近鉄伊賀線
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伊賀線(いがせん)は、三重県伊賀市の伊賀上野駅から伊賀神戸駅までを結ぶ近畿日本鉄道の鉄道路線。
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[編集] 路線データ
全線が、大阪輸送統括部(旧上本町営業局)の管轄である。
[編集] 概要
上野盆地の城下町伊賀市中心部と近鉄大阪線・JR関西本線を結んでいる。
沿線が忍者の里であることに因み、1997年10月から漫画家の松本零士がデザインしたイラストをラッピングした「くノ一」電車が運転されている。
合理化のため無人駅が多い。但し、巡回で駅員が無人駅に来て改札を行うことがあり、大阪線との乗り換え駅である伊賀神戸駅では、駅員による地上改札が随時実施されている。また、ローカル線の加算運賃が適用されている。
伊賀神戸駅を除き、スルッとKANSAI対応カード及びJスルーカードは使用できない(スルッとKANSAI対応カードについては一時期に係員への提示で乗車することができた)。自動券売機で近鉄独自のプリペイドカードであるパールカード(乗車カード)のみ対応している。なお、2007年4月1日に導入されたPiTaPaにも非対応となっている。
[編集] 運行形態
すべて普通列車で、伊賀上野~上野市間と上野市~伊賀神戸間の2区間に運転系統が分かれており、毎時1~2本程度運行されている。これは前者がJR関西本線との接続を重視していることと、後者が等時隔ダイヤを採用しているからである。ダイヤ上は全線を通して運転される列車は基本的にはないが、データイムは系統変更のみで直通するものもある。
各区間でワンマン運転を行っている。しかし、一部乗客専務車掌が乗務して車内改札・乗車券販売及び乗降時の改札を行っている。これは前述の無人駅の巡回とともに不正乗車防止のためである。
[編集] 車両
ローカル線のため、現近鉄吸収合併後は専用の新車が全く製造されず、近鉄中の中古車がかき集められていた点は、養老線と同じである。ただし必要車両数が少ない為、養老線と比べ小世帯の印象が強い。
[編集] 現有車両
[編集] 過去の車両
[編集] 車両基地
上野市駅構内に名張検車区上野市車庫がある。伊賀線は1067mm軌間であり、かつ1435mm軌間の大阪線と直通できないため、重要部検査及び全般検査などは車体のみを同車庫で整備し、台車等の各装置はトラック輸送で塩浜検修車庫へ持ち込んで検査を行う。
[編集] 歴史
関西本線の伊賀上野駅と上野町(現在の伊賀市)の中心地を結ぶため、伊賀電気鉄道の前身である伊賀軌道により上野駅連絡所(現在の伊賀上野駅)~上野町駅(現在の上野市駅)間が1916年に開業したのが始まりである。伊賀上野~名張(後の西名張)間が全通したのは1922年である。奇しくもこの年に成立した改正鉄道敷設法別表の「81.奈良県桜井ヨリ榛原、三重県名張ヲ経テ松阪ニ至ル鉄道及名張ヨリ分岐シテ伊賀上野附近ニ至ル鉄道」の後段に該当する路線でもあった。電化後は、大阪電気軌道を経て参宮急行電鉄の路線となった。
伊賀神戸~西名張間は、大阪線と競合するため戦時中一旦休止したが、国鉄直通の貨物運行に必要なため戦後に再開された。しかし、貨物列車運行廃止の目処がたったため、1964年10月に廃止された。廃止に際し、中間駅のなかった大阪線名張~美旗間には桔梗が丘駅が蔵持駅などの代替として新設された。
- 1912年(大正元年) 10月 上野町の実業家田中善助により伊賀軌道出願。
- 1916年(大正5年)8月8日 伊賀軌道が上野駅連絡所~上野町間を開業。
- 1917年(大正6年)12月20日 伊賀軌道が伊賀鉄道に社名変更。
- 1919年(大正8年)10月1日 全線を軌道法による軌道から地方鉄道法による鉄道に変更。
- 1920年(大正9年)3月 上野駅連絡所を廃止し、鉄道院伊賀上野駅に統合。
