子門真人
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子門 真人(しもん まさと、1944年1月4日-)は日本の歌手。本名は藤川正治(ふじかわ まさはる)。東京都目黒区出身。
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[編集] 人物
熱心な聖公会のクリスチャンであり、芸名の子門(しもん)も自身のクリスチャン・ネームに由来している。
また、「子門真人」という名前の他にも、様々な別名義を用いてレコード・CDを発売している。例えば、藤浩一、谷あきら、大安蓮、布川富美雄、司馬拳、希砂未竜、ピーター・サイモン、サタンタなど。
[編集] 来歴
玉川大学文学部英米文学科卒。歌手になる前は広告代理店に勤務していた。
1966年、藤浩一として『黄色いレモン』(作曲は当時無名の筒美京平が師匠であるすぎやまこういちの名義を借りて発表、のちに筒美京平名義に変更された)で歌手デビューしたが、さっぱり売れず、シングル5枚を出して1年半後に引退する。
その後しばらく歌を歌っていなかったが、1971年に一曲2万5000円のアルバイトで「仮面ライダー」の主題歌『レッツゴー!!ライダーキック』を歌う[1]。同曲は当初番組で主役を務めた藤岡弘が主題歌を歌う際の仮歌として吹き込まれたものだったが[2]、主演俳優が佐々木剛に交代する際にレコード化され、番組の爆発的な人気とともに当時日本のテレビドラマ主題歌としては最大の90万枚を超える大ヒットとなり、知名度があがる。これを皮切りに幾多ものアニメソング・特撮ソング・CMソングを歌い上げる。
また、1976年にやはり一曲5万円のアルバイトで歌った『およげ!たいやきくん』が日本における戦後最大のメガヒットとなり、老若男女にその存在をアピール。子門の代表ソングとなった[3]。これを機に子門はテレビに頻繁に露出するようになる。続けて発売された『ホネホネロック』も大ヒット。
1980年代も音楽プロデューサーとしての活動の傍ら、アルバイトで子供向けの歌を歌い、「ひらけ!ポンキッキ」などでその存在をアピールしていたが、1987年に再びフリーの歌手に。同年『ひらけ!ポンキッキ』の「動く図鑑コーナー」の挿入歌『はたらくくるま2』が話題になる。
1993年頃に引退宣言をし[4]、音楽活動からは基本的に離れ、メディアへの露出も無くなったが、その後も『星獣戦隊ギンガマン』の主題歌などを吹き込むこともあった。現在の所在は不明であるというのが通説であるが[5]、それ以外にも「現在は農業をやっている」などの真偽不明の各種噂が飛び交うのは、やはり子門の存在が我々の記憶から消えないほどの偉大な歌手であるという何よりの証左と言えよう。
[編集] 代表曲
- およげ!たいやきくん(ひらけ!ポンキッキ)
- ホネホネロック(ひらけ!ポンキッキ)
- はたらくくるま2(ひらけ!ポンキッキ)
- ぼくは電車(ひらけ!ポンキッキ)
- 野菜畑の演奏会(ひらけ!ポンキッキ)
- がまがえるガマエル(ひらけ!ポンキッキ)
- にが虫おじさん(みんなのうた)
- 空手バカ一代〔大安蓮名義〕(空手バカ一代)
- レッツゴー!!ライダーキック〔藤浩一名義〕(仮面ライダー・仮面ライダーZX)
- ライダーアクション(仮面ライダー)
- ロンリー仮面ライダー(仮面ライダー)
- アマゾンライダーここにあり(仮面ライダーアマゾン)
- アマゾンダ・ダ・ダ(仮面ライダーアマゾン)
- ガッチャマンの歌(科学忍者隊ガッチャマン)
- キカイダー01(キカイダー01)
- トリプルファイターの歌(トリプルファイター)
- アイアンキング(アイアンキング)
- THE THEME SONG of "ULTRA-7"(ウルトラセブン・ハワイ版)
- 勇者ライディーン(勇者ライディーン)
- いつになれば(たぬき先生騒動記)
- UFO戦士ダイアポロン(UFO戦士ダイアポロン)
- 流星人間ゾーン(流星人間ゾーン)
- サーキットの狼(サーキットの狼)
- 今日もピカピカ(まんがことわざ辞典)
- 翔ベ!プラズマX〔サタンタ名義〕(パタリロ!)
