東京女子医科大学
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東京女子医科大学(とうきょうじょしいかだいがく、Tokyo Women's Medical University)とは、東京都新宿区河田町に本部を置く医科大学。略称・女子医大。女子医と略す場合もある。設置者は学校法人東京女子医科大学。6年間の学費は3500万円程度。
吉岡弥生が1900年に創設した東京女醫学校が前身。大学よりむしろ附属する医療施設が有名で、心臓病センターや消化器センター・脳神経センター・糖尿病センターなど様々な専門病院を傘下に抱えている。現在、世界で唯一の女子医科大学。
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[編集] 沿革
- 1897年(明治30年)女医吉岡弥生が東京市麹町区飯田町に東京至誠医院を開業
- 1900年(明治33年)12月5日、東京至誠医院の一室に東京女醫學校創立
- 1903年東京女醫學校は麹町区飯田町の東京至誠医院内から牛込区河田町の陸軍獣医学校跡地に移転
- 1908年河田町に東京女醫學校附属病院を設置
- 1910年同窓会として「校友会」を設立。後の至誠会の前身となる
- 1912年東京女子醫學專門學校に改称(通称 東京女子醫專)
- 1920年東京女子醫學專門學校は文部省指定校となり、卒業生は無試験で医師免許取得ができるようになる
- 1923年校友会は「至誠会」となり、東京至誠医院は「至誠会病院」となる
- 1929年吉岡弥生が北多摩郡千歳村に「至誠会病院千歳村分院」を開設(現在の至誠会第二病院)
- 1934年荒川区尾久に東京女子醫學專門學校附属第二病院を設置(現在の東京女子医科大学東医療センター)
- 1952年 東京女子医科大学設置
- 1955年 日本心臓血圧研究所(のちの心臓病センター)開設
- 1998年 看護学部設置
- 2002年 厚生労働省より「特定機能病院」の指定が取り消される
[編集] 医療事故問題
心臓手術中に人工心肺装置の事故により患者が死亡した医療事故に関連して、2002年に、装置の操作を担当した助手が業務上過失致死容疑で逮捕され、同時に、この患者のカルテを改竄したとして、講師が証拠隠滅容疑で逮捕された。この事件を受け、同年7月に厚生労働省は、大学病院の特定機能病院の承認を取り消した。その後、2004年3月の東京地裁判決で講師は有罪(懲役1年、執行猶予3年)が確定し、2005年2月には、医業停止1年6カ月の行政処分を受けた。一方、助手は過失がなく、人工心肺装置に瑕疵があったものとされ無罪となった。
人工心肺装置には、薬事法の適応外のフィルターが必要もない箇所に設置されており、このフィルターが閉塞したことが事故原因で、このことを予見できたものは誰もいなかったという主旨の判決要旨であった。
大学側が発表した内部報告書では、助手が吸引ポンプの回転を上昇させたことが、原因であるという虚偽の内容が記載されていた。この報告書の内容は、日本心臓血管外科学会、日本胸部外科学会、日本人工臓器学会からなる委員会が科学的実験や検討を行い、否定された。
さらに2006年11月、厚生労働省は大学病院に対して6ヶ月間の戒告、元講師に対して保険医登録取り消しの処分をそれぞれ下した。
[編集] 組織
[編集] 学部
- 医学部
- 看護学部
- 大学院
- 医学研究科
- 看護学研究科
[編集] 医療施設
- 東京女子医科大学病院
- 東医療センター、附属田端駅前クリニック、附属田端NSKビルクリニック
- 附属成人医学センター
- 附属膠原病リウマチ痛風センター
- 附属女性生涯健康センター
- 附属東洋医学研究所
- 附属青山病院
- 附属青山女性・自然医療研究所
- 附属遺伝子医療センター
- 附属八千代医療センター