土宮
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土宮 | |
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所在地 | 三重県伊勢市豊川町 |
主祭神 | 大土乃御祖神 |
社格等 | 豊受大神宮別宮 |
創建 | 997年以前 |
本殿の様式 | 神明造 |
土宮(つちのみや)は三重県伊勢市豊川町にある外宮(豊受大神宮)の境内別宮である。
目次 |
[編集] 概要
土宮は外宮正宮南方の檜尾山(ひのきおやま)の麓にある外宮の別宮である。別宮とは「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされる。
外宮の別宮は土宮のほか、境内に多賀宮(たかのみや)と風宮(かぜのみや)、境外に月夜見宮(つきよみのみや)がある。土宮は多賀宮に次ぎ古く、多賀宮・月夜見宮に次ぎ3位である。
正宮前の池の横の亀石を渡った先の石段の左に風宮が、右に土宮がある。亀石は高倉山の天岩戸の入り口の岩を運んだと伝えられている。
[編集] 祭神
土宮の祭神はは外宮所在地の地主の神である大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)とされる。度会行忠が1285年(弘安8年)に記した『神名秘書』では、山田原地主の大年神、字迦魂神、土御祖神の土宮3座であった。
[編集] 歴史
記録上の土宮の初出は997年(長徳3年)の『長徳検録』とされ、927年(延長5年)の『延喜式神名帳』には記載されていない。『長徳検録』とする根拠は、度会家行の『類聚神祇本源』での引用による。
『類聚神祇本源』によれば、『長徳検録』に外宮所管の田社32前の1座の土御祖社と記された。「田社」は現在の末社に相当し、現在の摂社以下の扱いであった。
1128年(大治3年)、土御祖社は宮川の外宮禰宜の申請が朝廷に認められ、別宮に昇格し土宮となった。そのころ宮川上流の開発が進み、度重なる宮川の氾濫に悩まされた外宮禰宜が、地主の神を昇格させ洪水防護の祈念の効果を高めようと考えたことによる。
[編集] 祭事
皇大神宮に準じた祭事が行なわれ、祈年、月次、神嘗、新嘗の諸祭には皇室からの幣帛(へいはく)がある。皇室の勅使は正宮と多賀宮のみに参行し、土宮には参行しない。
[編集] 社殿
土宮の社殿は外宮に準じ外削ぎの千木と、5本で奇数の鰹木を持つ萱葺の神明造である。神宮の境内別宮は基本的に鳥居を持たず南面しているが、土宮は鳥居を持ち東面している。遷宮のための古殿地は通常は東西に並ぶが、土宮は南北に近い。別宮昇格直後に南面させるべきとの声があったが、従来のままとされた。
[編集] 交通
- 最寄駅:JR参宮線・近鉄伊勢市駅から徒歩約12分。
- 最寄バス停:三重交通外宮前バス停下車徒歩約5分。
- 最寄インターチェンジ:伊勢自動車道伊勢西インターチェンジから約2km。
- 駐車場:無料駐車場がある。
[編集] 関連項目
[編集] 参考資料
- 『伊勢の大神の宮』(桜井勝之進著、堀書店、昭和48年3月25日発行)
- 『伊勢神宮』(桜井勝之進著、学生社、昭和44年5月20日発行)
- 『お伊勢まいり』(発行:伊勢神宮崇敬会)
[編集] 外部リンク
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