尾道鉄道
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尾道鉄道(おのみちてつどう)は、かつて広島県の尾道市と御調郡御調町(現在の尾道市の一部)を結ぶ鉄道路線を有していた鉄道事業者である。
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[編集] 概要
企業設立当初は尾道~市~宇津戸~上下間の鉄道敷設を目指し、また現在の三次市に至る支線も計画していたが、財界不況等の為実現せず、尾道市近辺のわずかな区間を開業したのみにとどまった。
尾道市街地と山中の集落を結ぶ盲腸線であり、営業成績は運行当初から余り芳しいものとは言えず、モータリゼーションの進行に伴い1964年までに廃止され、路線バスの運行に切り替えられた。
会社自体はその後も社名を変更せずバス事業者として営業を続けたが、1970年にニコニコバスに吸収合併され解散。事業はニコニコバスから社名変更した中国バスに引き継がれた。
[編集] 路線データ
※廃止直前のデータ
- 路線距離(営業キロ):16.8km
- 軌間:1067mm
- 駅数:18駅(起終点駅、御所橋駅含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:全線電化(直流600V)
- 閉塞方式:
- 尾道~三成間:タブレット閉塞
- 三成~市間:票券閉塞
[編集] 運行形態
- 所要時間:尾道~市間54分(1934年12月改正時)・51分(1955年8月改正時)
- 運行間隔:開業時から廃止時まで、ほぼ60分間隔
[編集] 歴史
- 1925年11月1日 - 【開業】西尾道~石畦(いしぐろ)
- 1926年4月28日 - 【延伸開業】石畦~市
- 1931年9月12日 - 【延伸開業】御所橋~西尾道
- 1933年3月28日 - 【延伸開業】尾道~御所橋。同時に国鉄との連絡運輸を開始。
- 1941年9月 - 尾道自動車を合併。路線バス事業を兼営。
- 1946年8月13日 - 市行き列車が畑駅付近で故障。傾斜区間であったため軌道を逆走、暴走し、石畦駅北方のカーブで脱線転覆。多数の死傷者を出す。
- 1957年2月1日 - 【廃止】石畦~市
- 1964年8月1日 - 【廃止】尾道~石畦。これ以後、社名を変更しないままバス専業となる。
- 1970年2月 - ニコニコバスに吸収合併され会社解散。同時にニコニコバスは社名を中国バスに改称。
当初、終点の市駅を起点に連絡バスを走らせていたが、平行する国道184号の改良に伴い、次第に尾道駅からの運行に切り替わっていった。このため、自社の路線バスが鉄道部門のライバルとなるという珍しい事態となった。特に石畦以北ではバスの方が集落に近く、利便性に優れていた為、鉄道利用客を奪っていったと伝える。
[編集] 駅一覧
※呼称は廃止時点のもの。*印の駅は路線廃止前に廃止された駅。
尾道駅 - *御所橋駅 - 西尾道駅 - 地方事務所裏駅 - 青山病院前駅 - 宮ノ前駅 - 栗原駅 - 尾道高校下駅 - 三美園駅 - 三成駅 - 木梨口駅 - 遊亀橋駅 - 木頃本郷駅 - 石畦駅 - 西校上駅 - 畑駅 - 諸原駅 - 市駅
[編集] 接続路線
※呼称は廃止時点のもの
[編集] 廃線後の現状
現在の尾道駅の北側から尾道鉄道線が発着していた。駅跡は現在駐輪場等に使用されている。西尾道駅跡には、現在ホテルが建設されている。市街地においては、僅かに橋桁等が残っている。石畦~畑間の盛土区間については、しばらく放置されていたが、改良工事の上、1986年に国道184号バイパスとして開通した。一部のトンネルが歩行者用として再利用されたほか、国道のルートから外れたトンネルが、現在でも煉瓦造りの姿をそのままに残している。現在、当該区間には、かつての電車線の終点、市へ、また市より別の起業家が鉄道敷設を目指した府中方面へのバスが数本走っている。三成にあった車庫は現在中国バスの尾道営業所、市駅跡は市出張所となっている。
在来線とは離れた位置に建設された新尾道駅付近を走行しており、仮に現在も鉄路が残っていれば鉄道による連絡も可能であったと思われる。また上下・三次には福山から現在の福塩線が伸び、福山市と鉄道で結ばれることになったが、仮に尾道鉄道が全線開通していれば、県北部と備後地域の結びつき等は現実とは大きく違ったものになっていたともいわれる。
[編集] 参考文献
前田六二著『消えた鐵路 尾道鐵道』
[編集] 関連項目
- 宇部鉄道の電車 - 同社の電車が、1950年に国鉄を経て3両譲渡されている。
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