町村信孝
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町村 信孝(まちむら のぶたか、1944年(昭和19年)10月17日 ‐ )は、日本の政治家、衆議院議員(8期)。清和政策研究会会長。
生年月日 | 1944年(昭和19年)10月17日 |
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出生地 | 出生地:静岡県沼津市 出身地:北海道江別市 |
出身校 | 東京大学経済学部 |
学位・資格 | 学士 |
前職・院外役職(現在) | 国家公務員(通商産業省) |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
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世襲の有無 | 2世 父・町村金五(衆議院議員) |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
北海道5区 |
当選回数 | 8回 |
所属党派(現在) | 自由民主党(町村派) |
党役職(現在) | 税制調査小委員会長 |
会館部屋番号 | 衆・第1議員会館417号室 |
ウェブサイト | 町村信孝ウェブサイト |
目次 |
[編集] 概要
静岡県沼津市に町村金五の次男として生まれる(北海道江別市出身)。東京都立日比谷高等学校、東京大学経済学部卒業。 父親は町村金五(衆議院議員、北海道知事、参議院議員、自治大臣)、原文兵衛元参議院議長は従姉の夫にあたる。なお町村信孝の「信」の第3画目は、横棒ではなく縦棒であり第4画目に接触するのが正しいとされる()。
東京大学在学中は東大紛争の真っ只中で、その中で学園正常化委員会の委員長を務めた。在学中に米国ウェスリアン大学に留学。その後、通産省に入省。米国ジェトロに出向するなど海外経験も豊富。第2次橋本改造内閣で文部大臣として初入閣。その後、小渕内閣では大臣経験者ながら高村正彦外相の下で外務政務次官となる。
続く森内閣で初代文部科学大臣。小泉政権では自民党総務局長、幹事長代理、外務大臣を務めた。03年北海道知事選挙では通産省の後輩高橋はるみを擁立し、史上初の女性道知事誕生を実現。2006年自民党総裁選では安倍晋三候補の選対本部長代理として、安倍総裁の実現に奔走し、発足した政権では要職への就任が有力視されたが実現しなかった。その後、森喜朗元首相から派閥を譲り受け、町村派会長に就任。
著書に『保守の論理―「凛として美しい日本」をつくる』(2005年)がある。
[編集] 年譜
- 1944年10月17日:静岡県沼津市に内務官僚町村金五の次男としてて出生 (北海道江別市出身)
- 1969年6月:東京大学経済学部卒業
- 1969年7月:通商産業省入省
- 1974年6月:国土庁へ出向
- 1982年4月:通商産業省資源エネルギー庁石油部石油企画官を最後に同省を退職
- 1983年:衆議院議員選挙に立候補、初当選(旧北海道1区→現北海道5区、中選挙区時代の対立候補に政策科学研究所佐藤静雄)
- 1989年6月3日:文部政務次官(-8月10日)
- 1989年8月11日:文部政務次官(-1990年2月28日)
- 1997年9月11日:文部大臣(-1998年7月30日)
- 1998年7月31日:外務政務次官(-1999年10月5日。1999年9月20日から外務総括政務次官)
- 2000年3月1日:内閣総理大臣補佐官(-4月5日。教育改革担当)
- 2000年4月5日:内閣総理大臣補佐官(-7月4日。教育改革担当)
- 2000年12月5日:文部大臣兼科学技術庁長官(-2001年1月5日)
- 2001年1月6日:中央省庁再編に伴い、初代文部科学大臣(-4月26日)
- 2001年4月下旬:自由民主党幹事長代理(-2002年10月上旬)
- 2002年10月1日:自由民主党総務局長(-2004年9月)
- 2004年9月27日:外務大臣(-2005年9月21日)
- 2005年9月21日:外務大臣(-10月31日)
- 2006年10月19日:清和政策研究会会長
[編集] 家族 親族
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 町村信孝ウェブサイト(公式サイト)
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