日本の戦争賠償と戦後補償
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日本の戦争賠償と戦後補償(にほんのせんごばいしょうとせんごほしょう)とは、日本が第二次世界大戦後に行った戦争賠償および戦後補償のこと。日本が20世紀初頭の戦争・植民地支配によって損害を与えた国々および人々に対する賠償・補償問題は、日本の戦後処理の重要な課題の一つであった。当項ではこれまでに日本が行ってきた主要な賠償・補償について概観する。なお項目名では便宜上「戦争」「戦後」としているが、同時期の戦争とは直接には関係ない(しかし終戦と共に終了した)植民地支配(例えば韓国併合)などに対する補償についても含めて述べる。 なお、それらを含んだ戦争賠償・補償ついては日本と被害各国との間で条約・協定等が締結、履行された事と各地の軍事裁判で判決を受け入れたことで償われており、国際法上既に決着している。
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戦争賠償、戦後補償という用語
「戦争賠償」(英:war reparation、戦時賠償)とは、戦争行為が原因で交戦国に生じた損失・損害の賠償として金品、役務、生産物などを提供すること。通常は講和条約において敗戦国が戦勝国に対して支払う賠償金のことを指し、国際戦争法規に違反した行為(戦争犯罪)に対する損害賠償に限らない。例えば下関条約において清が日本に支払うとされた賠償金3億円なども戦争賠償に含まれる。一方「戦後補償」(英:compensation)は、戦争行為によって損害を与えた人々に対して行われる補償のことで、広義の戦後補償は戦争賠償を包含する。一般には、戦争賠償は国家間で処理される問題、戦後補償は被害者個人に対してなされる保証として言われることが多い。
戦争賠償
中間賠償
中間賠償とは、軍需工場の機械など日本国内の資本設備を撤去して、かつて日本が支配した国に移転、譲渡することによる戦争賠償である。1945年11月に来日したアメリカ占領軍E. W. ポーレー率いる米賠償調査団によって行われた最初期の対日賠償政策である。工場設備による賠償は後の平和条約による最終的な賠償ではないという観点から「中間賠償」と呼ばれた。また、中間賠償にはまた日本の産業的武装解除も兼ねて行われたという側面もある。大蔵省によると、1950年5月までに計1億6515万8839円(昭和14年価格)に相当する43,919台の工場機械などが梱包撤去された。受け取り国の内訳は中国54.1%、オランダ(東インド)11.5%、フィリピン19%、イギリス(ビルマ、マライ)15.4%である(国会図書館外交防衛課、『調査と情報 第228号 戦後補償問題ー総論(1)』6頁)。
在外資産による賠償
在外資産による賠償とは、日本政府や企業、個人が海外に持っていた公私の在外資産を提供することによる賠償である。サンフランシスコ平和条約14条a項2に基づく:
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- 各連合国は、次に掲げるもののすべての財産、権利及び利益でこの条約の最初の効力発生のときにその管轄の下にあるものを差し押さえ、留置し、清算し、その他何らかの方法で処分する権利を有する。(a)日本国及び日本国民、(b)日本国又は日本国民の代理者又は代行者、並びに(c)日本国又は日本国民が所有し、又は支配した団体。
中間賠償と同様に、ベルサイユ条約でドイツに課せられた膨大な賠償金がドイツを再び戦争へと向かわせたことへの反省から、できる限り在外資産を没収する形での賠償させようという方針がとられた(第二次世界大戦後のドイツにも同様の措置がとられている)。例えば中国(中華民国)は賠償金請求権を放棄しているが、在外資産による賠償は受けている:
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- 日本国代表:私は、中華民国は本条約の議定書第一項(b)において述べられているように、役務賠償を自発的に放棄したので、サン・フランシスコ条約第14条(a)に基き同国に及ぼされるべき唯一の残りの利益は、同条約第十四条(a)2に規定された日本国の在外資産であると了解する。その通りであるか。
なお、中国はサンフランシスコ平和条約の締約国ではないが、同条約第21条の規定により、第14条a項2および第10条の利益を受けるとされた:
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- 第十条 日本国は、千九百一年九月七日に北京で署名された最終議定書並びにこれを補足するすべての議定書、書簡及び文書の規定から生ずるすべての利益及び特権を含む中国におけるすべての特殊の権利及び利益を放棄し、且つ、前記の議定書、附属書、書簡及び文書を日本国に関して廃棄することに同意する。