- 勝利のマシンロボ(マシンロボ クロノスの大逆襲)
- がんばれスイミー(がんばれスイミー)
- ムサシ!BUGEI伝!!(からくり剣豪伝ムサシロード)
- 魔獣戦士ルナ・ヴァルガー(魔獣戦士ルナ・ヴァルガー)
- 星獣戦隊ギンガマン〔希砂未竜名義〕(星獣戦隊ギンガマン)
- まんぱく音頭(まんが博覧会) - 1981年、手塚治虫、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、松本零士、池田理代子、ちばてつや、馬場のぼる、小島功ら巨匠漫画家たちが「まんぱく合唱団」としてコーラスに参加。100万枚を突破し、キャニオンレコードからゴールデン・ディスク賞を受賞する。
- アブラハムの子
- ライオンチャーミー(CMソング)
- 明治チョコスナック 冒険号(CMソング)
- 僕らの憧れライオンズ(太平洋クラブライオンズ(現・西武)の球団応援歌)
- ホークスタウン物語(福岡ダイエーホークス(現・ソフトバンク)の球団応援歌。2006年5月現在、子門真人名義では最後のシングル曲(再発盤及び希砂未竜名義の「星獣戦隊ギンガマン」を除く)
- 走れ!自転車(松戸競輪CMソング)
- 青春ラジメニアの歌(ラジオ関西アニソン専門音楽番組青春ラジメニアオープニング主題歌)
- スターウォーズのテーマ~カンテナバンド~(映画『スター・ウォーズ』のメインテーマをもとに歌詞をつけたもの。B面はNWAチャンピオンのテーマ『ギャラクシーエクスプレス』)
[編集] 豆知識
- 日本における戦後最大のメガヒットである『およげ!たいやきくん』は、当初はフォーク歌手の生田敬太郎が歌っていたが、彼が当時テイチクの専属歌手であり「ひらけ!ポンキッキ」関連のレコードを発売していたキャニオンからレコード発売ができなかったためアルバイトで子門に歌ってもらったものである。子門のバージョンでレコードが大ヒットして以後、生田は『およげ!たいやきくん』のことは一切口にしなくなったという。
- 『仮面ライダー』の主題歌『レッツゴー!!ライダーキック』は、第13話までは藤岡弘のバージョンが使用されていた。しかし子門は放送前にそのことを知らされておらず、第1話のオープニングを見て驚いたという。
- 『ウルトラマンレオ』のカバー音源をキャニオン、コロムビア、ソニー、ビクターの4社で同時期に録音、発売している(カラオケは各社が独自に用意したものであり、子門はその都度歌い直している)。フリーの歌手とはいえ、同じ歌を複数のレコード会社から同時期に発売するというのは極めて珍しい出来事である。
- 『宇宙戦艦ヤマト』の主題歌は当初、子門が歌う予定だったという説があるが、真偽のほどは定かではない。CD「松本零士音楽大全」に収録されている没テイクは子門とはかけ離れた声で、レコード会社にも歌手に関する資料がなく「歌唱者不詳」とされている。ただし、主題歌オーディションに子門が参加した可能性はあり、子門の歌った未発表音源がまだ存在するかもしれない。とりあえず、実際に歌ったささきいさおは「元々は子門さんがやるはずだったんだけど、歌ってみたら軍歌っぽくてイメージと違うということで、私が呼ばれて歌ってみたらこっちの方が良いじゃないかということになった。」と「快進撃TVうたえモン」の中で述べ、他に2005年11月9~11日放送の「ライオンのごきげんよう」でも『宇宙戦艦ヤマト』の主題歌はすでに子門真人や他に何人かがすでに録音していたが、作曲家の宮川泰が低音のささきいさおがイメージに一番合っていたということで決定したエピソードを披露している。それらNG版の音源化も望まれるところである。
- ささきは、自身のアニメソングデビュー作となった『新造人間キャシャーン』の主題歌「たたかえ!キャシャーン」について、自身が出演していた『科学忍者隊ガッチャマン』の主題歌での子門の歌い方を研究して臨んだと語っている。
- 1978年に映画『スター・ウォーズ』のテーマに有川正沙子による日本語の歌詞を付けた曲『スターウォーズのテーマ~カンテナバンド~』を発売したが(厳密には『スター・ウォーズ』のテーマをミーコがディスコアレンジでカバーした曲の再カバー)、ジョージ・ルーカスサイドからのクレームがつき、レコードが回収された。しかし、同曲は1999年に発売された『テクノ歌謡ポリドール編 ハートブレイク太陽族』でCD化されている。
