新宿二丁目
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新宿二丁目(しんじゅくにちょうめ)は、東京都新宿区にある町名。ゲイバーが集中する日本最大のゲイ・タウンとしても知名度が高いが、新宿新都心に近いオフィス街であり、また江戸時代からの史跡も存在する街である。最近は都市開発が進み、古くからある雑居ビルと新しいビルやマンションが混在している。ネットの浸透や再開発による整備により、一時期に比べ、ゲイ・タウンとしての活気はなくなりつつある。
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[編集] 概観
面積約0.10km²。住民基本台帳上の人口は1,083人、世帯数は694世帯(2004年1月1日現在)。北は靖国通り、南は新宿御苑に挟まれた町である。最寄駅は新宿三丁目駅(都営地下鉄新宿線、東京メトロ丸ノ内線、東京メトロ副都心線=2008年(平成20年)6月開業予定)または新宿御苑前駅。
なお、現在の新宿二丁目の区域は1973年(昭和48年)1月1日に住居表示が施行されてからのものであり、それ以前は現在の新宿三丁目の東端の一部を含む区域であった。以下の記述ではこれを「旧新宿二丁目」という。
[編集] 歴史
[編集] 江戸時代
江戸幕府開幕により、甲州街道は江戸から甲府までの主要街道として整備されたが、第一の宿場は高井戸であり、その間旅人は難儀をしたという。そのうち、現在の新宿二丁目近辺に人家ができ、1625年(寛永2年)には住民の願いにより太宗寺門前の町屋ができ、これを内藤宿と呼ぶようになった。「宿」とはいっても、正規の「宿場」ではなく、甲州街道や成木街道(現・青梅街道)を利用する人馬が休憩所として利用していたので、そのように呼び習わすこととなったという。
現在の「新宿」という地名の元となった内藤新宿は、前述の内藤宿を含む辺り(現在の新宿一丁目、二丁目、三丁目界隈)に、浅草阿部川町の名主高松喜兵衛他5人が幕府に願い出て許可され誕生した。内藤新宿は風紀上の理由により1718年(享保3年)に一度取り潰しとなったが、55年後の1772年(明和9年)に、五代目名主高松喜六の請願運動により再興した。
内藤新宿は江戸四宿の一つであり、木賃宿や平旅篭が軒を並べて賑わっていたが、飯盛旅篭(飯盛女と呼ばれる遊女を置く旅篭)も多く、明和9年の記録では、幕府は内藤新宿に150人の飯盛女を置くことと、旅篭屋52軒の営業の許可を出している。 官許の吉原に比べれば格は低く「馬糞臭いところ」と呼ばれていた。
[編集] 明治以降
内藤新宿は、明治維新以後も色街としての性格は変わらなかった。1873年(明治6年)に「貸座敷渡世規則」が施行され、遊女屋は娼妓に座敷を貸す形での営業が認められる事となったため、それまでの飯盛旅篭は「貸座敷」と呼ばれるようになり、新宿一丁目辺りから新宿三丁目の追分交差点付近まで、53軒の貸座敷が軒を連ねていた。1921年(大正10年)頃までは「張り見世」といい、娼妓が遊客の「お見立て」を待っていたというが、これは後に警視庁に禁止され、代わりに写真を置くようになった(写真見世)。
1918年(大正7年)、警視庁の命令により、貸座敷は旧新宿二丁目の北西部の一角に移転することとなる。元来この場所には牧場があったため「牛屋ヶ原」と呼ばれていた。この牧場は芥川龍之介の養父新原敏三が1888年(明治21年)から1913年(大正2年)まで経営していたところである。
なお、東京市四谷区に編入されたのは、1920年(大正9年)であり、それまでは東京府豊多摩郡内藤新宿町であった。
[編集] 遊廓移転~売春防止法施行
移転作業は大正10年頃に一旦完了するが、移転した遊郭は火事で焼失してしまう。1923年(大正12年)に再建され、「新宿遊郭」と呼ばれるようになった。
大正12年の関東大震災により、吉原や洲崎等の遊郭はほとんど焼けてしまい、被害を受けなかった新宿遊郭は全盛期を迎える。東京の人口が西に拡大したことによる新宿駅近辺の繁栄、折からの近代化によるサラリーマン層の増加とあいまって、新宿遊郭はインテリ層やサラリーマンを対象とした「モダン遊郭」として大いに受けた。この頃「二丁目」といえば新宿遊郭を指したのである。
