奈良工業高等専門学校
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奈良工業高等専門学校(ならこうぎょうこうとうせんもんがっこう、略称:奈良高専、英語名称:Nara National College of Technology、英略:NNCT)は、奈良県大和郡山市にある高等専門学校である。
全国の高専の中でも奈良高専は5つの指に入ると言われているほどレベルが高い。
全国の高専の中で初めて学内に大学生協ができた高専。
通称「奈良高専」
目次 |
[編集] 学科
本科は以下の5つが置かれている。(括弧内は略称)
- 機械工学科 (M)
- 電気工学科 (E)
- 電子制御工学科 (S)
- 情報工学科 (I)
- 物質化学工学科 (C)
各学科1クラス(定員約40名)ずつで編成されている。5年制の一貫教育を経て、卒業者には「準学士」の学号が授与される。
[編集] 専攻科
専攻科は以下の3つが置かれている。(括弧内は対応する本科名)
- 機械制御工学専攻 (機械・電子制御)
- 電子情報工学専攻 (電気・情報)
- 化学工学専攻 (物質化学)
2年間の専攻科を修了し、学位授与機構の試験に合格すると、「学士」の学号が授与される。
[編集] 沿革
- 1964年 4月 1日 奈良工業高等専門学校が設置された(入学定員機械工学科2学級80名,電気工学科1学級40名)
奈良教育大学に仮事務室を設けて本校の創立事務を開始
- 1964年 4月 2日 大阪大学名誉教授八濱義和が校長に任命
- 1964年 4月11日 仮校舎(桜井市大字桜井157)に移転
- 1964年 4月18日 開校式並びに第1回入学式を奈良教育大学において挙行(以後同日を開校記念日とした)
- 1965年 4月 1日 本校舎に移転(奈良県大和郡山市矢田町22)
- 1967年11月 1日 校舎落成記念式典を挙行
- 1969年 3月22日 第1回卒業式を挙行
- 1969年 4月 1日 化学工学科(入学定員1学級40名)が増設
- 1974年 4月 1日 校長八濱義和が退官し、大阪大学名誉教授小森三郎が校長に任命
- 1981年 4月 1日 第1回編入学式を挙行
- 1982年 4月 1日 校長小森三郎が退官し、大阪大学産業科学研究所教授櫻井洸が校長に任命
- 1986年 4月 1日 情報工学科(入学定員1学級40名)が増設
- 1987年 4月 9日 教育課程を改正し、昭和62年度入学生から機械工学科に機械設計及び機械システムのコース制を実施
- 1989年 4月 1日 校長櫻井洸が退官し、大阪大学工学部教授中西義郎が校長に任命
- 1990年 4月 1日 機械工学科が機械工学科(入学定員1学級40名)と電子制御工学科(入学定員1学級40名)に改組
- 1992年 4月 1日 専攻科(入学定員機械制御工学専攻8名、電子情報工学専攻8名、化学工学専攻4名)が設置 学校週5日制を実施
- 1992年 4月20日 第1回専攻科入学式を挙行
- 1994年 3月18日 第1回専攻科修了式を挙行
- 1992年 4月 1日 校長中西義郎が退官し、大阪大学基礎工学部教授福岡秀和が校長に任命
- 1997年 4月 1日 化学工学科が物質化学工学科(入学定員1学級40名)に改組
- 2000年 4月 1日 校長福岡秀和が退官し、大阪大学大学院工学研究科教授一岡芳樹が校長に任命
- 2002年11月29日 電気工学科棟増築・改修完成
- 2004年 4月 1日 独立行政法人国立高等専門学校機構奈良工業高等専門学校となる
[編集] 関連項目
[編集] リンク
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