これにより中華人民共和国は日本政府と日本国民が中国(東部内モンゴルおよび満州含む)に有していた財産、鉱業権、鉄道権益などを得たとされる。
一方、朝鮮には第14条の利益を受ける権利が与えられていない。朝鮮など戦前より既に日本領であったがサンフランシスコ平和条約により日本から分離されることになった地域にある資産に関しては、第4条で「当該地域の施政当局・住民の対日請求権の問題を含めて施政当局との間の特別協定の対象」とされ、朝鮮は第21条でこの利益を受ける権利を有するとされた。
外務省の調査によると、1945年8月5日現在の在外資産の総額は次の通りである:
地域名 | 金額(円) | |
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朝鮮 | 702億5600万円 | |
台湾 | 425億4200万円 | |
中国 | 東北 | 1465億3200万円 |
華北 | 554億3700万円 | |
華中・華南 | 367億1800万円 | |
その他の地域(樺太、南洋、 その他南方地域、欧米諸国等) |
280億1400万円 | |
合計 | 3794億9900万円 |
同調査には合計236億8100万ドル、1ドル=15円で3552億1500円という数字もある(国会図書館外交防衛課、『調査と情報 第228号 戦後補償問題ー総論(1)』7頁)。
連合国捕虜に対する補償
連合軍捕虜に対する補償とは、サンフランシスコ平和条約第16条に基づき、中立国および日本の同盟国にあった日本の在外資産またはそれに等価の物によって連合国捕虜に対し行った補償である:
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- 日本国の捕虜であつた間に不当な苦難を被つた連合国軍隊の構成員に償いをする願望の表現として、日本国は、戦争中中立であつた国にある又は連合国のいずれかと戦争していた国にある日本国及びその国民の資産又は、日本国が選択するときは、これらの資産と等価のものを赤十字国際委員会に引き渡すものとし、同委員会が衡平であると決定する基礎において、捕虜であつた者及びその家族のために、適当な国内期間に対して分配しなければならない。
これにより日本は1955年の取り極めにおいて450万ポンド(45億円)を赤十字国際委員会に支払った。
占領した連合国に対する賠償
占領した連合国に対する賠償とは、サンフランシスコ平和条約第14条で定められているところの日本が占領し損害を与えた連合国と二国間協定を結んで行った賠償のことである。一般に狭義の「戦争賠償」は、この二国間協定による賠償が意味されることが多い。この賠償を受ける事ができたのは、以下の2つの条件を満たす国である。
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- 平和条約によって賠償請求権を持つと規定された国
- 日本軍に占領されて被害を被った国。
すなわち、この2つの条件に外れる国々は、この狭義の「賠償」権をもたない。
- サンフランシスコ平和条約を締約しなかった国、または何らかの事情で締約できなかった国は、外れることになる。日本と戦争をしたわけではない朝鮮(大韓民国+朝鮮民主主義人民共和国)は当然ながらサンフランシスコ平和条約に戦勝国として招かれるはずもないため、この賠償を受ける権利はない。
- サンフランシスコ平和条約を締約し且つ何らかの賠償請求権を持っていた連合国であっても、それが「日本に占領されて被った損害」に対する賠償のものでない場合は、外れることになる。これは、同条約第14条b項において、日本に占領されなかった締約連合国は全て「戦争の遂行中に日本国およびその国民がとつた行動から生じた請求権」を放棄したためである。
上記2条件に当該する連合国のうち、フィリピンと南ベトナム共和国は1956年と1959年に賠償を受けた。ビルマ連邦(現ミャンマー)とインドネシアはサンフランシスコ平和条約の締約国ではなかったが、1954年と1958年にそれぞれ別途にサンフランシスコ平和条約に準じる平和条約を結んで賠償を受け取った。二国間協定による賠償を受け取った国々はフィリピン、ベトナム、ビルマ、インドネシアの4カ国とされる。
国名 | 金額(円) | 金額(米ドル) | 賠償協定名 | 協定調印日 |
ビルマ | 720億 | 2億 | 日本とビルマ連邦との間の平和条約 | 1955年11月05日 |
フィリピン | 1980億 終了時 1902億300万 |
5億5000万 | 日本国とフィリピン共和国との間の賠償協定 日比賠償協定の実施終了についての記事資料 |
1956年05月09日 |
インドネシア | 803億880万 | 2億2308万 | 日本国とインドネシア共和国との間の賠償協定 | 1958年01月20日 |
