山口県立萩高等学校
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山口県立萩高等学校 | |
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過去の名称 | 萩中学校(旧制) |
国公私立の別 | 公立学校(県立) |
設置者 | 山口県 |
併合学校 | 萩高等女学校(旧制) |
設立年月日 | 1870年 |
校訓 | 至誠 |
創立者 | 毛利吉元 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 単位制 |
設置学科 | 普通科 理数科 |
学期 | 2学期制 |
所在地 | 〒758-0057 |
山口県萩市堀内132番地 | |
電話番号 | 0838-22-0076 |
FAX番号 | 0838-22-0256 |
外部リンク | 公式サイト |
山口県立萩高等学校(やまぐちけんりつ はぎこうとうがっこう)は山口県萩市にある県立の高等学校である。
県北部地区随一の進学校で、山口県九校の一つでもある。通称、萩高「はぎこう」(長門市では萩工業高校と区別するため「はぎたか」と呼ばれている)。
目次 |
[編集] 概略
享保3年(1718年)に創建された長州藩の藩校である明倫館の流れを汲んで、明治3年(1870年)に創立された県下一の伝統校である。また、平成14年(2002年)度から全学一斉に単位制高校に改編し、平成15年(2003年)度から2学期制を導入した。進学指導に力を入れ、「北浦の名門」としての復権に努めている。
[編集] 沿革
[編集] 旧制萩中学校
- 享保3年(1718年) - 第六代藩主毛利吉元が萩城三の丸追廻し筋に明倫館を創建
- 嘉永2年(1849年) - 第十四代藩主毛利敬親の藩政改革に伴い萩市江向へ移転
- 文久3年(1863年) - 藩庁移転により、萩・山口に両明倫館が並立することとなる
- 明治元年(1868年) - 明倫館の流れを引き継ぎ、萩学校を設立(萩明倫館を萩学校に改称)
- 明治3年(1870年) - 萩中学校に改称(この年を創立年に定めている)
- 明治32年(1899年) - 山口県萩中学校に改称
- 明治34年(1901年) - 県に移管(山口県立萩中学校に改称)
- 昭和23年(1948年) - 学制改革により山口県立萩高等学校に改称
- 昭和24年(1949年) - 山口県立萩北高等学校に改称
[編集] 旧制萩高等女学校
- 明治34年(1901年) - 明倫高等小学校内に女子補習科として開校
- 大正9年(1923年) - 山口県萩高等女学校に改称
- 大正12年(1926年) - 県に移管(山口県立萩高等女学校に改称)
- 昭和23年(1948年) - 学制改革により山口県立萩女子高等学校に改称
- 昭和24年(1949年) - 山口県立萩南高等学校に改称
[編集] 山口県立萩高等学校
- 昭和25年(1950年) - 上記の2校が統合し山口県立萩高等学校となる
- 昭和47年(1972年) - 理数科を設置
- 平成12年(2000年) - 創立130周年記念式典が挙行される
- 平成14年(2002年) - 全学一斉に単位制に改編
- 平成15年(2003年) - 全学一斉に二学期制に改編
- 平成16年(2004年) - 県教育委員会から「高校生進学チャレンジ支援強化事業」拠点校の指定を受ける(3年間)
[編集] 学科
[編集] 出身者
- 田中龍夫 : 元衆議院議員、元文部大臣、元通産大臣、元山口県知事
- 河村建夫 : 衆議院議員、元文部科学大臣、自民党政務調査会副会長
- 羽毛田信吾 : 宮内庁長官
- 松本実 : 俳優
- 佐伯かよの : 漫画家
[編集] 関連項目
- 明倫館
- 旧職員室 : 東門の近くにある旧職員室は明治時代に建てられたもので、県の重要文化財に指定されている。
- 山口県立山口高等学校 : 同年に創立された山口高校との間で、創立130周年を記念して、以後、年一回、萩市から山口市までを歩く「萩往還」というイベントが催されている。
- 福島県立会津高等学校 : 歴史的背景などから、両校の間で合同合奏会等の交流が行われている。
- 山口県高等学校一覧
- 山口県九校
[編集] 外部リンク
- 山口県立萩高等学校(公式ホームページ)