京王電鉄
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種類 | 株式会社 |
市場情報 | |
略称 | 京王 |
本社所在地 | 206-8502 東京都多摩市関戸一丁目9番地1 (最寄り駅は聖蹟桜ヶ丘駅) 登記上本店は東京都新宿区新宿三丁目1番24号(旧本社所在地、現・京王新宿三丁目ビル) |
設立 | 1948年(昭和23年)6月1日 |
業種 | 陸運業 |
事業内容 | 旅客鉄道事業 他(鉄道事業、土地・建物の賃貸業・販売業など) |
代表者 | 取締役会長 三枝正幸 取締役社長 加藤奐 |
資本金 | 590億2300万円(2006年3月31日現在) |
売上高 | 単体1167億9600円(2006年3月期) 連結4382億5300万円(2006年3月期) |
従業員数 | 2,143人(2005年9月30日現在) |
決算期 | 毎年3月31日 |
主要子会社 | 京王電鉄バス株式会社 京王バス株式会社 株式会社京王百貨店 株式会社京王ストア 京王不動産株式会社 京王観光株式会社 株式会社京王プラザホテル |
関係する人物 | 井上篤太郎 穴水熊雄 三宮四郎 |
外部リンク | www.keio.co.jp/ |
京王電鉄株式会社(けいおうでんてつ、英称 Keio Corporation)は、東京都南西部から神奈川県北部に鉄道路線を有する鉄道事業者で、大手私鉄の一つである。
東証第1部上場企業であり、京王グループの中核企業でもある。大手私鉄の中では多角化は控えめであり、平成不況の後各社とも不動産価格下落・流通不振・旅行低迷などに見舞われるのを尻目に健全財務を保った。
京王という名称の由来は、東京と八王子を結ぶ鉄道であることから。1998年6月30日まで、旧京王電気軌道と旧帝都電鉄の路線で発足した経緯から京王帝都電鉄(けいおうていとでんてつ 略称:京王帝都・京帝 英語表記:〝Keio Teito Electric Railway〟 英語表記略称:〝KTR〟)という社名であった。パスネットの符丁はKO。
目次 |
[編集] 歴史
現在の京王電鉄は、元々資本の異なる旧京王電気軌道(京王線の営業をしていた会社)と旧帝都電鉄(井の頭線の営業をしていた会社)が、太平洋戦争時の戦時統制を経て発足したため、それぞれ個別に記す。
[編集] 京王電気軌道
現在の京王電鉄の歴史は、1905年12月12日に、日本電気鉄道株式会社が関係官庁に電気鉄道敷設を出願したことにまで遡る。なお、この時出願した路線は、現在の京王線とは路線経路が全く異なるものであった。
後に、日本電気鉄道は1906年8月18日に武蔵電気鉄道株式会社と改称し、既に出願していた鉄道計画路線を変更した。そして、この時に出願した路線が現在の京王線の路線の経路の基となった。
その後、1910年4月12日に武蔵電気鉄道が京王電気軌道株式会社と改称し、9月21日に資本金125万円で設立された。しかし、まだ鉄道路線は有していないため、当初の営業は1911年7月4日に関係官庁より許可が出た電気供給事業のみ執り行っており、調布町・多磨村・府中町・西府村(いずれも当時の行政区分)に電気供給を行っていた。
そして、1913年4月15日に笹塚駅~調布駅間の12.2キロの電車営業と、電車の補助機関として新宿駅~笹塚駅間及び調布駅~国分寺駅間の乗合自動車営業(バス事業)を開始した。その後は1914年11月19日の新町駅(現存せず)~笹塚駅間の延伸を皮切りに、1915年5月30日には新宿追分駅(新宿3丁目付近にある追分交差点にあった駅 現・京王新宿三丁目ビルの位置)~新町駅間が、1916年6月1日には調布駅~多摩川原駅(現・京王多摩川駅)間が、10月31日には調布駅~府中駅間が延伸開業した。また、1923年5月1日には新宿駅~府中駅間の全線複線化も行っている。この他、1919年4月には多摩川原駅前での造園事業も行った。
一方、府中駅~東八王子駅(現・京王八王子駅)間は、1922年に設立された京王の関連会社である玉南電気鉄道株式会社によって1925年3月24日に営業を開始した。なぜ、府中駅~東八王子駅間が京王電気軌道によって敷設されなかったかというと、京王電気軌道が軌道法により補助金を受けられなかったためである。そのため、地方鉄道法に基づく新会社(玉南電気鉄道株式会社)を設立したものの、免許路線が中央本線に沿っている事から、結局補助金は受けることはできなかった。
そして、1926年12月1日に京王電気軌道が玉南電気鉄道を併合し、資本金1,290万円の会社となり、1927年6月1日に玉南鉄道線(府中駅~東八王子駅間)を1,067mmから1,372mmへ改軌する工事が終了し、全線軌道法による直通運転を開始した。しかし、新宿駅から東八王子駅までは乗り換えなしでは行けない状況は1928年5月22日のダイヤ改正まで続いた。
