平井卓也
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生年月日 | 1958年1月25日 |
出身地 | 香川県高松市 |
最終学歴 | 上智大学外国語学部 |
学位 | 外国語学士(上智大学) |
前職 | 西日本放送代表取締役 |
役職 | 内閣府大臣政務官 |
当選回数 | 3回 |
世襲の有無 | 三世 祖父・平井太郎 父・平井卓志 |
選挙区 | 香川1区 |
所属党派 | (21世紀クラブ→) 自由民主党(古賀派) |
党の役職 | - |
会館号室 | |
ウェブサイト | http://www.hirataku.com |
平井 卓也(ひらいたくや 1958年1月25日 - )は、日本の政治家、自由民主党衆議院議員。香川県高松市出身。祖父の太郎、父の卓志は参議院議員。
高松第一高等学校を経て、1980年(昭和55年)に上智大学外国語学部英米語学科を卒業後、電通に入社。その後親族の経営する高松中央高等学校の理事長や西日本放送の代表取締役社長などを務めた後、1996年(平成8年)の衆院選に香川1区から新進党公認で出馬したが、自民党公認の藤本孝雄に約5000票差で敗れた。
2000年(平成12年)の衆院選では再び香川1区から出馬し、無所属ながら自民党加藤派の支援を受け、自民党公認の藤本孝雄や社民党公認の加藤繁秋らを破り初当選した。
初当選後は森田健作が世話人を務めた21世紀クラブに参画したが森内閣への不信任決議案提出騒動、いわゆる「加藤の乱」では不信任案に反対し、その見返りとして自民党に入党した。森内閣への不信任案に反対した立場を取った為、加藤派から分裂した堀内派に参画した。
2003年(平成15年)の衆院選では香川1区から自民党公認で出馬し(藤本孝雄は比例代表四国ブロックに転出)、民主党公認の小川淳也や社民党公認の加藤繁秋らを破り再選を果たした。
2005年(平成17年)の衆院選で3選。
2006年8月には、友人であるラッパーのUZIのアルバムに参加。残念ながらラップは披露していないが「日本について」を語っている。