ベトナム | 140億4000万 | 3900万 | 日本国とヴィエトナム共和国との間の賠償協定 | 1959年05月13日 |
合計 | 3643億4880万 | 10億1208万 |
額は合計で3643億4880万円(賠償協定締結時の円換算)、10億1208万ドル(供与は米ドルでの換算で行われたので、為替の変動で円換算の額に賠償協定締結時と終了時とでズレがある)。1976年7月22日のフィリピンに対する支払いを最後に完了した。
上記2条件に当該する当該する連合国のうち、ラオス、カンボジア、オーストラリア、オランダ、イギリス、アメリカの6カ国は賠償請求権を放棄、または行使しなかった。イギリスは当時自国領だった香港・シンガポール、アメリカは当時信託統治領だったミクロネシア諸島が日本軍に占領されたことに対する賠償請求権の放棄であるが、シンガポールおよびミクロネシアは後にそれぞれ準賠償を得ることになる(後述)。中国はイギリスとアメリカとで承認する政府が異なった為、サンフランシスコ平和条約に招かれず締約できなかったが、中華民国(現台湾)が別途で日華平和条約(1952年)を日本と結び、その議定書において賠償請求権を放棄した(後述)。
準賠償
準賠償(sub-reparation)とは、賠償に準じる供与のことを言う。上で述べた狭義の「戦争賠償」である「占領した連合国との二国間協定による賠償」は、サンフランシスコ条約第14条またはそれに準じる平和条約の同様の条項において日本軍に占領された際に被った損害の賠償を受ける権利のある国として指定された場合にのみに与えられた。しかるに、これに外れる国々は占領した連合国との二国間協定による賠償を受けることができない。準賠償は主にそうした国々に対して支払われた。
一般に「準賠償」は賠償請求の放棄と引き換えに提供される無償供与とされているが、その内容は様々であり、厳密な法的定義は無い(戦後処理的性格を有する有償供与[無金利・低金利の借款]を準賠償に含む人もいる。例えば通商産業調査会の編纂する『平成6年版 経済協力の現状と問題点・総論』では、日韓基本条約における韓国への円借款と血債に対する補償として無償供与と共にシンガポールに提供された円借款の2つ、計706億6800万円を有償の準賠償としている)。ここでは、
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- 上述のいずれの形態の賠償にも含まれない、
- 外交文書において受け取り国が更なる賠償請求を放棄しており、且つ/又は
- 何らかの戦前、戦中の損害を補償する目的の供与であることが記され、
明らかに戦後処理的性格を持つ(つまり単なる経済協力(ODA)とは異なる)供与を「準賠償」として述べる。これら準賠償は正式な「賠償」ではないので、外交文書上では「賠償」という表現では提供されていない(「準賠償」という言葉も出てこない)。
朝鮮に対する補償
朝鮮に対する補償とは、サンフランシスコ平和条約第4条に基づき、朝鮮との請求権問題を解決するため1965年06月22日に結ばれた日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約において大韓民国に提供された1080億円の補償金である。
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- 日本国及びその国民の財産で[斉州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮]にあるもの並びに日本国及びその国民の請求権(債権を含む。)で現にこれらの地域の施政を行つている当局及びそこの住民(法人を含む。)に対するものの処理並びに日本国におけるこれらの当局及び住民の財産並びに日本国及びその国民に対するこれらの当局及び住民の請求権(債権を含む。)の処理は、日本国とこれらの当局との間の特別取極の主題とする。第二条に掲げる地域にある連合国又はその国民の財産は、まだ返還されていない限り、施政を行つている当局が現状で返還しなければならない。(サンフランシスコ平和条約第四条)
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- 日本国及び大韓民国は、両国及びその国民の財産並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題を解決することを希望し、両国間の経済協力を増進することを希望して、次のとおり協定した…日本国は、大韓民国に対し、(a)現在において千八十億円(一◯八、◯◯◯、◯◯◯、◯◯◯円)に換算される三億合衆国ドル(三◯◯、◯◯◯、◯◯◯ドル)に等しい円の価値を有する日本国の生産物及び日本人の役務を、この協定の効力発生の日から十年の期間にわたつて無償で供与するものとする…両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。(日韓基本条約の関係諸協定、日韓請求権並びに経済協力協定)