しかし、京王電気軌道は設立当初から資金難のために経営が不安定であったが、1928年12月18日に井上篤太郎が社長兼専務に就任すると、当時あった森村財閥の資本系列に属す事となる。また、資本を得た事により、1931年3月20日には、初の支線である御陵線(北野駅~御陵前駅間)が開通したり、1932年4月の高尾登山鉄道との連帯運輸の開始を皮切りに、帝都電鉄、省線電車などとも連帯運輸を行う事となる。また、御陵線のライバル路線であった武蔵中央電気鉄道の軌道線も1938年6月1日に買収し、一旦「京王電気軌道八王子線」(後に高尾線)としていたが、30日をもって廃線にしている。
後の1937年2月に資本系列が森村財閥から大日本電力(甲州財閥)に移る。そのため、甲州財閥の穴水熊雄が社長に就任し、沿線の乗客誘致政策が積極化する事となる。具体的には駅名の改称であり、例を挙げるならば、京王車庫前駅→桜上水駅・上高井戸駅→芦花公園駅・多磨駅→多磨霊園駅・関戸駅→聖蹟桜ヶ丘駅・百草駅→百草園駅・高幡駅→高幡不動駅・多摩川原駅→京王多摩川駅、など観光地である事を強調する駅名にしている。これらの駅名は、観光地駅としての地位についてはともかく、現在まで引き継がれ親しまれていることから、これらの施策には一定の先見の明があったと考えられる。
また、乗合自動車事業は1938年3月の武蔵中央鉄道のバス事業(八王子市街地で運行)買収を皮切りに、高幡乗合自動車株式会社(高幡不動駅~立川駅間で運行)と由木乗合自動車株式会社(八王子駅~由木(現在の京王堀之内駅・南大沢駅周辺の地域名称)~相模原駅間で運行)の買収を行っている。
他にも、新事業として1938年11月に不動産事業を開始した。
しかし、太平洋戦争の勃発で、1942年前半には、陸上交通事業調整法に基づき、東京市内のバス路線の東京都への譲渡や、配電統制令により電力供給事業を関東配電株式会社(いわゆる国策会社)に譲渡する事となり、経営に大打撃を与える。そして、1944年5月31日には陸上交通事業調整法に基づき東京西南地区の私鉄は1つに統合される事となり、大株主であった大日本電力は、長年京王電気軌道と競合関係にあった東京急行電鉄へ株式を譲渡する事となり、いわゆる大東急の一員となる。
[編集] 略歴
- 1905年12月12日 日本電気鉄道株式会社が関係官庁に電気鉄道敷設を出願する。
- 1906年8月18日 日本電気鉄道株式会社が武蔵電気鉄道株式会社に改称する。
- 1910年4月12日 武蔵電気軌道株式会社が京王電気軌道株式会社に改称する。
- 1910年9月21日 資本金125万円で京王電気軌道株式会社設立。
- 1913年4月15日 軌道法に基づく京王電気軌道が笹塚駅~調布駅間を開業。軌間1,372mm。
- 1914年11月19日 新町駅(現存せず)~笹塚駅間が開業。
- 1915年5月30日 新宿追分駅(現存せず)~調布駅間が全通。
- 1916年6月1日 調布駅~多摩川原(現・京王多摩川)駅間が開業。
- 1916年9月1日 調布駅~飛田給駅間が開業。
- 1916年10月31日 飛田給駅~府中駅間が開業。
- 1922年 玉南電気鉄道が設立される。
- 1925年3月24日 地方鉄道法に基づく玉南電気鉄道が府中駅~東八王子駅間を開業。軌間1,067mm。
- 1926年12月1日 京王電気軌道が玉南電気鉄道を合併する。
- 1927年6月1日 玉南が開業した区間を1,372mm軌間に変更し、軌道法適用とする。
- 1927年12月17日 下仙川(現・仙川)~調布間を甲州街道北側から南側の現在線に付け替え。
- 1928年5月22日 新宿駅~東八王子駅間の直通運転を開始。
- 1931年3月20日 御陵線(北野駅~御陵前駅間)が開通。
- 1938年6月1日 御陵線のライバル路線であった武蔵中央電気鉄道を買収、八王子線(横山車庫前駅~高尾橋駅間、後に高尾線と改称)となる。
- 1939年6月30日 高尾線を廃止。
- 1944年5月31日 陸上交通事業調整法により、東京急行電鉄に統合され、いわゆる大東急の一員となる。
[編集] 帝都電鉄(小田原急行鉄道時代も含む)
一方、井の頭線は、鬼怒川水力電気系列の帝都電鉄株式会社が同社の渋谷線として1933年8月1日に渋谷駅~井の頭公園駅間を開業させ、1934年4月1日に吉祥寺駅まで全通させたものである。
元々、同社は1928年9月24日に設立された鬼怒川水力電気系列の東京山手急行電鉄株式会社がそもそもの母体である。1930年11月15日に東京郊外鉄道株式会社と社名を変更して、1931年2月1日には1927年7月に設立されていた渋谷急行電気鉄道株式会社を合併し、同社が計画中の渋谷線を継承した。そして、1933年1月19日に帝都電鉄株式会社に改称した。理由は1932年10月1日に沿線町村のほとんどが東京市に合併された事により、「郊外」の社名がふさわしくなくなったからとされている。
