A1形)
- 国鉄3400形蒸気機関車(旧九州鉄道形式174)
- 国鉄5200形蒸気機関車(旧山陽鉄道形式26)
- 国鉄6000形蒸気機関車(旧関西鉄道形式110「追風」)
- 国鉄6500形蒸気機関車(旧関西鉄道形式40「早風」)
- 国鉄9050形蒸気機関車(旧北海道官設鉄道発注)