東京慈恵会医科大学附属第三病院
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東京慈恵会医科大学附属第三病院 (とうきょうじけいかいいかだいがくふぞくだいさんびょういん)は、東京都狛江市和泉本町4-11-1にある大学病院である。略称は、「慈恵医大第三病院」であり、小田急線の狛江駅や成城学園前駅にある広告の看板には、略称で書かれている。東京慈恵会医科大学国領キャンパスに併設されている。病院の基本理念は、「病気を診ずして、病人を診よ」。
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[編集] 基礎データ
- 所在地:東京都狛江市和泉本町4-11-1
- 交通
- 病院長:坂井春男
- 看護部長:奈良京子
- 認定施設
- 日本医療機能評価機構認定病院
[編集] 診療
[編集] 特記事項
東京慈恵会医科大学精神神経科初代教授の森田正馬博士が創設した神経症(うつ病、パニック障害、強迫性障害、心気症、対人恐怖や広場恐怖など)の精神療法である「森田療法」が行われている病院である。
[編集] その他
- 東京慈恵会医科大学の創設者である高木兼寛は、「脚気」の予防策として、白米に麦をいれる、「麦ごはん」を考案したことで知られ、病院に入院をすると、週1回程度、食事の際、「麦ごはん」が出される。
- 病院内には、三菱東京UFJ銀行調布支店慈恵第三病院出張所が設置されている。
[編集] 歴史
[編集] 年表
- 1949年 学校法人慈恵大学が、東京重機(現、JUKI)より「病院用地」として、東京都北多摩郡狛江村(当時)の土地を購入。
- 1950年11月 東京慈恵会第三病院、開院。
- 1952年1月 東京慈恵会医科大学附属東京病院分院第三病院と改称。
- 1962年10月 東京慈恵会医科大学附属病院第三分院と改称。
- 1986年4月 東京慈恵会医科大学附属第三病院と改称。
[編集] 開設の経緯
年表にあるとおり、本院の歴史は、1949年に学校法人慈恵大学が、東京重機(現、JUKI)より土地を購入したことから始まる。 東京重機は、大東亜戦争前より、狛江村(当時)に本社兼工場を有していた。しかし、大東亜戦争敗戦後、東京重機の工場は、軍事工場(工場内で、銃等を製造していた。)であったということもあり、1945年10月5日に米軍第8軍96軍医大隊が接収し、1948年8月2日まで米軍の支配下に置かれた。この医大隊が利用していた施設部分を利用する目的で、1949年学校法人慈恵大学が、土地を購入し、1950年に東京慈恵会第三病院(当時)が開設された。
なお、開設当初は、狛江村役場が発行した「診療券」を持っている狛江村民は、病院に券を提示することによって、診療費が安くなる制度があった。(当時は、国民健康保険制度がない時代である。)