また、同社は1935年には乗合自動車事業も開始したが、1940年5月1日付けで同じ鬼怒川水力電気系列の小田原急行鉄道株式会社に合併され、小田原急行鉄道帝都線となる。さらに1941年3月1日には親会社である鬼怒川水力電気が小田原急行鉄道を合併し、小田急電鉄株式会社に改称、小田急電鉄帝都線となる。そして1942年5月1日には陸上交通事業調整法の趣旨に則り、小田急電鉄株式会社は京浜電気鉄道株式会社と共に東京横浜電鉄株式会社に合併し、東京急行電鉄株式会社(いわゆる大東急)の一員となり、小田急電鉄帝都線は、東急井の頭線に改称される。
なお、大東急になる前の小田急電鉄は、主軸の電力部門を電力国家管理政策に基づき国家へ取り上げられた上、中華民国の山東半島への鉱業進出が裏目に出て経営が悪化し、先行きが暗かった。加えて、経営者である利光鶴松が高齢を理由に、小田急の経営一切を自分が見込んだ東京横浜電鉄の五島慶太に託して引退。事実上同社に身売りした。当然この背後には陸上交通事業調整法に基づく戦時交通統制があるが、小田急電鉄の場合、京王電気軌道と異なりあくまで自主的に統合に加わったのであった。
[編集] 略歴
- 1927年7月28日 渋谷急行電気鉄道株式会社が設立される。
- 1928年9月24日 東京山手急行電鉄株式会社が資本金3,400万円、利光鶴松代表の下で設立される。
- 1930年11月26日 東京山手急行電鉄株式会社が東京郊外鉄道株式会社に改称する。
- 1931年2月1日 東京郊外鉄道株式会社が渋谷急行電気鉄道株式会社を合併し、資本金3,800万円になる。
- 1931年7月 東京郊外鉄道渋谷線(渋谷駅~吉祥寺駅間)の工事が着工する。
- 1933年1月19日 東京郊外鉄道株式会社が帝都電鉄株式会社に改称する。
- 1933年8月1日 帝都電鉄渋谷線として渋谷駅~井の頭公園駅間開業。
- 1934年4月1日 井の頭公園駅~吉祥寺駅間が開業した。
- 1935年4月8日 東横乗合より乗合自動車路線を譲受(大宮八幡~久我山駅~牟礼~武蔵小金井駅間)。
- 1940年5月1日 帝都電鉄株式会社が同じ鬼怒川水力電気系列の小田原急行鉄道に合併される。
- 1941年3月1日 配電統制令に基づき主業を失った鬼怒川水力電気は小田原急行鉄道を合併、同社は小田急電鉄と改称する。
- 1942年5月1日 京浜電気鉄道と共に東京横浜電鉄に合併し、東京急行電鉄(いわゆる大東急)となる。
[編集] 大東急時代
太平洋戦争中、京王線も井の頭線も、大東急の路線となった。
京王線は、東京急行電鉄京王営業局によって、井の頭線は東京急行電鉄渋谷営業局によって、それぞれ営業が行われた。しかし、戦局が悪化する中、京王線・井の頭線共空襲などで様々な被害を受けた。とりわけ井の頭線は永福町車庫が被災し壊滅に近い状態となった。また、京王御陵線は「不要不急線」と判断され、営業休止(事実上の廃線)に追い込まれた。
[編集] 略歴
- 1942年5月1日 小田急電鉄株式会社が京浜電気鉄道と共に東京横浜電鉄に合併し、東京急行電鉄株式会社が成立。小田急帝都線は東急井の頭線となる。
- 1944年5月31日 京王電気軌道株式会社が東京急行電鉄株式会社に合併される。
- 1945年1月21日 東急御陵線(北野駅~多摩御陵前駅間)を休止。
- 1945年5月頃 代田連絡線(代田二丁目(現・新代田)~東急小田原線(現・小田急小田原線)世田ヶ谷中原(当時被災休止中、現・世田谷代田))使用開始。
- 1945年8月15日 京王線全線を軌道法に基づく軌道から地方鉄道法に基づく鉄道に変更を申請。
- 1945年10月1日 京王線全線が地方鉄道法に基づく鉄道となる。
- 1947年12月26日 東京急行電鉄株主総会が実施され、東京急行電鉄株式会社から京王帝都電鉄株式会社・小田急電鉄株式会社・京浜急行電鉄株式会社・株式会社東横百貨店が分離する事が決定する。
[編集] 京王帝都電鉄へ
太平洋戦争も終結し、京王線と井の頭線は、京王帝都電鉄株式会社の下で営業される事となる。
元来、沿革の異なる両線が同一会社となったのは、京王線がまだ路面電車当時の設備のままで脆弱であった事、また戦前の京王電気軌道のもう一つの主力であった配電事業が失われてしまっていた事、東都乗合自動車(現・国際興業バス)・藤沢自動車(現・神奈川中央交通)・中野乗合自動車(現・関東バス)などのバス会社や観光事業であった京王閣などの有力系列会社が傘下から離れてしまった事など、京王線のみの分離では戦前の京王電気軌道よりも経営基盤が弱くなり、独立が危ぶまれていたからである。
実際に井の頭線を路線に加えるように推進したのは、当時の東急京王支社長の職にあった井上定雄(後の京王帝都電鉄社長)であり、五島慶太はむしろこの案にためらったと言われる。京王線と井の頭線は沿線が重複し、合体する事で強固な経営基盤が築け、また井上は帝都電鉄出身であったため、自分の案なら古巣の井の頭線の連中も十分説得できると自信を持っていたとされる。さらに井の頭線の駅の半数以上が京王線以北にあり、沿線住民の半数以上が新宿に出る際明大前駅で京王線に乗り換えることが決定打となった。また、東京横浜電鉄が戦前経営していた京王線以北の乗合バス路線も京王帝都電鉄の所属に決まった。この他、初代社長に東横出身の三宮四郎が就任したこともあり(なお、新生小田急の初代社長は旧小田急出身の安藤楢六、京急初代社長は京浜電鉄出身の井田正一だった)、京王電気軌道の復活と言うよりは、新たな合併私鉄が誕生した趣きで再出発を期した。
