新下関
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新下関(しんしものせき)とは、山口県下関市のJR新下関駅を中心とする地域一帯を指す地域名称で、勝山(かつやま)地区(下関市役所支所設置条例で示された下関市役所勝山支所の所管する区域)の別称。JR新下関駅と同様に、下関市民から「しんしも」と呼ばれることが多い。
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[編集] 地域概要
下関中心市街地から北へ約6km、旧下関市のほぼ中心部に位置する内陸の地域である。
登録人口は25,138人(2006年(平成18年)11月末現在、下関市役所ホームページによる)。
北は内日地区、西は安岡地区および川中地区、東は長府地区および王司地区、南は本庁地区(旧々市部)と隣接する。
JR新下関駅周辺と県道34号沿いに商業施設が立ち並び、その周りに宅地が広がる。また国道2号の山の谷交差点付近には物流施設が集まっている。地区の周辺部には広い農地が残る。
域内には、山陽新幹線、JR山陽本線、国道2号、中国自動車道、県道34号、県道247号(長安線)などが通り、また、地区のほぼ中心に山陽新幹線とJR山陽本線の新下関駅がある。域外(本庁地区)ではあるが、中国自動車道下関ICが至近にあり、交通アクセスは道路・鉄道ともにかなり良好である。
[編集] 町のあゆみ
もとは旧豊浦郡に属する村(勝山村)であったが、1939年(昭和14年)に下関市へ編入した。域内には、かねてから国鉄・山陽本線の長門一ノ宮駅があったものの、広大な田園のなかに集落が散在している状態であった。しかし、1973年(昭和48年)の関門橋と下関ICの開通、1975年(昭和50年)の山陽新幹線開業とそれにともなう長門一ノ宮駅の新下関駅への改称を機に、新下関駅を中心に区画整理がなされ、地区全体にわたって開発計画が進められることとなった。また、1974年(昭和49年)には、東亜大学が長門一ノ宮駅(当時)の南側に開学している。
域内中央を南北に走る幹線道路・県道34号(設置当時は県道37号、その南端で国道2号に接続)が整備され、その道に沿うように秋根から一の宮にかけて新下関地区の中心市街地が形成されていった。周辺に勝谷(しょうや)、田倉、形山(かたちやま)、一の宮学園町などの新興住宅団地が整備され、下関中心市街地および北九州市のベッドタウンとなっている。地区内に東亜大学があるため、学生用アパートが多く、スーパーやコンビニ、飲食店も充実している。
また、1970年(昭和45年)から国道2号・山の谷交差点西~南側に卸団地が造成され、1976年(昭和51年)には下関市地方卸売市場の青果部門が山の谷交差点北側に移転して下関市中央卸売市場に改称するなど、下関における物流の拠点ともなっている。
域内の開発は現在でも進められ、ごく最近では、国道2号・長府トンネル西側出口付近に東勝谷・楠乃住宅団地が、新下関駅北側の石原に商業施設・コスパ新下関が完成した。また、域外(川中地区)ではあるが、新下関駅の西側に新下関西土地区画整理事業が進行中である。
ところで、合併に伴って下関市・新市庁舎の移転問題が生じたが、新下関地区は、下関市・豊浦郡4町合併協議会の付帯決議と下関市新庁舎建設候補地検討委員会の答申において最有力候補地に挙げられている。
[編集] 名所・旧跡
- 国宝・住吉神社
- 勝山御殿跡
- 砂子多川
[編集] 施設
[編集] 商業
- とみやま下関店
- コスパ新下関
[編集] 文教
[編集] 物流
- 下関市中央卸売市場
- 下関卸商業団地
- 新下関卸団地
[編集] その他
- JA下関・本所
- 下関消防訓練センター