朝鮮は戦勝連合国ではないので、これは戦後処理の一環(終戦と共に終了した植民地支配に関する補償)ではあっても厳密な意味での「戦争賠償」とは見なされない。朝鮮はサンフランシスコ条約第14条のような平和条約で規定されるところの正規の「戦争賠償権」を持たないので、賠償請求権の放棄の代わりに「財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が…完全かつ最終的に解決された」と記されている。
現在交渉中の日本と北朝鮮(朝鮮民主主義共和国)との国交正常化において北朝鮮側から大韓民国以上の補償を求められている。
「占領した連合国に対する賠償」に準じる賠償
上述の「占領した連合国に対する賠償」を受けた国々のように、第二次世界大戦中に現在の領土に相当する地域を日本軍に侵攻され占領された国々に対する準賠償(つまり占領した連合国に対する賠償に準じる賠償)は、以下の8カ国に供与された。総額は605億8000万6000円(賠償協定締結時の円換算)。1977年4月16日のビルマに対する支払いが最後である。
国名 | 金額(円) | 協定名 | 協定調印日 |
ラオス | 10億 | 日本国とラオスとの間の經済及び技術協力協定 | 1958年10月15日 |
カンボジア | 15億 | 日本とカンボジアとの間の経済および技術協力協定 | 1959年03月02日 |
ビルマ | 504億 終了時 473億3600万 |
日本国とビルマ連邦との間の経済及び技術協力に関する協定 日本とビルマの経済技術協力協定の実施終了についての記事資料 |
1963年03月29日 |
シンガポール | 29億4000万3000 | シンガポールとの「血債」協定 | 1967年09月21日 |
マレーシア | 29億4000万3000 | マレーシアとの「血債」協定 | 1967年09月21日 |
ミクロネシア | 18億 | 太平洋諸島信託統治地域に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定 | 1969年04月18日 |
合計 | 605億8000万6000 |
ラオスとカンボジアはサンフランシスコ平和条約を結び、同条約における賠償請求権を放棄したが、その好意に報いる為、日本と賠償に代わる無償経済協力を行う協定を1958年と1959年にそれぞれ締結した。賠償請求権を放棄した上で経済協力を求めている旨は協定に明示的に記されており、故にこれらは単なる経済協力ではなく準賠償として認められる。インドネシアは、別途に結んだ平和条約において、賠償に加えて無償供与も得ている(賠償と無償供与は同条約で別項に記されている)。この無償供与も同条約において賠償請求権の放棄を条件に提供されているため、単なる経済協力ではなく準賠償に数えられる。ビルマは、上述の平和条約においては賠償しか得ていないが、同条約の賠償再検討条項に基づき1963年に経済技術協力協定を結んで更に無償供与を得た。ビルマはこれをもって賠償再検討条項に基づく要求は全て完結している(参照:日本国とビルマ連邦との間の平和条約第五条1(a)(III)の規定に基づくビルマ連邦の要求に関する議定書)。このビルマの得た無償供与も準賠償に数えられる。
上述の準賠償を受領した4カ国は、いずれも(1)サンフランシスコ平和条約を締結したか、または別途に日本と平和条約を結んで、その上で(2)賠償請求権を放棄したことの見返りに無償供与を得ている。これ以外に、正式な平和条約で規定されるところの賠償請求権を放棄しないで、賠償に類する無償供与(準賠償)を受けた国々がある。いわゆる血債問題(華僑粛清)について準賠償を受けたマレーシアとシンガポールは、サンフランシスコ平和条約の時点では未だイギリス領であり、かつサンフランシスコ平和条約を調印した当時の宗主国であるイギリスが既に賠償請求権を放棄してしまっている。ビルマのように別途に平和条約も結んでいないので、無償供与の引き換えに放棄できる正規の賠償請求権も持たない(ビルマは戦時中はマレーシア・シンガポールと同じく英国領であったが、サンフランシスコ平和条約当時は既に独立していた)。例えば「マレーシアとの血債協定」には次のように記されている:
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- 日本国政府及びマレイシア政府は、第二次世界大戦の間のマレイシアにおける不幸な事件に関する問題の解決が日本国とマレイシアとの間の友好関係の増進に寄与することを認め、両国間の経済協力を促進することを希望して、次のとおり協定した…日本国は、現在において二千五百万マレイシア・ドル(二五、〇〇〇、〇〇〇マレイシア・ドル)の価値に等しい二十九億四千万三千円(二、九四〇、〇〇三、〇〇〇円)の価値を有する日本国の生産物及び日本人の役務をマレイシアに無償で供与するものとする。
