理化学研究所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
理化学研究所(りかがくけんきゅうしょ)は、1917年に創設された物理学、化学、工学、生物学、医科学など基礎研究から応用研究まで行なう日本で唯一の自然科学の総合研究所。略称「理研」。
鈴木梅太郎、寺田寅彦、中谷宇吉郎、長岡半太郎、池田菊苗、本多光太郎、湯川秀樹、朝永振一郎、仁科芳雄など多くの優秀な科学者を輩出した。
後に理研コンツェルンと呼ばれる企業グループ(十五大財閥の1つ)を形成したが、太平洋戦争の終結と共に解体された。1958年に特殊法人「理化学研究所」として再出発し、2003年10月に文部科学省所管の独立行政法人「独立行政法人理化学研究所」に改組されて今日に至る。
目次 |
[編集] 沿革
[編集] 財団法人 理化学研究所
- 1917年に渋沢栄一を設立者総代として皇室からの御下賜金、政府からの補助金、民間からの寄付金を基に財団法人理化学研究所として東京都文京区駒込に設立された。 初代所長は菊池大麓。
- 1921年に大河内正敏が3代目所長に就任、研究室制度を打ち出す。神奈川県藤沢市の大日本醸造株式会社内に大和醸造試験所を設立し、合成酒の製造研究を開始。
- 1922年、研究室制度が発足。主任研究員に大幅な自由裁量が与えられた。主任研究員は各帝国大学の教員と兼務でもよく、研究室を理化学研究所でなく各帝国大学に置くことも自由になった。主任研究員が予算、人事権を握り、研究テーマも自主的に決める研究室制度は、理化学研究所を活性化したが、湯水のように研究費が投入された結果財政難に陥った。
- ※この年、鈴木梅太郎研究室の高橋克己が長岡半太郎や寺田寅彦の助力を得て魚のタラの肝油から世界で初めてビタミンAの分離・抽出に成功した。試作品として売り出したところ、肺結核の特効薬との噂が広まり患者の家族らが殺到する事態となった。大河内所長はその様子を見てこれを工業化することを決断し、鈴木梅太郎研究室をせきたてて4ヶ月で工業化にこぎつけた。既存の医薬品企業と提携せずに理化学研究所の自主生産で「理研ビタミン」を販売し、財政難を乗り切った。1924年には理化学研究所の作業収入の8割をビタミンAが稼ぎ出した。ビタミンAの1カプセルあたりの製造原価は1,2銭だったが、理化学研究所はこれを10銭で直接販売したため利益幅は大きかった。
- 1927年に、理化学研究所の発明を製品化する事業体として理化学興業を創設し大河内所長が会長に就任した。理化学興業と理化学研究所は工作機械、マグネシウム、ゴム、飛行機用部品、合成酒など多数の発明品の生産会社を擁す理研産業団(理研コンツェルン)を形成してゆく。最盛期には会社数63、工場数121の大コンツェルンとなった。1939年の理化学研究所の収入370万5000円のうち、特許料や配当などの形で理研産業団各社が納めた額は303万3000円を占めた。その年の理研の研究費は231万1000円だったので、理化学研究所は資金潤沢で何の束縛もない「科学者たちの楽園」だった。のちに理研コンツェルンの事業を継承した会社にはリコー等理研グループと呼ばれる企業群がある。
- 1937年に仁科芳雄研究室が日本で最初のサイクロトロンを完成させた。1943年に大型サイクロトロンを完成させた。
- 1941年、陸軍の要請を受け、仁科芳雄が中心となって原子爆弾開発の極秘研究(ニ号研究)を開始。
- 1946年、太平洋戦争終結とともに連合軍司令部の指命により理化学研究所、理研工業(理化学興業の後身)、理研産業団は解体され、仁科研究室のサイクロトロンも海中に投棄された。公職追放された大河内所長に代わって仁科芳雄が第4代所長に就任。
[編集] 株式会社 科学研究所
- 1948年、「株式会社科学研究所」(初代社長仁科芳雄)発足。財団法人理化学研究所は正式に解散した。
- 1952年、株式会社科学研究所(新社)設立。旧社は科研化学株式会社に改称し、純民間企業となる(現在の科研製薬株式会社)
- 1956年、「株式会社科学研究所法」が制定され、政府の出資を受ける。
[編集] 特殊法人 理化学研究所
- 1958年に「理化学研究所法案」が制定され、特殊法人「理化学研究所」として新たに発足した。
- 1967年、埼玉県北足立郡大和町(現在の和光市)に大和研究所(現和光本所・和光研究所)を開設、本拠地を駒込からここへ移転。
[編集] 独立行政法人 理化学研究所
[編集] 歴代理事長
[編集] 特殊法人
- 長岡治男 1958年10月~1966年10月
- 赤堀四郎 1966年12月~1970年4月
- 星野敏雄 1970年4月~1975年4月
- 福井伸二 1975年4月~1980年4月
- 宮島龍興 1980年4月~1988年4月
- 小田稔 1988年4月~1993年9月
- 有馬朗人 1993年10月~1998年6月
- 小林俊一 1998年8月~2003年9月
[編集] 独立行政法人化後
- 野依良治 2003年10月-
[編集] 研究拠点
- 国内
研究所の本拠所在地とは別の都市に研究拠点を置いているものはそれも付記。
