山浦ひさし
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山浦 ひさし(やまうら ひさし、1974年7月9日-)は名古屋中心に活動するタレント、レポーター、ラジオパーソナリティー 。本名山浦堅。愛知県東海市出身(ただし生まれは愛知県知立市、小学3年のとき東海市に引越し)。東海市立横須賀小学校、東海市立横須賀中学校、愛知県立横須賀高等学校卒業、名古屋大学経済学部中退。
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[編集] これまでの歩み
[編集] 名古屋吉本での下積み時代
1996年大学中退後、NSC(吉本総合芸能学院)に入校、また吉本タレントオーディションにも合格し、名古屋吉本4期研修生となる。同期には笑い飯、ライセンスが、名古屋吉本の先輩として、タックイン、上京後にスピードワゴンを結成する井戸田潤・小沢一敬らがいた。以来吉本興業東海支社所属のタレントとして、「Get-Ⅱ」などのコンビを経て、星野竜也と「SABOTEN」というコンビも組んでいたが、2003年に解散、その後はピン芸人として舞台に立っていた。
[編集] 東海ラジオへの抜擢
山浦にとって大きな転機になったのは、名古屋でテレビレポーター・ラジオパーソナリティーとして活動していた坂口美奈子との出会いである。坂口とはぴーかんテレビ 元気がいいね!(東海テレビ)のレポーター同士であったが、2004年4月からスタートした松原・坂口の土曜はど~よ!?(東海ラジオ)の中継レポーター選考にあたり、坂口が東海ラジオに山浦の推薦状を提出したことで同番組の出演が決まった。その活躍が認められ2004年10月にスタートした2COOL!、2005年4月にスタートしたヒッツ・サンデーのパーソナリティーに抜擢。また、2004年11月の東海ラジオ45周年特別番組ではメイン企画の45Kmウォーキングに山崎聡子(東海ラジオアナウンサー)と出演した。そして2007年4月には「土曜はど~よ」の後継番組として、初の冠番組「山浦ひさし 全力疾走」がスタートした。しかし、レポーター・パーソナリティーを活動の中心とするにつれ、芸人として舞台に立つこととの両立が難しくなり、2005年春に吉本興業から独立、現在はフリーでタレント活動をしている。
[編集] 結婚
2004年7月に名大在学中からの同級生と12年越しの交際の末結婚。この女性は下積み時代薄給の山浦をひたすら支えており、「土曜はど~よ」へのレギュラー出演が男としてのケジメをつける契機となったと言える。しかし名古屋吉本は、アイドル的である山浦が結婚したことを公表することによる女性ファン離れを懸念し、結婚の公表を伏せるように山浦に求めた。また、結婚式当日「土曜はど~よ」を休むことになっていたが、ちょうどその日が野球中継で放送がなくなったことで結婚の事実はリスナーに知られることはなかった。しかし自ら公表するタイミングを失うことともなり、公表は名古屋吉本退社後の2005年4月の「土曜はど~よ」の放送中に坂口が山浦に代わって結婚していたことをカミングアウトする形となった。(その後の結婚生活は次項などを参照)
[編集] 現在の出演番組
東海ラジオに出演するようになってからは、テレビ等でも活躍するようになり、仕事が格段に増えた。
- ぴーかんテレビ 元気がいいね!(東海テレビ)
- 山浦ひさし 全力疾走(東海ラジオ放送)
- 2COOL!(東海ラジオ)※ナイターオフ(10~3月)限定
- ワクドキ!元気(三重テレビ)※木曜日「タカトラ」で藤堂高虎に扮してレポート
- FAN'S TV(インターネット放送:Docomil、隔週月曜日)
- ちたまる(知多メディアスネットワーク・シーエーテイーブイ愛知)
- まちバル(スターキャット・ケーブルネットワーク)
[編集] 性格・キャラクターなど
- 普段は無口だが、放送になると毒舌も交えてリポートをする。「土曜はどーよ」のリポート先で一般リスナーに対して失礼な発言をすることもあり、坂口美奈子に注意されることもある。坂口は山浦を推薦した関係にあり、山浦は坂口は頭が上がらないが松原敬生をネタすることが多く、2COOL!やヒッツ・サンデーでの発言がリスナー投稿で発覚し、どーよで干されることもある。
- いじる対象が見つかると徹底的にいじる。いじる対象は、山崎聡子アナ、レポーターの稲葉浩美、どーよの野田ADまで範囲は広い
- 根っからの野球少年でありドラゴンズファンだが、本人がナゴヤドームで観戦するとドラゴンズが負けることが多く、2004年日本シリーズ第7戦でドラゴンズがライオンズに負けて日本一を逃したときも観戦していたことから、「山浦が行くとドラゴンズが負ける」というジンクスが付いて回っている。
- 吉本入りのきっかけは、大学在学当時「このまま人生を平々凡々と過ごしていいのだろうか」と感じ始め、Mr.ChildrenのTomorrow never knowsの歌詞に触発された事だと語っているが、本音は「加藤紀子と共演できる」と言うのが実情であるらしい。しかし退学に反対した両親から他の家族よりおかずを1品減らされたりするなどの嫌がらせを受け、勘当同然で家を出たと言う。東海ラジオの番組に本格的に出演するまでは月7万円の収入で名古屋市内のボロアパートに住み自販機の120円のジュースすら買うかどうかで悩む極貧生活をしていたが、「土曜はどーよ」にレギュラー出演し、結婚して以降はそれなりの生活を送っているようである。ワクドキ!元気と2COOL!とのコラボ放送で、山浦が大画面プラズマテレビを購入していたことがわかると、推薦人であるはずの坂口美奈子が「山浦ひさしは金を持っているよ」キャンペーンを始めるなど波紋(?)が広がっている。今の目下の悩みは「一戸建ての住宅を買うかどうか」である。
- 長渕剛と浜田省吾の熱狂的なファン。特に長渕については名古屋のライブに山浦が観にいったことが縁で、2COOL!で特別対談が実現した程である。
- 家族構成は、コックをしていた父、母、兄の4人家族。その他に「ジジ」と言う名の黒猫を飼っていた(2006年に亡くなったようである。)
- 山浦家が知立市から東海市に引越しし、ひさしが横須賀小学校に転校した当日いきなり学級委員に立候補し選挙の末選ばれたことを、本人は武勇伝のように語っている。
- 初恋は中二のころだが、なぜか相手にやじろべえをプレゼントし即フラれた。
[編集] 外部リンク
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