それでも当初は経営状況が不安定だった(1948年度は現在の「大手私鉄」の中でも収益は最下位であった)が、1955年の高尾自動車株式会社の買収を始めとし、バス事業に本腰を入れる様になると共に、1956年の京王百花苑の開園や1959年の京王食品株式会社(現・京王ストア)、1961年の京王百貨店の設立など、沿線価値を上げる事業も開始した。
また、1960年代には、新宿地下駅の営業開始など、軌道線イメージからの脱却にも力を入れた。この他に競馬場線・多摩動物公園線・高尾線・相模原線の開業や、東京都交通局(都営地下鉄)新宿線との相互直通乗り入れ開始など、発展の道を歩んだ。
[編集] 略歴
- 1948年6月1日 1947年12月の東急株主総会で決定した通り、京王線と井の頭線は京王帝都電鉄株式会社(資本金5000万円・従業員1,944名)の下で営業を開始する。
- 1949年9月27日 新宿駅~調布駅間で急行列車の運行を開始する(京王史上初の優等列車運行開始)。
- 1953年6月24日 株式会社京王帝都観光協会(現・京王観光)を設立し、観光事業を本格的に取り組む様になる。
- 1955年4月29日 競馬場線(東府中駅~府中競馬正門前駅間)が開通する。
- 1955年7月9日 高尾自動車株式会社(現・西東京バスの一部)を買収する。
- 1956年2月29日 奥多摩振興株式会社(現・西東京バスの一部)を買収する。
- 1956年6月16日 京王多摩川駅前に京王百花苑(現・京王フローラルガーデンAnge)を開園する。
- 1957年3月 百草園を買収する。
- 1959年9月1日 京王食品株式会社(現・株式会社京王ストア)を設立する。
- 1961年3月10日 株式会社京王百貨店を資本金2,500万円で設立する。
- 1963年4月1日 新宿地下駅運用開始。当初は4線あったが、後に8両編成運用開始にあわせて3線となる。
- 1963年8月4日 架線電圧を600Vから1,500Vに昇圧。
- 1963年10月1日 新宿駅~東八王子駅間で特急列車運転開始。
- 1963年10月1日 西東京バス株式会社を設立する。
- 1963年12月11日 東八王子駅を新宿方に120m移転し、京王八王子駅と改称。
- 1964年1月25日 井の頭線車両である3000系が1963年度ローレル賞を受賞する。
- 1964年4月21日 京王線開業以来の運行上のネックであった中河原駅~聖蹟桜ヶ丘駅間の多摩川鉄橋が複線となる。
- 1964年4月29日 多摩動物公園線(現・動物園線、高幡不動駅~多摩動物公園駅間)が開通する。
- 1964年7月18日 京王線車両である5000系が1964年度ローレル賞を受賞する(2年連続の受賞)。
- 1966年3月31日 関東交通株式会社と関東タクシー株式会社を買収し、タクシー事業へ進出する。
- 1967年10月1日 高尾線(北野駅~高尾山口駅間)が開通する。同時に新宿駅~高尾山口駅間の特急列車運行開始。
- 1968年1月1日 特急「迎光号」が新宿駅~高尾山口駅間の運行を開始する(毎年正月のみ運行)。
- 1968年5月11日 京王線に関東の通勤車では初、ロングシート車では日本初の冷房装置付き車両が入線、運行開始。
- 1969年2月25日 井の頭線に冷房装置付き車両が入線、運行開始。
- 1969年4月10日 株式会社京王プラザホテルを設立する。
- 1971年4月1日 相模原線の京王多摩川駅~京王よみうりランド駅間が開通する。
- 1971年12月15日 井の頭線で急行列車運行開始。
- 1972年5月29日 御岳登山鉄道株式会社を傘下に収める。
- 1974年6月1日 全駅に自動券売機設置が行われる。
- 1974年10月18日 相模原線の京王よみうりランド駅~京王多摩センター駅間が開通する。
- 1977年11月 在籍車両が500両を突破する。
- 1978年10月31日 京王新線(笹塚駅~新線新宿駅間)が開通し、新宿駅~笹塚駅間が別線線増の形で複々線化される。
- 1979年10月3日 飛田給~武蔵野台間にて下り特急電車がトラックが積んでいた重機と衝突して脱線した上り急行電車と衝突。トラックの運転手は死亡、乗客52人が負傷し先頭車1両が大損傷する事故が発生。
- 1980年3月16日 京王線・都営新宿線の相互乗り入れを開始する。
- 1984年3月21日 井の頭線が3000系で統一され、車両冷房化率100%となる。
- 1984年3月31日 京王・井の頭線全線の手・小荷物取り扱いを廃止する。
- 1988年3月14日 本社を新宿三丁目から聖蹟桜ヶ丘駅前に移転。