- 1922年(大正11年)7月18日 上野町~名張(後の西名張)間が開業し全通。
- 1926年(大正15年)5月25日 伊賀上野~名張間が電化。
- 1926年(大正15年)12月19日 伊賀鉄道が伊賀電気鉄道に社名変更。
- 1929年(昭和4年)3月31日 大阪電気軌道が伊賀電気鉄道を合併、伊賀線とする。
- 1930年(昭和5年)10月10日 参宮急行電鉄榛原~伊賀神戸間開通に伴い伊賀神戸駅開業、同時に同駅付近にあった庄田駅廃止、名張駅を西名張駅に改称。
- 1930年(昭和5年)11月19日 阿保駅を比土駅に改称。参宮急行電鉄本線(現在の大阪線)に阿保駅(現在の青山町駅)が開業したため。
- 1931年(昭和6年)9月26日 大阪電気軌道が伊賀線を参宮急行電鉄に譲渡。
- 1941年(昭和16年)3月15日 参宮急行電鉄が大阪電気軌道と合併、関西急行鉄道に改称。
- 1941年(昭和16年)9月10日 上野町駅を上野市駅に改称。
- 1944年(昭和19年)6月1日 関西急行鉄道が近畿日本鉄道に社名変更。
- 1945年(昭和20年)6月1日 伊賀神戸~西名張間が休止。
- 1946年(昭和21年)3月15日 伊賀神戸~西名張間が営業再開。
- 1964年(昭和39年)10月1日 伊賀神戸~西名張間 (9.7km) が廃止。
- 1973年(昭和48年)10月1日 貨物営業廃止。
- 1977年(昭和52年)7月14日 単線自動化及びATS使用開始。
- 1994年(平成6年)10月1日 ワンマン運転開始。
- 2005年(平成17年)7月2日 自転車を電車内に持ち込めるサイクリング列車を試験的に運行開始(11月27日までの土曜・休日・夏休み期間)。
- 2007年(平成19年) 3月26日 近畿日本鉄道が第一種鉄道事業廃止届を国土交通省に提出。同日伊賀鉄道株式会社が設立される(なお経営の移行は秋頃とされる)。
[編集] 改軌・直通化案
伊賀線を1435mm軌間に改軌すれば大阪方面から列車が直通できたり、車両検査の時に便利になるという意見もある。国鉄との貨物連絡も廃止されており、改軌の実現に障害はない。しかし、大阪線直通には改軌に加えて車両限界拡大といった追加投資が必要で、採算に合うだけの利用客がなく投資のメリットが見出せないことから、1067mm軌間のまま現在に至っている。
[編集] 近鉄からの経営分離
赤字路線のため、2005年12月に近鉄から経営形態の見直しが示唆されていたが、上下分離方式で近鉄が線路や駅舎などの施設を保有して保線などの管理を行い、近鉄や沿線自治体が出資する伊賀鉄道が運営・運行することで存続が決定している。新会社への移行は当初2007年4月を目指していたが、10月以降にずれ込んだ。市側は、合併特例債により車両の新造を計画している。
[編集] 駅一覧
[編集] 営業中の区間
- 普通列車のみ運転、全列車が各駅に停車
- 駅員の配備されている駅は駅名を強調文字で示す
駅名 | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|
伊賀上野駅 | 0.0 | 西日本旅客鉄道:関西本線 | 三重県伊賀市 | |
新居駅 | 0.8 | |||
西大手駅 | 3.3 | |||
上野市駅 | 3.9 | |||
広小路駅 | 4.4 | |||
茅町駅 | 5.0 | |||
桑町駅 | 5.8 | |||
猪田道駅 | 8.0 | |||
市部駅 | 9.2 | |||
依那古駅 | 10.6 | |||
丸山駅 | 11.9 | |||
上林駅 | 13.0 | |||
比土駅 | 15.6 | |||
伊賀神戸駅 | 16.6 | 近畿日本鉄道:大阪線 |
[編集] 廃止区間
伊賀神戸駅 - 美旗新田駅 - 西原駅 - 蔵持駅 - 八丁駅 - 西名張駅
[編集] 関連項目
- 日本の鉄道路線一覧
- 近江鉄道宇治山田延伸構想
- 近鉄養老線 - 伊賀線と同様に2007年内の分社化が予定されている。