出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
有馬 朗人(ありま あきと、1930年9月13日 - )は、日本の俳人・物理学者・政治家。大阪府出身。東京大学理学部物理学科卒。
[編集] 略歴
[編集] 受賞歴
[編集] 俳人としての活動
- 「失いしものをさがしに冬帽子」などの句がある
[編集] 物理学者としての活動
[編集] 政治家としての活動
- 1998年、自由民主党から第18回参議院議員通常選挙に出馬。同党の比例代表名簿1位に搭載され、難なく当選。(選挙出馬直前に埼玉大学で有馬氏を学長にしようという運動が本人のおそらく知らないところであり、一時期次期学長有力候補となったことがあった。)
- 東大総長・俳人・学者といったマルチな経験が買われ、小渕恵三の大英断によって、参院議員当選直後の小渕内閣から小渕内閣第1次改造内閣において文部大臣・科学技術庁長官に就任(1999年10月に退任)。
- 中央教育審議会会長在籍時に独自の「ゆとり教育論」を展開したが、官僚により別解釈に用いられたことを遺憾に思っている。提唱した教育論は、指導要領の増えすぎた科目を融合させること。例えば世界史と日本史を一元的に学ぶことや数学の言葉を英語で学ぶことにより知識の壁を取り払い、また科目の増化傾向を避け、応用力をつけさせることが重要と述べている。また、日本人の若者の学力は低下しているわけではないことを説明するなど、各地で行われる講演会での評判は高い。2002年、ある小さな予備校(早慶外語ゼミ)が将来の若者のためにぜひと講演依頼をした際には多忙な中でスケジュールを調整しボランティアで熱気あふれる講演したことは予備校関係者の間で伝説となっている。
- 2004年の第20回参議院議員通常選挙には出馬せず、参議院議員1期・6年で政界からは引退。
[編集] 著書
- 原子と原子核
- 量子力学
- 物理学は何をめざしているのか
- 句集母国
- 句集耳順
[編集] 浜松やらまいか大使としての活動
- 幼少期に静岡県浜松市在住だったことから、浜松市の親善大使『浜松やらまいか大使』20人の一人として2005年10月より就任。
- 先代:
- 竹山裕
|
- 科学技術庁長官
- 1999年
|
- 次代:
- 中曽根弘文
|