日本フィルハーモニー交響楽団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クラシック音楽 |
---|
作曲家 |
ア-カ-サ-タ-ナ |
ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
音楽史 |
古代 - 中世 |
ルネサンス - バロック |
古典派 - ロマン派 |
近代 - 現代 |
楽器 |
鍵盤楽器 - 弦楽器 |
木管楽器 - 金管楽器 |
打楽器 - 声楽 |
一覧 |
作曲家 - 曲名 |
指揮者 - 演奏家 |
オーケストラ - 室内楽団 |
音楽理論/用語 |
音楽理論 - 演奏記号 |
演奏形態 |
器楽 - 声楽 |
宗教音楽 |
メタ |
ポータル - プロジェクト |
カテゴリ |
日本フィルハーモニー交響楽団(にほん-こうきょうがくだん、Japan Philharmonic Orchestra)は日本のオーケストラ。略称は日本フィルまたは日フィル。1956年創立。1985年からは自主運営の財団法人となり、「市民とともに歩むオーケストラ」、「人・音楽・自然」をテーマとして、東京を中心に年間約160回の公演を行っている。2006年に創立50周年を迎えた。
目次 |
[編集] 指揮者・コンサートマスター
- 創立指揮者 渡邉暁雄
- 名誉指揮者 ルカーチ・エルヴィン、ジェームズ・ロッホラン
- 客員首席指揮者 ネーメ・ヤルヴィ
- 正指揮者 沼尻竜典
- 首席客演指揮者 イルジー・ビエロフラーヴェク
- ソロ・コンサートマスター 木野雅之、扇谷泰朋
[編集] 沿革
- 1956年6月22日、文化放送の専属オーケストラとして創立。楽団創設の中心となった渡邉暁雄が初代常任指揮者に就任。
- 1957年4月4日、第1回定期演奏会を日比谷公会堂にて開催。シベリウス交響曲第2番ほかを演奏。
- 1958年、ジャン・フルネ指揮によってドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」の日本初演。同年日本フィルシリーズ第1作、矢作秋雄「交響曲」初演。
- 1959年、フジテレビジョンとも専属契約を結ぶ。
- 1961年、定期演奏会の会場を東京文化会館に移行(1989年まで同会場にて開催)。
- 1962年、渡邉暁雄の指揮によって日本コロムビアにシベリウス交響曲全集を録音。世界初のステレオ録音による全集として高い評価を得る。同年、シャルル・ミュンシュを客演に招いてベートーヴェンの交響曲第9番を演奏。
- 1964年、アメリカ及びカナダで初の海外公演。以降、ヨーロッパ(4回)、オランダ、エストニア(2002年、日本のオーケストラとして初)、ハワイ(2004年)と計8回の海外公演。
- 1972年3月、フジテレビと文化放送が楽団に対して放送契約の打ち切りを通告。6月30日をもって財団法人が解散し、新日本フィルハーモニー交響楽団と分裂。「日フィル争議」始まる。
- 1973年、日本フィルハーモニー協会が発足。5月8日、第1回横浜定期演奏会を県立音楽堂にて開催。11月から12月にかけ、チェコの名指揮者ヴァーツラフ・スメターチェクが客演。12月の「第9」公演で日本フィルハーモニー協会合唱団が設立される。
- 1975年1月、第1回九州公演。4月、横浜定期演奏会の会場を神奈川県民ホールに移行(1998年まで同会場にて開催)。8月、第1回夏休み親子コンサート。
- 1976年、第1回北海道公演。
- 1981年、創立25周年を迎える。シベリウスの交響曲全集を再録音。日活映画「炎の第5楽章」封切。日本フィルハーモニー協会よりコントラ・ファゴットが贈呈される。以降、同協会による大型楽器贈呈運動により、ハープ、5弦コントラバスなどが贈呈されている。
- 1984年、フジテレビと文化放送が2億3千万円の解決金を支払い、日フィル労組が財団解散を承認して和解。
- 1985年1月、自主運営による財団法人として再出発。同年秋、分裂後初の海外公演(ヨーロッパ)を行なう。
- 1989年5月、現在のシンボルマークを導入、「人、音楽、自然」を楽団のテーマとする。9月、東京定期演奏会の会場をサントリーホールに移行、木・金2日連続公演を実施。同会場での定期演奏会実施は在京オーケストラ初の快挙となった。
- 1990年6月22日、創立指揮者・音楽監督であった渡邉暁雄が死去。10月小林研一郎が常任指揮者就任。
- 1991年1月、第1回サンデー・コンサート(東京芸術劇場)を開催。7月第1回どりーむコンサート(府中の森芸術劇場)を開催。
- 1996年、文化庁「アーツプラン21」(芸術創造特別支援事業)の初の対象団体として選ばれる。11月ヴァレリー・ゲルギエフが東京定期演奏会に客演。リヒャルト・シュトラウスの楽劇サロメを上演。マリインスキー劇場を代表する歌手たちによる公演が好評を博す。12月、事務局を杉並区に移転。以降、杉並区との友好関係を深める。
- 1998年、譚盾のオペラ『マルコ・ポーロ』の演奏会形式による世界初演(作曲家自身の指揮による)。9月、横浜定期演奏会の会場を横浜みなとみらいホールに移行。
- 1999年、東京定期演奏会の登場指揮者によるトークイベント「マエストロ・サロン」を開催。8月、「ピティナ・ピアノ・コンペティション」に「日本フィル賞」を制定。受賞者にサンデー・コンサートでの共演の機会が与えられる。
