岡野功
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男子 柔道 | ||
金 | 1964 | 中量級 |
岡野 功(おかの いさお、1944年1月20日 - )は日本の柔道家。
茨城県竜ヶ崎市出身。茨城県立竜ヶ崎第一高等学校卒。中央大学法学部に在学中の1964年に東京オリンピック(中量級)に出場し、金メダルを獲得。翌1965年の世界選手権(中量級)でも優勝、わずか21歳にして柔道中量級における世界のトップ選手となる。1967年には全日本選手権で優勝し、柔道3冠を獲得。翌1968年準優勝、1969年に優勝と3年間も体重無差別の全日本選手権で決勝に進出した事は、80kgに満たない小さな体を考慮すれば特筆すべき偉業と言えよう(80kgは歴代の全日本選手権の優勝者でも最軽量)。
練習量をもって磨き上げた背負投、一本背負投を武器に体重差を克服し、寝技も強く、まさしく技術巧者であった。東京オリンピックで岡野が使った得意の絞め技に両者が横転する形で絞める十字絞がある。当時この技は知られていなかったため、主審は相手選手の抑え込みを宣誓するという珍事が起きている(相手選手が失神したため主審が気付き、岡野の勝利とした)。なお、総合格闘技でアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラが使い有名になったスピニングチョークと同じ技との誤解があるが違う技である。岡野の技は相手の襟で絞めている。
25歳の若さで突然引退した後は、1970年に正気塾(現在は流通経済大学柔道部の合宿施設)を設立。のちに世界チャンピオンとなる二宮和弘らを育て上げた。1976年のモントリオールオリンピックでは日本代表チームのコーチとして参加、その後も慶応義塾大学(1989年-1998年)、東京大学(1989年-2000年)の柔道部で師範を歴任。現在は流通経済大学経済学部の教授であり、体育指導センター所長や柔道部部長として後進の指導にあたる。
なお、著書の「バイタル柔道(投技編・寝技編)」は柔道教本の定番として、関係者から長く愛読されている。
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