- 2006年5月21日にNHK-BS2で放送の「BS永遠の音楽・アニメ主題歌大全集」では、ともに彼の持ち歌である「レッツゴー!!ライダーキック」をささきいさおと水木一郎が、「勇者ライディーン」を串田アキラと影山ヒロノブが代わりに歌った。
- 『元祖どっきりカメラ』で子門がニセCMソング「ミルキーライトの歌」を歌わされたことがある。このどっきりは「ツルリン・ピカリン・ツルリン・ピカリン・ハァー、ゲーンキな子供は・ミルキーライト」という歌詞を、ハゲ頭の重役の前で歌い激怒させてしまうというもの。仕掛人の「あなたをこの世界から消すこと出来ると言ってますよ」という旨の言葉の前に、子門は「構わない、ならば辞めて会社員として生きていく」と毅然とした態度でスジの通らない難癖に本気の怒りを見せた。
- コナミが1993年に発売したアーケード格闘ゲーム『究極戦隊ダダンダーン』にて彼が主題歌を歌っている。ゲーム内容やキャラクターなどが戦隊シリーズやタイムボカンシリーズを意識したものであることに関連して起用されたものと思われる。ゲーム中ではメモリの関係で1番のみを聞くことが出来る(同ゲームサントラにてフルサイズを収録)。ちなみに彼の起用にかかった費用は200万円といわれる(うち半分以上が仲介料)。
[編集] ベストアルバム「子門真人ヴォーカルコンピレーション」
子門は特定のレコード会社に属さないフリーの歌手だったため、ベストアルバムを発売する上で版権が大きな障害となっていた。しかし、1997年に日本コロムビア(現:コロムビアミュージックエンタテインメント)とバップの2社による合同企画として「子門真人ヴォーカルコンピレーション SONGS FOR HEROES」が発売された。コロムビア版はコロムビアの音源のみを収録しているが、バップ版は版権問題をクリアして様々なレコード会社の音源を収録。1998年には第2弾が発売されたが、計4枚で子門が歌ったヒーローソングをほぼ収録したことから発売が途絶えてしまう。
しかし、その後新たにポニーキャニオンとソニー・ミュージックエンタテインメントがこの企画に参加することになり、ヴォーカルコンピレーションは「SONGS FOR HEROES」という枠に囚われない新たな形へと発展することになる。そして2003年、第3弾がコロムビア、ポニーキャニオン、ソニーの3社からほぼ同時に発売された。
- コロムビアミュージックエンタテインメント
- SONGS FOR HEROES<青盤>(1997年11月1日)
- SONGS FOR HEROES<桃盤>(1998年12月19日)
- TV SIZE COLLECTION(2003年2月21日)
- バップ
- SONGS FOR HEROES<赤盤>(1997年11月1日)
- SONGS FOR HEROES<緑盤>(1998年12月21日)
- ポニーキャニオン
- ひらけ!ポンキッキ・コレクション(2003年2月19日)
- COVER & RARE COLLECTION(2003年2月19日)
- ソニー・ミュージックエンタテインメント
- COVER & MORE COLLECTION(2003年2月19日)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
子門真人 Fan's Page Simon Shock!!(非公式ファンサイト)
[編集] 脚注
- ^ 当初子門はテレビ番組主題歌とは知らずCMソングだと思っていたらしい。
- ^ しかし日本コロムビアのディレクターであった木村英俊の著書「THEアニメ・ソング―ヒットはこうして作られた」には藤岡版が先に吹き込まれており、木村の側から子門による取り直しを進言したという定説とは逆の記述がある。
- ^ 子門自身、この曲がメガヒットになるとは思わなかった為、レコード会社から「歩合と買取どちらが良いか」聞かれた際に、軽い気持ちで「買取で」と答えている。
- ^ 引退理由は子門自身は「人間嫌いになった」と発言しているが、他にも以前のような声が出なくなったからという説などがある。
- ^ 一部ではアニソン界の榎本喜八とも呼ばれている。