- 2000年、9月第1回大宮定期演奏会(現・さいたま定期演奏会)を大宮ソニックシティにて開催。インターネットによるチケット予約システム「かえるくん」を導入。
- 2000年、2002年、ミュージック・ペンクラブ賞日本人アーティスト最優秀コンサート・パフォーマンス賞受賞。
- 2001年6月、創立45周年記念事業として、ネーメ・ヤルヴィ指揮によってシベリウスの交響曲全曲演奏会。
- 2004年2月、小林研一郎が音楽監督に就任(2007年3月まで)。
- 2006年3月、ルカーチ・エルヴィンに名誉指揮者の称号を贈呈。ルカーチは1975年の初登場から30年に渡り定期的に日本フィルと共演していた。
- 2006年6月、杉並公会堂リニューアルオープン。新しい本拠地として演奏会を開催するほか、練習にも使用するようになる。9月2日、創立50周年記念演奏会(サントリーホール)。
- 2006年11月、ジェームズ・ロッホランに名誉指揮者の称号を贈呈。ロッホランは1980年以来26年に渡り定期的に日本フィルと共演していた。
- 2007年3月より半年間、サントリーホールの改修工事のため、東京定期演奏会の会場を東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアルに移動(7月までの5回10公演)。9月よりサントリーホールに戻り、金・土2日連続公演に変更予定。
[編集] 日本フィル・シリーズ
「日本フィル・シリーズ」は、日本フィル創立期の1958年より始められた邦人作品の委嘱シリーズ。演奏会での初演を前提とした、日本の音楽史上でも例のない委嘱制度となっている。日本の代表的な大家から新人に至るまでの幅広い作曲家が選ばれ、古典的なものから前衛まで、作品の傾向も多岐にわたる。
第1作、矢代秋雄の『交響曲』以来、現在まで39作(第8作は欠番)が財産として残されている。第40作は野平一郎の『オーケストラのための「トリプティーク」』で2006年7月13日に沼尻竜典の指揮によって初演された。
[編集] 日フィル争議
日本フィルは1956年に文化放送が設立した後、財団法人となり、フジテレビと文化放送の放送料によって運営されてきたが、1972年6月に両社はオーケストラの解散と楽団員全員の解雇を通告、放送料を打ち切り、財団も解散した。表向きの解散理由として、オーケストラの運営に多額の資金が必要なことが示されたが、その背景には1971年5月、日本フィルハーモニー交響楽団労働組合が結成され、同年12月には同労組が日本の音楽史上で初の全面ストライキをたたかったことがあった。
楽団員のおよそ三分の二はオーケストラと労働組合にとどまり、自主的な演奏活動によって運営資金の確保を図りつつ、解雇を不当として東京地方裁判所へ提訴、解決を求めた。その一方で、当時の首席指揮者であった小澤征爾を中心とする元団員によって新日本フィルハーモニー交響楽団が設立されている。
初代常任指揮者の渡邉暁雄は1969年にスイスに移住する際に日本フィルを離れたが、争議中の1978年に復帰、以後もオーケストラの精神的支柱として活動した。演奏活動が全国的に展開され、音楽家や音楽愛好家・聴衆の広範な支援を受けて争議が繰り広げられた結果、1984年3月16日、「フジテレビ・文化放送両社は労組側に2億3000万円の解決金を支払う」、「日本フィル労組はフジテレビ構内の書記局を明け渡す」などの和解が成立、争議は12年ぶりに解決した。渡邉暁雄は争議解決の1984年4月、日本フィルから「創立指揮者」の称号を贈られた。
[編集] 争議の影響
争議を題材にして今崎暁巳が『友よ!未来をうたえ/日本フィルハーモニー物語』(「正」1975年、「続」1977年)を出版。これを原作として、映画『日本フィルハーモニー物語・炎の第五楽章』(1981年日活)が製作された。(監督・脚本)神山征二郎、(音楽)林光、(指揮)渡邉暁雄、(演奏)日本フィルハーモニー交響楽団、(出演)風間杜夫、田中裕子ら。
また、12年の長期にわたった「日フィル争議」は音楽家の権利意識の向上につながり、争議の過程で全国的職能組織の日本音楽家ユニオンが結成されている。
争議の詳細については外山雄三・中村敬三『オーケストラは市民とともに―日本フィル物語』(岩波書店)にまとめられている。
[編集] 「市民とともに歩むオーケストラ」
「市民とともに歩むオーケストラ」のスローガンは、こうした争議の経験から生まれた。通常のオーケストラの演奏会では、指揮者が団員を起立させ、聴衆に礼をするのは指揮者のみであるが、日本フィルの演奏会では、指揮者が退場した後、団員が退場する際にも聴衆に対して全員が一礼する慣習がある。
精力的に展開された自主的な演奏活動から、北海道から九州に至る日本各地での公演活動が定着しているほか、1975年より始められたファミリー・コンサートや子供のための各種教育プログラムなど、聴衆育成の分野でも国内オーケストラとして際だった活動が見られる。
地域の音楽振興として、1994年に東京都杉並区と友好提携を結び、「市民のためのアウトリーチ活動」をはじめとした交流プログラムを実施している。
[編集] 外部リンク
[編集] 関連書籍
- 日本フィルハーモニー協会編著『日本フィル物語』音楽之友社、1985年
- 外山雄三、中村敬三著『オーケストラは市民とともに-日本フィル物語』(岩波書店)、1991年 (ISBN 4-000-03173-2)