坂本太郎 (歴史学者)
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坂本 太郎(さかもと たろう、1901年10月7日 - 1987年2月16日)は、昭和時代の日本の歴史学者。静岡県浜名郡浜松町(現在の浜松市)出身。東京大学名誉教授、1982年度文化勲章授章者。国史大辞典編集委員会代表。
第八高等学校から東京帝国大学に進み、1926年文学部国史学科を卒業する。同大大学院を経て、1935年助教授となり、1937年に論文「大化改新の研究」で文学博士の学位を得て、翌年には史料編纂所に入った。
1945年太平洋戦争敗戦直後に東京帝国大学教授(戦後、東京大学となる)に就任して、混乱状態にあった国史学研究の再建に当たるとともに、1951年には史料編纂所所長を兼ねた。1962年定年退官すると國學院大學に移り、1983年まで教壇にたった。この間日本学士院会員、史学会理事長、日本歴史学会会長、文化財保護審議会会長を歴任する。また、国立歴史民俗博物館建設構想の中心人物となり、1972年には文化功労者となった。
専攻は古代国家の制度史研究で、津田左右吉の記紀研究を批判して戦後も『日本書紀』の史料批判を通じてその位置付けを明らかにし、また律令研究を通じて戦後日本の古代史研究の基礎を築いた。その一方で、『古事記』・『日本書紀』に疑問を持つ人々からはアカデミズム守旧派の中心人物であるとの批判も受けた。
また、戦時中に中断していた『大日本史料』編纂の再開、黒板勝美から引き継いだ『国史大系』の校訂、吉川弘文館の『国史大辞典』編纂を行うなど、今日に至るまで大きな影響を与えている。
なお、その業績は、『坂本太郎著作集』(吉川弘文館)全12巻としてまとめられている。