- 1988年5月21日 相模原線の京王多摩センター駅~南大沢駅間が開通する。
- 1989年11月24日 現在使用している「KEIO」のCIシンボルマークが制定され、以後車両や駅などにこのロゴが貼り付けられる。
- 1990年3月20日 相模原線の南大沢駅~橋本駅間が開通し、全線開通。
- 1990年4月16日 八王子市堀之内の京王研修センター内に京王資料館(通常一般非公開)を開設する。
- 1992年5月28日 相模原線で特急列車運行開始(2001年3月26日まで)。
- 1992年10月1日 京王線の車両である8000系が通商産業省(現・経済産業省)のグッドデザイン商品に選定される。
- 1992年12月26日 京王線が車両冷房化率100%となる。
- 1994年4月1日 全駅で喫煙所を除き禁煙化を実施。
- 1994年5月 京王線全線で弱冷房車を導入する。
- 1996年1月9日 井の頭線用の車両1000系が運用開始。
- 1996年6月 井の頭線全線で弱冷房車を導入する。
- 1996年12月1日 京王線の車両である5000系が引退。
- 1997年6月2日 公式ホームページを開設する。
- 1998年7月1日 会社設立50周年を機に京王帝都電鉄株式会社が京王電鉄株式会社に改称する。
[編集] 京王電鉄
1998年7月、京王帝都電鉄は、会社設立50周年記念として、京王電鉄株式会社へ改称した。
路線開通などはないものの、調布駅付近立体交差事業やパスネットの導入など、「乗客が利用しやすい鉄道」を目指している。
[編集] 略歴
- 1998年7月1日 会社設立50周年を機に京王帝都電鉄株式会社から京王電鉄株式会社に改称する。
- 1999年7月28日 競馬場線にてワンマン運転を開始する。
- 1999年9月17日 4月1日の労働基準法改正に伴って京王史上初の女性車掌が井の頭線に誕生する(太平洋戦争の男子職員不足から動員された女子職員を除く)。
- 2000年1月19日 日本初の取り組みとして、京王電鉄と中央化学株式会社が共同開発した、使用済み定期乗車券を材料とするベンチを製造し、新宿・府中・聖蹟桜ヶ丘の各駅に設置し、その後各駅に順次設置された。
- 2000年3月24日 多摩動物公園駅前に京王れーるランドを開園する。
- 2000年6月18日 日本初の取り組みとして、本物の電車を利用してフリーマーケットを実施する「電車DEフリマ」が開催される。
- 2000年8月21日 日本初の取り組みとして、電車内の優先席付近で携帯電話の電源を切ってもらう啓発運動を開始する。
- 2000年10月14日 鉄道共通カードシステム「パスネット」の稼動を開始。また同時に関東初の取り組みとしてパスネットを2枚投入できる「精算機能付き新型自動改札機」を全駅に設置する(~2001年5月30日)。
- 2000年12月7日~12月22日 「女性専用車両」の試行が深夜時間帯の臨時列車にて行われる。
- 2001年1月24日 京王線車両である9000系が運用開始。
- 2001年3月 全列車に「転落防止幌」を設置する。
- 2001年3月27日 ダイヤ改正が実施され、京王線平日深夜時間帯に「女性専用車」が導入される。相模原線の特急が急行に種別変更され、準特急が新宿~高尾山口間を中心に運行されるようになった。
- 2001年6月22日 京王線に史上初の女性車掌が登場する。
- 2001年10月1日 京王線車両である9000系と飛田給駅舎が(財)日本産業デザイン振興会のグッドデザイン賞を受賞する。
- 2001年11月6日 国土交通省より認定鉄道事業者の認定を受ける(JR以外の企業では史上初)。
- 2002年3月 「列車運行情報サービス」を開始する。
- 2002年8月1日 京王電鉄バス株式会社に京王電鉄が所有していたバス事業に関する全権を引き継がせる。これにより京王電鉄自体はバス事業から撤退する。
- 2002年10月 京王線の車体塗装を「アイボリー地に臙脂帯」から現行の「ピンクと紺色の2色帯」塗装に変更する。
- 2002年12月21日 主要駅にて「無線LANサービス」を開始する。
- 2003年3月25日 全駅に新型自動券売機を設置する。これに伴い定期券を発行できるサービスを開始する。
- 2003年5月1日 健康増進法施行に伴い全駅において「終日全面禁煙」となる。
- 2005年6月29日 英文社名をKeio Electric Railway Co.,Ltd.からKeio Corporationに変更。
- 2006年1月23日 従来より設置していた「優先席」の数を増設し、同時にその周辺を「おもいやりぞーん」とすると共につり革がオレンジ色の三角型になる。
- 2006年4月21日 井の頭線吉祥寺駅構内にて列車が車止めに衝突、連続運転無事故記録が23期で途切れる。
- 2006年6月京王井の頭線の1000系3次車が全検を受けた際、車両の両端が全席、初めて青色に統一される。
- 2007年3月18日 PASMOを導入。
[編集] 路線
