李明博
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李明博 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 이명박 |
漢字: | 李明博 |
平仮名: (日本語読み仮名): |
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片仮名: (現地語読み仮名): |
イ・ミョンバク |
ラテン文字転写: | Lee Myung-bak |
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李 明博(イ・ミョンバク、1941年12月19日)は、韓国の政治家。前ソウル特別市市長。日本名は月山明博(-1945年)。
現代建設社長、国会議員(ハンナラ党)などの要職を歴任後、2002年のソウル市長選挙で当選し、20万人の人々を説得の末実現された清渓川復元事業の実施で実績を上げた。また、2007年末に予定されている次期大統領選挙有力候補の一人とされ、各種世論調査でも軒並み1、2位に上がっている。
[編集] 人物像
- 政界入り以前は経済人として有名で、中小企業に過ぎなかった現代建設で辣腕を振い、36才で社長に就任して韓国のトップ企業に押し上げた。現代の韓国を創った50人に選ばれるなど、韓国におけるサラリーマン神話の代表的人物とされている。
- ニックネームは「ブルドーザー」。建設業出身ということもあり開発政策が得意で、市長時代には清渓高架道路の撤去と清渓川の復元を実現した。なお、次期大統領選挙には、漢江と洛東江を結ぶ「韓半島大運河(内陸運河)プロジェクト」構想を主要公約に掲げている。
- 朴正熙政権時、日韓基本条約締結の事前段階の日韓会談反対闘争(6・3事態)を高麗大学学生会長として主導し、逮捕された。最高裁で懲役3年・執行猶予5年(服役6ヶ月)の判決を受けており、このことから朴正熙の娘で、同じハンナラ党次期大統領選挙候補のライバルである朴槿恵に対し敵愾心を抱いていると言われている[要出典]。
- 韓国の政治家の多分に漏れず、反日性向は強く、日韓併合時代に建てられた、現ソウル市庁舎を太極旗で全面覆うイベントを開催した[1]。他にも、日本の歴史歪曲教科書採択防止の為の寄付金を1億3200万ウォン集金したり、ソウル南山に建設されるユースホステルに日本の修学旅行生を誘致して竹島(韓国名・独島)領有権や日帝の残虐性を学ばせる計画案や、「石原慎太郎東京都知事は四流、五流の政治家」発言など枚挙に暇が無い。その一方で、2006年1月のダボス会議では、「一部アジアの政治指導者は、過去の歴史に縛られて、国家間の緊張を高め、未来を暗くしている」と、与党であるウリ党から「親日発言」だと批判される主張をするなど、日本への配慮をうかがわせる言動も見せている。
- 現在、国会副議長の李相得(イ・サンドゥク、이상득)は実兄である。
- 出生地は慶尚北道浦項とされていたが、後に自叙伝で日本の大阪であることを明らかにした。また当時、父親が「月山」という姓に創氏しており、本人もその姓を使用していたと兄の李相得が語っている[2]。
[編集] 略歴
- 1941年- 大阪で出生
- 1961年- 高麗大学校入学
- 1965年- 現代建設入社
- 1977年- 現代建設代表取締役社長就任
- 1988年- 現代建設代表取締役会長就任
- 1992年- 第14代国会議員当選(民自党、全国区)
- 1996年- 第15代国会議員当選(新韓国党、ソウル鐘路区)
- 1998年- 第15代国会議員辞任
- 2002年- 第32代ソウル特別市市長就任
- 2006年- ソウル特別市市長退任
[編集] 脚注
- ^ 『ソウル市庁舎、一面の太極旗 光復60周年を記念し』、朝鮮日報、2005年8月10日。
- ^ (朝鮮語)『李明博先親の姓は「ツキヤマ(月山)」だった』、韓国日報、2007年1月9日。
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