大広田駅
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大広田駅(おおひろたえき)は、富山県富山市西宮町6番地にある富山ライトレール富山港線の駅である。
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[編集] 駅構造
[編集] 現在
相対式ホーム2面2線の交換可能な構造で、早朝と夜間を除く時間帯で上下列車の交換が行なわれる。西側のホームが下り用1番線で、東側が上り用2番線で、ホームの北側には構内踏切が設置されている。なおJR末期の当駅は敷地に余裕がなく、交換設備などの設置が難しかったため、貨物線の跡地が残っていた南側(蓮町駅寄り)に移転した。これに伴い、旧駅舎付近からホームに向かう歩道が線路の両側に整備された。
所在地は、富山県富山市西宮町6番地である。
[編集] 国鉄・JR西日本時代
線路の西側に単式ホーム1面1線をもつ地上駅であった。古くは妻面に出入り口のある小さな木造駅舎を有していたが、後に簡易駅舎に建て替えられた。
かつては当駅から通称「大広田線」と呼ばれた貨物支線が富山港に面する富山港駅へ分岐しており、駅前の道路がその名残である。またこの線路跡の一部は、県道30号線に沿った歩道として整備されている。さらに富山港には、貨物線の痕跡を残す古い倉庫が2006年時点でも現存している。
そのほか、当駅の北東にあった小野田セメント(現・太平洋セメント)富山サービスステーションには、貨車からセメントを降ろすための施設があり、ここに至る専用線が蓮町駅貨車操車場から旅客線の東側に並行して当駅を通過していた。しかしこの施設は昭和50年代前半には遊休化しており、一連の敷地の多くは2000年代初頭までに宅地に転用された。これに関連して旧ホームの北側に小野田踏切があるが、この「小野田」はこの会社名に由来している。
旧ホームと旧駅舎は、移行期間中に解体された。末期、所在地は富山県富山市西宮町6番であった。
[編集] 駅周辺
当駅はふつう「大広田地区」と呼ばれる同市中田から約1km離れており、むしろJR北陸本線東富山駅のほうが近い。当駅の周辺は1954年から「萩浦地区」になっている。
西日本旅客鉄道(JR西日本)運営時、隣駅の東岩瀬駅との距離は450mで、JR全線中最も駅間距離が短かった。しかし、2006年2月末でJR線としては廃止となり、この記録は他線に譲ることとなった。
- 富山北消防署
- 富山市立萩浦小学校
- 富山市萩浦地区センター
- 岩瀬スポーツ公園
- 富山県立富山北部高等学校
- 富山市立岩瀬中学校
- 富山北警察署
- 富山北郵便局
- 萩浦橋(神通川に架かる橋)
- 国道415号
- 昭和タイタニウム(昭和電工グループ)
- 新日本海重工業富山工場
[編集] 歴史
- 1939年(昭和14年)2月8日 - 富岩鉄道の日満工場前駅として開業。旅客及び貨物の取扱を開始。「日満工場」とは日満アルミニウム(後の昭和電工)のことである。
- 1941年(昭和16年)12月1日 - 富岩鉄道の富山電気鉄道への路線譲渡により同社富岩線の駅となる。
- 1943年(昭和18年)1月1日 - 富山電気鉄道の富山地方鉄道への改称により、同社富岩線の駅となる。
- 1943年(昭和18年)6月1日 - 富山地方鉄道富岩線の国有化により、国鉄富山港線の駅となる。同時に大広田駅に改称。
- 1947年(昭和22年)6月1日 - 貨物の取扱を廃止。
- 1950年(昭和25年)2月10日 - 貨物の取扱を再開。
- 1958年(昭和33年)4月10日 - 貨物の取扱を再廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。
- 2006年(平成18年)3月1日 - 廃止。
- 2006年(平成18年)4月29日 - 富山ライトレールの駅として再開業。