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京王電鉄は、6路線84.7kmの鉄道路線を有するが、先述した通り、大きく分けて京王線系統と井の頭線の2つのグループから成っている。1975年(昭和50年)5月に阪神電気鉄道が北大阪線・国道線・甲子園線を廃止するまで、当時の京王帝都電鉄の営業キロ75.8kmは、大手私鉄の中で営業キロ数がもっとも短かった。
信号の速度制限は減速京王線系統75km/h井の頭線70km/h、注意45km/h、警戒25km/hであり、ATSは前方の現示が上位に変化しても地上子を超えるまで一旦受けたATS制限速度は変化しない。
[編集] 京王線系統
京王線系統の軌間は1,372mmのいわゆる「馬車軌間」である。これは京王線系統の元となった京王電気軌道が地方鉄道法ではなく軌道法によって建設された事に起因する。つまり、京王線は路面電車由来の路線であり、これが都電荒川線や東急世田谷線といった軌道法に準拠して建設された鉄道と同様の軌間を持つ理由である。
なお、この軌間を持った大手私鉄は過去には京成電鉄と京浜急行電鉄(当時は京浜電気鉄道)が存在した。これも軌道線を出自に持つ鉄道である。いずれにしても、これらは馬車軌間であった東京市電への乗り入れを考慮しての軌間の選択という事ができる。ただし京王線と東京市電の接続はなかったが、戦時中に下高井戸駅で現東急世田谷線(当時は玉川線支線)と京王線を接続して物資輸送を行ったことがある。
関東大震災時に車両が大量に被災した横浜市電向けに京王電軌より旧型単車車両の譲渡が行われているが、当時馬車軌間で共通していた京王電軌-東京市-京浜電鉄-横浜市の間で自走により回送された記録がある。この際も東京市側に車両を転線するには、両線の線路の接近した交差点で惰性を付けて道路上を走らせ(脱線させ)転線したという。
1950年代になり、監督官庁からの要請や、都営新宿線乗り入れに向けて標準軌(1,435mm)に改軌する事も検討され、1960年代に製作された5000系や2010系車両は、標準軌への改軌を考慮した設計がされていた。実際京成電鉄は浅草線との直通のためこれを行ったが、一方で京王では莫大な費用が掛かる事や、長期運休を必要とするなどの問題点もあり、実現しなかった。そのため、都営新宿線は京王線に合わせた1,372mm軌間で建設されることになった。都営地下鉄側から見れば、この譲歩によって後年の大江戸線開業まで全ての異なる軌間の路線を有する結果になり、汐留における大江戸線・浅草線間連絡線の運用開始まで路線間での工場業務の統合が不可能であった。
[編集] 現有路線
- 京王線:新宿駅~京王八王子駅(37.9km)
- 相模原線:調布駅~橋本駅(22.6km)
- 競馬場線:東府中駅~府中競馬正門前駅(0.9km)
- 動物園線:高幡不動駅~多摩動物公園駅(2.0km)
- 高尾線:北野駅~高尾山口駅(8.6km)
[編集] 廃止路線
- 御陵線:北野駅~多摩御陵前駅(6.2km)(北野駅~山田駅間は現・高尾線と同じ路線)- 1945年1月21日休止、1964年11月26日廃止
- 高尾線(軌道線):八王子駅前駅~高尾橋駅、東八王子駅前駅~横山町駅(計8.4km)- 1939年6月30日全線廃止
[編集] 井の頭線
帝都電鉄に由来する井の頭線の軌間は、狭軌の1,067mmである。
[編集] 現有路線
[編集] 廃止路線
[編集] 車両
京王線・井の頭線とも通勤・通学輸送に特化している事情から、1948年の発足以来、導入車両はすべてロングシート車のみである。戦前、京王電軌時代にはクロスシート車として150形(後の2150形)が運用されていたが、戦時中にロングシートに改造された。また5000系にも特急車両としての設備からボックス席を設ける構想が何度かあったが、ラッシュ対策で見送りになっている。
相模原線の若葉台駅、京王線の桜上水駅と高幡不動駅、井の頭線の富士見ヶ丘駅の4ヶ所に車両基地が設けられており、桜上水駅以外のそれぞれに併設している検車区で管理・修繕を行っている。なお全般・重要部検査及び大規模な修理や改修の業務は若葉台駅にある若葉台工場にて行っている。井の頭線車両についても全般検査の時は富士見ヶ丘で車両の機器を取り外して陸送して若葉台で行われる。若葉台工場は京王電鉄内の事業子会社化に伴い、子会社の京王重機整備の施設としても稼動している。
都営新宿線でのATC機器との干渉のため、インバータ制御車の新宿線への乗り入れはできなかったが、2005年5月のデジタルATC化に伴い解禁され、2006年3月よりそれまでの6000系(6030番台)8連、8連+2連の10連に加えて9000系(9030番台)の10連が直通運用に当たっている。
2007年2月26日現在、事業用車を除くと京王線用730両、井の頭線用145両、計875両を保有する(このうち運用を外れている車両については6000系の項を参照)。各系列の詳細、使用線区、運用などについては、それぞれの記事を参照されたい。