- 本所(埼玉県和光市)
- 和光研究所(埼玉県和光市)
- 筑波研究所(茨城県つくば市)
- バイオリソースセンター
- 播磨研究所(兵庫県佐用郡佐用町)
- 放射光科学総合研究センター(SPring-8の保有は財団法人に移管)
- 横浜研究所(神奈川県横浜市)
- ゲノム科学総合研究センター
- 植物科学研究センター
- 遺伝子多型研究センター
- 免疫・アレルギー科学総合研究センター
- 感染症研究ネットワーク支援センター(東京都千代田区)
- 神戸研究所(兵庫県神戸市)
- 発生・再生科学総合研究センター
- 駒込分所(東京都文京区)
- 板橋分所(東京都板橋区)
- 海外
- 理化学研究所RAL支所(イギリス・Chilton Didcot Oxon)
- 理研BNL研究センター(アメリカ合衆国ニューヨーク州)
- RIKEN-MIT脳科学総合研究センター(アメリカ合衆国マサチューセッツ州・ケンブリッジ)
- シンガポール連絡事務所(シンガポール・Biopolis)
- 理研中国事務所準備室(中華人民共和国・北京市)
[編集] 各研究部門について
- 本所の次世代計算機科学研究センターとは、汎用京速計算機のことである。
- 和光研究所内の中央研究所では、物理学、生物・生命科学、化学等の基礎研究を行っている。事務部門・広報部門等の理化学研究所全体の支援部門も含む。
- フロンティア研究システムは、次世代研究のための先端的研究を行う部門として設置されている。
- 脳科学総合研究センターは、以前フロンティア研究センターの一部門であったが、陣容の拡充の終了、研究テーマを継続する決定が行われた事(日本学術会議)等によって、フロンティア研究センターから分離し、永続的研究センターとして位置づけられている『元グループディレクターは伊藤正男(現:沖縄科学技術大学院大学)』。
- 仁科加速器研究センターは、故・仁科芳雄名誉教授を記念する研究センターで、主として重イオン加速器やリニアック、放射光実験などの研究を行うセンターである。なお、このセンターと日本原子力研究開発機構との間で開発が行われたのが、播磨研究所のSPring-8である。
- 神戸研究所は、京都大学医学系大学院附属再生医学研究所等とのコラボレーションによって設置され、発生医学の基礎的研究と再生医学の実用化に向けた研究が行われている。また、2010年度までに近隣に理研が次世代スーパーコンピュータを整備する予定である[1]。
- 横浜研究所では、DNAからたんぱく質までの生命科学全般にわたる研究を行っており、日本最強磁場を持つ物質解析用MNRを運用し、実験を行っている。また、GRAPE-DRの兄弟機である、Protain Exploreが稼動中。
- 筑波研究所では、農林水産省附属生物資源研究所等とのコラボレーションによって、ゲノムリソースやゲノムアーカイブ等の研究を行っている。また、P-2隔離実験施設を運用している。
[編集] 組織の特徴
各拠点毎に、研究組織を持つ。一般の研究所のように、教授職、助教授職等の一般職以外の特徴を以下に示します。
フロンティア研究センターは、グループディレクター制を採用しており、グループディレクターを中心にして、研究プログラムの複数年次に渡る研究が行われている。グループディレクター制とは、任期付きの教授のようなものであり、COEプログラムのように人事権、及び予算権を持つ。
科学技術庁傘下の特殊法人であったため、主に産業界との連携が強い。例えば、パラメトロンを開発した、後藤英一名誉教授のように、論文だけではなく特許等も取得することによって、産業界からも予算を獲得して、研究資金とするためである(注:全部が、全部ではない)。そのため、グループディレクターとは、研究のプロジェクトマネージャー的な存在である。
グループディレクターが、プロジェクトマネージャーならば、プログラムディレクターはプロジェクトリーダである。グループディレクターの配下には、複数のプロジェクトリーダーが所属し、各専門別研究テーマを遂行する。つまり、グループディレクターは、一般の研究所や大学ならば、教授に相当し、プログラムディレクターは、助教授や主任研究員に相当する。
[編集] 関連項目
- 東京大学:理学部・工学部出身が多い。歴史的繋がりだけのことである。
- 京都大学:医学部・理学部出身が多い。主として、神戸研究所に勤務。
- 大阪大学:たんぱく質研究所や産業研究所などからの研究者が多い。
- 名古屋大学:理学部出身が多い。
- 東北大学:工学部出身が多い。
- 埼玉大学 地理的な近さもあって、何人かの研究員(主に主任研究員クラス)が埼玉大学客員教授に、逆に埼玉大学大学院生の研究者のタマゴが理化学研究所の研究に携わっている(近年は、本所以外にも研究所が開設されたため、そのような傾向は減りつつある。ただし、大学院生が研究補助員として雇用されていることは事実である)。
- SPring-8
- 合成清酒
- ウンウントリウム - 理化学研究所で発見された元素。理化学研究所にちなんだ「リケニウム」の名称がつけられる可能性がある。