出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
旧・押野村
廃止日 |
1956年1月1日廃止 |
廃止理由 |
編入合併 |
金沢市、押野村 → 金沢市 |
現在の自治体 |
金沢市、野々市町 |
廃止時点のデータ |
国 |
日本 |
地方 |
中部地方、北陸地方 |
都道府県 |
石川県 |
郡 |
石川郡 |
団体コード |
当時存在せず |
面積 |
km². |
総人口 |
3,021人
(1953年) |
隣接自治体 |
石川県:金沢市、石川郡野々市町、郷村
|
押野村役場 |
所在地 |
|
石川県 |
石川郡押野村大字押野
|
位置 |
|
|
特記事項 :
|
|
■Template (■ノート ■解説) ■日本の市町村pj |
押野村(おしのむら)は、石川県石川郡に存在した村。
[編集] 地理
- 現在の金沢市の西部及び野々市町の北部。当時は田んぼが広がっていた、全体的に平坦な村であった。現在では、金沢市においては西南部地区ともいわれる。
- 金沢市近郊の地として昭和初期より西金沢駅の方から都市化が進み、多くの工場も立地していった。
- 現在はチカモリ遺跡、御経塚遺跡が在る所でもある。
- 川:木呂川
[編集] 歴史
[編集] 分割編入問題
押野村全域が金沢市に編入された後も御経塚、野代、押越、押野の4地区が野々市町への編入を強く希望し、当該4地区に住む小学生、中学生を野々市町内の小学校、中学校へ集団転校させる事態が起こるなど対立が深まった。これについて昭和31年中に金沢市議会において、まず御経塚、野代、押越3地区の野々市町編入が決まり、押野地区については翌1957年(昭和32年)3月、住民投票において賛成多数で本村(押野地区の中心)を含む南側3分の2ほどの分割編入が決定。同年4月10日で御経塚、野代、押越各町と押野町の一部が野々市町の内となり、現在の市町界がほぼ確定した。
[編集] 関連項目