電動車は運転台の有無に関わらず「デ」を用いる(電動旅客車は運転台の有無に関わらず「デハ」)。これは東京急行電鉄と合併した大東急時代に定められたもので、合併した他社も同様である。なお、制御車(制御付随車)は「クハ」、付随車は「サハ」を用いる。
京王線系統の車両は、乗り入れの都営車を含めて全先頭車に密着連結器と電気連結器を装備する。1967年(昭和42年)の高尾線開通に伴う分割特急開始時に5000系に装備したのが始まりである。井の頭線車両は密着自動連結器を装備する。
集電装置は菱形パンタグラフまたはシングルアーム形パンタグラフで下枠交差形の採用はない。1000系、3000系、8000系で長期に渡りシングルアーム形を試験搭載していた後、9000系から本格採用され、近年では従来車に対しても交換が進んでいる。過去には京王線系統での高速運転時の集電性向上を目的として、井の頭線3000系と京王線系統の車両でパンタグラフの交換が行われたことがある。
前照灯は現在では終日点灯である。急行系列車では、新宿線内も含め先頭車は標識灯(急行灯)を点灯させる。点灯する場合は種別に関わらず左右両側点灯である。なお、ダイヤ上急行系列車として運転する列車で点灯させるため、回送列車でも点灯列車もあり、また、快速列車は相模原線内では標識灯を消灯する。
なお、京王電鉄では、快速、通勤快速、急行、準特急、特急、回送のうちいずれも急行系列車という呼び方をし、優等列車とは呼ばない。
現在使用されている車両の運転台は、3000系を除き、乗り入れ車を含め力行4段・常用制動7段のT型ワンハンドルマスコンに統一されており、3000系以外はATS照査速度(低速域を除く)が速度計の周りに表示される。2000年(平成12年)度以降の新造車は高運転台構造となっている。動物園線・競馬場線列車を除き、営業列車の先頭に立つ運転台には原則としてTNS(トレインナビゲーション装置)というディスプレイ装置が設置されており、次の停車駅等を表示する。この画面にはアナログ表示の時計も表示される。TNS導入の経緯については別項を参照頂きたい。遮光幕は全ての乗務員室仕切り窓に設置されている。電気笛は京王線と井の頭線で異なるタイプを使用している。空気笛(タイフォン)は、上りと下りで音階が異なる。(下りの方が高い)
2007年現在在籍している車両は、事業用車を除き以下のような系列となっている。
[編集] 京王線用
[編集] 井の頭線用
[編集] 付番方法
十位と百位は1000系(初代)・2000系(2代目)以降、以下のように分類される。
- 百位
- 0~4:電動車
- このうち1000系(初代)・2000系(2代目)の百位0、5000系の百位1、6000系・7000系の百位4は制御電動車、およびユニットを組む車両。
- 5~6:付随車
- 7~8:制御車
- 0~4:電動車
- 十位
- 0~4:電動車は主制御装置搭載。制御車は新宿・吉祥寺方。
- 5~9:電動車は主制御装置搭載車とユニットを組成。制御車は八王子・渋谷方。8000系までの付随車は補機搭載。但し、例外的に5070系のデハ5070形は新宿方制御電動車。
系列によっては20番台や30番台が存在するが、それについては各系列記事を参照されたい。
[編集] 京王線用事業用車
[編集] 乗り入れ車両
[編集] 廃車・転出
- 京王線系統
- 井の頭線系統
[編集] 車両基地
京王電鉄の車両検修施設を参照のこと。
[編集] 運賃
大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2004年12月1日現在。
キロ程 | 運賃(円) |
初乗り4km | 120 |
5~6 | 130 |
7~9 | 150 |
10~12 | 170 |
13~15 | 190 |
16~19 | 230 |
20~24 | 270 |
25~30 | 310 |
31~36 | 330 |
37~43 | 350 |
44~48 | 370 |
相模原線京王多摩川~橋本間を利用する場合(他の区間にまたがる場合も含む) は当該区間の乗車キロに応じて以下の加算運賃がある。
キロ程 | 運賃(円) |
1~8 | 10 |
9~13 | 20 |
14~16 | 40 |
17~19 | 60 |
20~22 | 80 |
[編集] 割引乗車券
- 京王アミューズメントパスポート
- 高尾山割引乗車券
- TOKYO探索きっぷ
また、山手線西側に発着する鉄道として、西武鉄道とともに東京地下鉄線内フリーの“○○東京メトロ”パスの発行・発売がない。
[編集] 提携など
[編集] グループ企業
京王グループを参照。
[編集] その他特記事項
- 通勤車による特急と準特急を運転しているが、特急料金は不要である。
- かつて、行楽特急電車に「高尾」(高尾山口行き)と「陣馬」(京王八王子行き)の愛称を付与していたが、現在はその愛称はない。これに代わって最近になって「迎光EXPRESS かがやき」が年末年始の終夜運転時に運行される。
