山本リンダ
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山本 リンダ(やまもと リンダ、1951年3月4日 - )は、福岡県小倉市(現・北九州市)生まれの女性タレント、歌手である。本名山本みずほ。実父は米軍兵士であったが朝鮮戦争で戦死した。
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[編集] 来歴
10代の時期、ミノルフォンレコード(現・徳間ジャパンコミュニケーションズ)より遠藤実作曲のシングル「こまっちゃうナ」でデビュー。同曲が100万枚以上を売り上げる大ヒットとなりアイドルとして一世を風靡した。当時は舌っ足らずな口調を売りにした、いわゆる可愛い子ちゃん歌手だった。
デビュー曲が爆発的にヒットした後、しばらくヒットに恵まれなかったため、20代に入りキャニオンレコード(現・ポニーキャニオン)に移籍。当時売れっ子作詞家、作曲家であった阿久悠・都倉俊一のコンビによる「どうにもとまらない」、「じんじんさせて」「狙いうち」といった一連の作品により、セクシーな大人の歌手にイメージチェンジ。再び活躍するようになった。大胆なヘソ出しルック、情熱的で激しいダンス、扇情的な歌詞の内容などが話題になり、「こまっちゃうナ」を上回る人気を獲得。歌と踊りで人気を獲得した点で、後のピンク・レディーに先駆けていたと言える。「狙いうち」は今でも高校野球の応援歌の定番である。
1976年2月10日に「およげ!たいやきくん」のアンサー・ソング「私の恋人、たいやきくん!」(作詞・中山大三郎、作曲・穂口雄右)を発売。この曲が契機となり、あるテレビのトーク番組で子門真人と共演した。
1980年代後半から米米CLUBが山本リンダの楽曲をカバーしてライブで演奏していたことや、1991年、テレビアニメ『ちびまる子ちゃん』の主人公・まる子がマネをしたことなどからリバイバルブームが沸き起こり、NHKの「紅白歌合戦」にも出場。
1993年、ヘアヌード写真集の出版で話題となったが、タレントの北野誠が自身のラジオ番組「誠のサイキック青年団」で写真集をけなしたことから揉め事になり、北野がリンダ同席で番組側の謝罪会見という形で各メディアで全国的に大きく報じられた。
1997年、テレビアニメ『新・天地無用!』の主題歌「夢はどこへいった」を発売。約20年ぶりにオリコンチャートへの復帰を果たす。
2001年、7歳年上の大学教授・稲葉光彦と5月3日に入籍結婚(初婚)。結婚が遅かったのは、自身が所属する創価学会の幹部を理想の男性像とするあまりに「他の男性が好きになれなかった」と週刊誌にてコメントしている。
2005年、アサヒ飲料の缶コーヒーのCMに起用される。また、代表作「どうにもとまらない」の歌詞をアレンジした、「どうにもとまらない~ノンストップ」が発売され(リメイクされた詞は阿久悠が“今の若い人達に夢や希望をたくさん送ってあげたい”という想いから新たに書いたもの)、テレビアニメ『レジェンズ~甦る竜王伝説』のエンディングテーマに採用された。余談だが、これを記念して山本リンダ自身がゲストキャラとして1度だけ出演した。なお、「どうにもとまらない~ノンストップ」には英語バージョンも存在し、こちらも同じく『レジェンズ~甦る竜王伝説』の初期エンディングテーマとして流れていた。作詞はGary Perlman、歌はBrenda Vaughnがそれぞれ担当。
[編集] 出演
[編集] CM
酒田米菓(オランダせんべい)1967年
[編集] 著作
- 歌に愛を込めて(1975年)
- 素顔のヴィーナス(1992年)
- リンダスタイル 元気のひみつ(2001年)
[編集] 受賞
- 1972年:有線放送大賞(スター優秀賞)
- 1973年:ゴールデンアロー賞(グラフ賞)
- 1991年:日本レコード大賞(特別賞)
[編集] 逸話
『仮面ライダー』の撮影で他の出演者やスタッフと共に北海道に行った際、宿泊先のホテルの歓迎看板に「山本リンダ御一行様」と書かれていた。当時『仮面ライダー』は一般的な知名度が低かったため、ホテル側が「リンダの名を出した方が宣伝になる」と考えた結果だったようであるが、当のリンダはこの道義を欠いた行為に「他のみんなに失礼です!」と激怒し、即座に看板を「仮面ライダー御一行様」に訂正させたという。