国分町 (仙台市)
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国分町(こくぶんちょう)は、宮城県仙台市にある町名である。
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[編集] 概要
国分町は、国分町通り沿いに発達した仙台市都心部を構成する地域の1つ。広瀬通りを挟んで、北側が歓楽街、南側がオフィス街となっている。主に歓楽街部分を指して、仙台市民からは「分町」(ぶんちょう)と呼ばれる。江戸時代には、同じ「国分町」という漢字ながら、「こっぷんまち」「こっぽんまち」とよんだ。
歓楽街としての国分町は、「夜の街」であり、飲食店の他に、スナックやバー、風俗店の集積地となっている。
国分町の近くには長年、仙台中央警察署と国分町交番があり、日本全国の「夜の街」としての歓楽街の中では比較的、治安は良好であった。しかし、中央署は2005年2月に離れた場所へ移転し、国分町付近は国分町交番のみになったため、治安悪化が危惧されている。
[編集] 歴史
奥州街道沿いに発達した町である。町名の由来は、伊達政宗入府以前にこの地を支配していた国分氏の時からの城下町だったためと言われている。
江戸時代の仙台の中心商業地は、芭蕉の辻(国分町通りと大町との交差点。明治期の写真)付近であった。1941年(昭和16年)に芭蕉の辻近くに日本銀行仙台支店が置かれ、周辺は金融街・オフィス街として発達した。現在、金融街としては、芭蕉の辻周辺から青葉通り沿いに広がっているが、芭蕉の辻周辺は東北地方の金融機関が多く、仙台駅に近い青葉通り沿いには都銀系が多い。芭蕉の辻から南町通りまでは、仙台市電が走っていたこともあり、通りを通じて最も道幅が広い。
広瀬通りより北も江戸時代から商業の街であったが、本陣を中心に旅籠があり、宿場町的な色彩があったという。そのような宿泊施設が集まる国分町は、明治維新で大きく変化する。1869年(明治2年)、仙台城に官軍が入城し、その要請で国分町に遊郭が開業した。後に「軍都」と呼ばれるようになる大きな軍隊が駐留した都市では、男女の住民比において特に若い男性が方が極端に多くなるため、軍の秩序維持のためにもこのような施設が設置された。仙台藩は戊辰戦争に敗北して石高を62万石から28万石に減らされたため、没落士族の娘が遊郭に売られる場合もあった。
仙台城二の丸の官軍は、東北鎮台(写真)、仙台鎮台と名を変えて常設軍となり、二の丸に司令部を始めとした中枢部を置いて発展していくことになる。1878年(明治11年)、二の丸から仲の瀬橋を渡って北に位置する常盤丁に国分町から20数軒の遊女屋が移転した(写真。後の日清戦争時に蜂屋敷に遊郭が移転した後は元常盤丁と呼ばれた)。1886年(明治19年)、常盤丁の南に隣接する現在の西公園に偕行社(陸軍の将校クラブ。写真)が設置された。遊郭と将校クラブが隣接してあるのは軍隊の士気にも関わる問題となり、日清戦争勃発を期に、1894年(明治27年)には、当時の北東郊外であった宮町の東の蜂屋敷(旅籠町、新常盤町、常盤丁遊郭との俗称あり。33軒。写真)に遊郭は移転した。蜂屋敷のほど近くには、現・榴ヶ岡公園に歩兵第四連隊司令部が置かれ、騎兵第二連隊(現・東華中学校)、練兵場(現宮城野原公園総合運動場および宮城野貨物駅ヤード)、飛行場(現・国立仙台医療センター)、射撃場(旧警察学校~台原小学校)などの軍の施設がつくられ、遊郭は戦後まで続いた。
仙台鎮台は、1888年(明治21年)5月に第二師団となり、二の丸に第二師団司令部と歩兵第三旅団司令部、隣接する現・仙台国際センターの土地には工兵第二連隊司令部、現・亀岡住宅には輜重兵第二連隊、三の丸と追廻は練兵場、現東北大学青葉山キャンパスは工兵作業場として使われるなど、広瀬川の西側の川内地区でも軍の拡充が続いた。
遊郭が蜂屋敷に移転したため、国分町が第二師団最寄りの歓楽街となり、西の二の丸方面に延びるように、東西の道である虎屋横丁(略:虎横)とその西に続く本櫓丁を中心に料亭や芸者置き場が軒を連ねるようになった。本櫓丁には歌舞伎座もあった。
仙台空襲で戦災を受けながらも、国分町の花柳界は続き、高度経済成長と都市化を背景に昭和40年代頃に最盛期を迎えた。1971年のニクソンショック、1973年のオイルショックで低成長時代に日本は突入するが、東北地方ではそれまでの東京への流出に歯止めがかかり、第三次産業化を背景に、仙台市を始めとした県庁所在地に人口が集中するようになった。仙台への庶民の流入を背景に、1970年代からは国分町に飲食店ビルが立ち並び始め、国分町は花柳界の街から庶民的な歓楽街へと変化し、面的な広がりを持って現在も広がり続けている。拡幅された細横丁(現在の晩翠通り)より西の本櫓丁(現在の立町)には今も料亭が数軒残っているが、晩翠通りに面してラブホテルが林立している。
なお、蜂屋敷の遊郭が廃止された戦後の仙台では、国分町以外に、旅館街・屋台街でもあった仙台駅北のX橋周辺(花京院)、現在仙台タワービルがある旧仙台市立病院周辺(化物横丁または森徳横丁周辺)、常盤丁の北の東北大学病院前の裏道辺り、旧長町宿から続く長町の裏道周辺に風俗街的なものがあったが、いずれも再開発などで現在はほとんど見られない。また、90年代までのストリップ劇場の宮城県内の分布は、仙台市内では国分町に数軒、長町に1軒、苦竹駅前(陸上自衛隊東北方面隊・仙台駐屯地に隣接)に1軒あり、市外では港町の石巻市に1軒、県北西の鳴子温泉に1軒あったが、現在は国分町の1軒を残すのみである。
[編集] 歓楽街「国分町」の主な道
南北
- 国分町通り
- 稲荷小路
- 女子高生通り
東西
- 元鍛冶丁(元鍛冶町)
- (元柳町・)本櫓丁・虎屋横丁(・森徳横丁・元寺小路・X橋・鉄砲町)
- 東一連鎖街
[編集] 祭り
- 国分町フェスティバル
- Bright Lights(12月に元鍛冶町公園で行われるイルミネーションイベント)
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 「忘れかけの街・仙台」(河北新報出版センター)
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 仙台市 | 日本の市町村のスタブ項目