しかし新宿遊郭は、1945年(昭和20年)戦災により焼失してしまった。終戦後の1946年(昭和21年)、GHQによる公娼廃止指令により公娼制度が廃止された。しかし、いわゆる赤線地帯として生き残り、風俗営業法の許可を受け、特殊飲食店(カフェー)として売春業は存続することとなった(赤線時代の面影を窺わせる建物が、現在もわずかに残っている)。
赤線地帯は道路整備等の関係で「新宿遊郭」時代の範囲より狭くなり、現在の新宿二丁目北西部の約100メートル四方の場所に所在し、約100軒のカフェーが営業していた(風俗営業法の許可を受けていないモグリの店もあり、これは青線と呼ばれた)。客層はサラリーマンや学生等が多かったという。この時代の二丁目は、吉行淳之介や五木寛之の小説などの舞台になっている。1958年(昭和33年)、売春防止法の施行により、「遊郭(赤線)の街」としての新宿二丁目は幕を閉じることとなり、旅館や飲食店、ヌードスタジオ、トルコ風呂(ソープランド。現在も数軒営業中)が点在するさえない地域になった。
[編集] ゲイ・タウンとしての新宿二丁目
ゲイ・タウンとしての新宿二丁目の歴史は1960年代半ばから始まると言われるが、当時はゲイに対するタブー視も強く、はっきりとした資料は存在しない。しかし、空家となった元赤線の店などを利用してゲイバーが営業を始め、徐々にその数を増やしていったものと思われる。一説によれば、「二丁目最初のゲイバー」は旧赤線地帯ではなく、旧新宿二丁目西端の辺りにあったという。いずれにせよ、昭和40年代半ばには既にゲイバー街が形成されていたといわれる。
1971年(昭和46年)に日本初のゲイ向け雑誌『薔薇族』創刊後、いくつかのゲイ向け雑誌が発行されたが、いずれの雑誌にも多かれ少なかれゲイバーの広告が掲載されていた。この頃からゲイの間で「二丁目」といえば、ゲイ・タウンとしての新宿二丁目を指すようになった。また、一部の芸能人が飲みに訪れることから、一般の週刊誌等にも多く取り上げられるようになったのも1970年代後半~1980年代前半以降である。
1980年代後半から1990年代初頭にかけて、古い町並みは変貌したが、新宿近辺の他地区のような大規模再開発は行われず、街は夜な夜なゲイで賑わったという。1993年(平成5年)に日本テレビ系列で放映されたドラマ『同窓会』や、1999年の同じ日本テレビ系列のドラマ『ロマンス』により、「ゲイ・タウン」としての新宿二丁目は全国的に知られるようになった(ドラマ中に出てくるゲイバーは、新宿二丁目に実在する店をモデルに作られたという。また『ロマンス』では、実際に新宿二丁目でロケが行われた)。
現在では、ゲイバー、ウリ専やゲイを対象としたショップ等、約300軒の店が立ち並んでいる。ゲイバーでは女性客の入店を断るケースが多いが、近年は女性客やノンケ(ゲイではない男性)の客も入店可能な「観光バー」と呼ばれる店や、レズビアンを対象とした店も増えている。
ゲイ・タウンとしての新宿二丁目には往時の勢いがなくなってきたと見る向きもある。かつてのゲイバーは、とかく日本の社会では日陰者の扱いを受けていたゲイ同士が知り合い、コミュニケーションを図る場として機能していた。しかし、1990年代後半からのインターネットの普及によりゲイサイト(ゲイ向けサイト)が出現し、わざわざゲイバーに出向く必要性が薄れてきたことの影響が大きいと考えられるが、日本のゲイを巡る状況の変化、すなわち自分が同性愛者である事を、以前より比較的オープンに表現できるような社会になりつつあることも関係しているのかもしれない。
2000年(平成12年)から、新宿二丁目振興会を中心とし、ゲイ・レズビアンのためのイベントで「レインボー祭」が開催されるなどの新たな動きもある。
[編集] 史跡
現在でも、宿場時代や遊郭時代の史跡を見ることができる。
- 成覚寺 (15番18号)
- 内藤新宿の遊女の投げ込み寺であった。境内にある「子供合埋碑」(遊女の共葬墓地)、心中した遊女と客や宿場内で不慮の死を遂げた者を供養する「旭地蔵」にその当時の面影を窺う事ができる。
- 太宗寺 (9番2号)
- 正受院 (15番20号)
- 三社稲荷神社(16番2号)
[編集] 外部リンク
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