- 特急料金不要の特急と準特急の高速運転には定評がある。最高速度は京王線が1971年4月に95km/hから105km/hとなったのち、相模原線が1997年12月に、京王線調布駅~京王八王子駅間が2001年3月にそれぞれ110km/hに引き上げられている。
- 1997年12月28日、戦後初の運賃実質引き下げを行った。特定都市鉄道整備積立金による特定都市鉄道整備事業の完了のため、積立金分を取り崩して運賃を改定した事で、実質全区間で値下げとなった。積立金の還元は2007年12月28日まで行われ、還元終了時に通常運賃に戻す値上げを行う事になる。
- 中央線における「婦人子供専用車」の1973年の廃止以後で、全国に先駆け女性専用車両を復活させた。2000年12月7日に試行的に導入され、2001年3月27日のダイヤ改定以降本格的に導入された。新宿駅を23:00以降に発車する急行系の列車で実施されている。その後2005年5月9日からは平日の朝(新宿駅と新線新宿駅に7:30~9:30に到着する準特急・急行・通勤快速)・夕方・夜(新宿駅を18:00~22:40に発車する特急・準特急)・深夜(新宿駅を22:50以降に発車する急行・通勤快速・快速)にも拡大されている(当面は試験導入)。
- 沿線に多くの撮影所や芸能事務所がある関係から、他の私鉄路線と比べてその方面の需要もあり、京王電鉄としての宣伝効果が期待できるという側面もあるため、京王線ではいろいろな広告・CM・ドラマの撮影が行われている(ただし撮影数が他社より大幅に多いものの、最初に鉄道敷地内での撮影を認めたのは京王ではなく京成電鉄である)。撮影に駅を用いる場合は、普段乗客の少ない府中競馬正門前駅や多摩動物公園駅で行われる事が多い。また、撮影用の回送電車を運転することもある。原則として車内や構内での撮影は有料であるが、特に会社が認めた場合は無料で行うことができる。
- 沿線にサンリオピューロランドがある関係でドアの下部に貼付している警告ステッカーにはハローキティを起用している。上記の様に撮影に使用された場合は版権上修正処理がなされるか、一時的にステッカーを剥がす場合が多い。
- 過去には京王八王子行きと橋本行きの調布駅での分割運用も想定していたようで、一部車両の方向幕には「京王八王子・橋本」の表示が存在するが、実際に営業で使われたことは一度もない。
- 多摩動物公園駅前に鉄道PR施設として「京王れーるランド」がある。また東京都八王子市堀之内には、京王研修センターの構内に通常一般には非公開の京王資料館という、京王に関する品々を集めた資料館がある。
- 1970年後半までは各駅の駅名表示板の隣接駅名の所に駅間キロ数の表示がされていたが、1980年の都営新宿線の乗入れ開始の頃に表示板をリニューアルして廃止された。このような営業キロ数の表示は他鉄道事業者では見られない例であった。
- 運転保安度向上のため、ATCへの切り替えが計画されている。
- 京王線内の駅自動放送の女性アナウンスは声優の大原さやかが担当している。ただし、高尾駅・分倍河原駅(禁煙放送除く)・東府中駅・飛田給駅・八幡山駅のアナウンスは旧型であり、別の人が担当している。
- 日本中央競馬会の重賞競走京王杯2歳ステークス、京王杯スプリングカップ(いずれもGII)に優勝杯(京王電鉄株式会社賞)を提供している。
- 特製ヘッドマークの取付が、西武鉄道と並んで多い。年4回程度、季節に合わせた交通安全運動のヘッドマークを取付けたり、イベント開催時に特製のヘッドマークを取付けることがある。
- 列車の運行情報などを運転士や、駅の職員に直接伝えるために、現在でもポケットベルを使用している。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
大手私鉄 | 東京急行電鉄・小田急電鉄・京王電鉄・京成電鉄・京浜急行電鉄・相模鉄道・西武鉄道・東武鉄道・東京地下鉄 |
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中小私鉄・第三セクター等 | 新京成電鉄・北総鉄道・箱根登山鉄道・埼玉高速鉄道・東葉高速鉄道・横浜高速鉄道・首都圏新都市鉄道・伊豆箱根鉄道・関東鉄道・江ノ島電鉄 |
公営事業者 | 東京都交通局・川崎市交通局・横浜市交通局 |
モノレール・新交通システム | 多摩都市モノレール・ゆりかもめ・千葉都市モノレール・横浜新都市交通・舞浜リゾートライン |
バス(発行事業者のみ) | 伊豆箱根バス・神奈川中央交通・関東バス・京浜急行バス・西武バス・東急バス・西東京バス・富士急行・山梨交通・江ノ島電鉄・京王電鉄バス・国際興業・箱根登山バス・船橋新京成バス・小田急バス・立川バス・川崎鶴見臨港バス・京成バス・相模鉄道・千葉交通・東武バスセントラル・日立自動車交通・平和交通 |
相互利用 | JR東日本他(Suica) |