アメリカ信託統治領であるミクロネシアも同様に正規の「占領した連合国に対する賠償」の請求権は持たないので、これに代わる補償を得た。上述の「朝鮮に対する補償」も「占領した連合国に対する賠償に準じる賠償」の一種であるが、これはサンフランシスコ平和条約第4条で第14条とは別途に正式に網羅されている補償なので独立した項で述べた。
その他の各種請求権
タイは日本と同盟関係にあったため日本軍に占領され被害を被る事は無かったが、戦時中に日本軍が円建てで物資を調達した件に関して(特別円問題)計150億円の補償を受けている。
オランダはサンフランシスコ平和条約を締結し、その際に賠償請求権も放棄している。しかし、オランダは1956年に結んだ「オランダとの私的請求権解決に関する議定書」において、ジャワで拘留された同国民間人に与えた損害について日本から補償を受けている。これは民間人の私的請求権について賠償されたもので、日本はこれに関しオランダに1000万ドルを支払い、この額は全てオランダ政府の手により関係者個人に分配された。同議定書においてオランダはオランダ国政府およびオランダ国民がこれ以上の如何なる請求も日本国政府に対ししないことを宣言しているが、これもまた(2)オランダは既に正規の賠償請求権をサンフランシスコ平和条約において放棄しているので、準賠償その1のラオス、カンボジアとも異なる。
モンゴルは1977年の経済協力協定において「(国交回復)前に存在していた自体から生じ、かつ、両国間で解決を要する懸念は何ら存在しないことがそのときに確認されたことを想起」した上で、50億円の贈与を受けている。モンゴルはノモンハン事件および第二次世界大戦の賠償を要求しており、これに対応したものであるとされている。
この他に14件、合計75億766万円の準賠償がある(日本の戦後補償条約一覧参照)。
生産物・役務による賠償、ヒモつき援助、ODA
サンフランシスコ平和条約に基づく日本の戦争賠償の多くは「生産物や役務」を提供する形でおこなわれた。これは、同条約第14条a項1において、戦後日本がまだ経済的にも疲弊しており金銭による過剰な賠償を強制することは日本の国家としての存続をも危うくするだろうという配慮から、連合国が希望する場合には金銭のかわりに生産物や日本人の役務をもって賠償することを許したものである。第一次世界大戦後のドイツに対し膨大な賠償額を要求したことがドイツ経済を極度に疲弊させナチスの台頭と第二次世界大戦勃発の遠因になったことの反省に基づいている。
しかし、生産物や役務の提供による賠償方法は日本の賠償が「ヒモつき援助」であるという批判にも繋がった。例えばインドネシアに対する賠償においては、ホテルやデパートの建設など日本軍の戦争行為により被った損害に対する補償とは思えないものも多く含まれた。こうしたことから、日本の戦争賠償は日本のアジアにおける経済進出を助けるものであったという側面を指摘し、これを「日本が戦争責任を果たしているというイメージ」が定着しない原因の一つとして挙げる意見もある。[1] [2] とは言え、それが戦後の貧しい日本国民の税金によって賄われた賠償であり、アジア諸国の経済発展に貢献した事実に変わりはない。
また逆に、戦争賠償を日本の発展途上国に対する経済援助の始まりとして評価する見方もある。[3] [4]
賠償等特殊債務処理特別会計法
賠償・準賠償の実施を国内法において実施支援するため、1956年に賠償等特殊債務処理特別会計法が制定された(1979年に完了して廃止)。[5]
戦争被害者個人に対する補償
慰安婦に対する補償
朝鮮や中国、台湾に住む元慰安婦と其の家族は日本政府に対し謝罪と賠償を要求する訴訟を度々起こしている。そのような人々に対して同政府は「反省の気持ち」を表明しているが、日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約などの条約で賠償義務は政府間で決着済みであるとしており、裁判所でもその旨の判決が下されている。またアメリカでも訴訟を起こしたが全て却下されている。
恩給、戦傷病者戦没者遺族等援護法
日本の戦争賠償・戦後補償に関する裁判
- 731部隊細菌戦国家賠償請求訴訟
- 重慶大爆撃訴訟
- アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件
- 釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟
- 樺太残留者帰還請求訴訟
関連項目
参考文献
- 通商産業調査会『平成6年版 経済協力の現状と問題点 総論』
- 国会図書館外交防衛課、『調査と情報 第228号 戦後補償問題』
- 永野慎一郎・近藤正臣編『日本の戦後賠償-アジア経済協力の出発』
外部リンク
カテゴリ: 半保護 | 日本の戦後処理 | 歴史関連のスタブ項目