松下浩二
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生年月日: | 1967年8月28日 |
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没年月日: | |
最高世界ランク: | 17位 |
利き腕: | 右 |
グリップ: | シェークハンド |
戦型: | カット主戦型 |
ファア面ラバー: | 裏ソフト |
バック面ラバー: | 粒高 |
松下浩二(まつした こうじ、1967年8月28日 -)は、日本の卓球選手。愛知県豊橋市出身。日本を代表するカット主戦型の選手である。
目次 |
[編集] 略歴
[編集] 小学生~大学生
小学3年生のときに、双子の弟の松下雄二とともに卓球を始める。全国中学校卓球大会では2年と3年にシングルスで決勝に進出するも、同い年でその後ダブルスのパートナー且つライバルとなる渋谷浩に敗れる。桜丘高等学校に進学し、インターハイでは2年と3年にシングルスの決勝に進むものの、再び2年連続で渋谷に敗れた。その後、明治大学文学部に進学して渋谷とチームメイトとなり、ダブルスのペアを組むようになる。1987年の世界選手権ニューデリー大会で世界選手権初出場を果たし、同年の全日本選手権男子ダブルスで初優勝。1989年にはスウェーデンリーグ1部のファルケンベリに1シーズン所属してプレーした。この時の経験が、後にプロ選手となることに影響を与えたと本人は語っている。
[編集] 日本初のプロ卓球選手
その後、協和発酵に入社し、1992年のバルセロナオリンピックに出場。1993年の1月に日産自動車へ移籍、同年4月に日本卓球界初のレジスタード・プロプレーヤーとなった(現在ではレジスタード・プロ制度は廃止され、プロ選手とアマチュア選手の区別は無い)。プロ選手となった直後の世界選手権イエテボリ大会の代表には選出されなかったが、その年の全日本選手権男子シングルスで初優勝を果たした。1995年にはグランプリへ移籍し、全日本選手権男子シングルスで二度目の優勝を飾る。1996年のアトランタオリンピックでは、男子シングルスでベスト16、男子ダブルスでベスト8の成績を残した。
[編集] ブンデスリーガへ参戦
1997年には、世界選手権マンチェスター大会の男子ダブルスにおいて渋谷とのペアで3位に入賞し、日本勢として世界選手権の個人戦で14年ぶりにメダルを獲得。また、国内での所属をミキハウスを変えるとともに、ドイツ・ブンデスリーガ2部のプリューダーハオゼンに移籍し、日本人選手として初めてブンデスリーガでプレーした。2部リーグで35勝3敗の成績を挙げ、翌シーズンからは1部リーグのボルシア・デュッセルドルフに移籍、1999/2000年シーズンではヨーロッパチャンピオンズリーグで優勝を果たす。2000年の世界選手権クアラルンプール大会男子団体では9勝1敗の成績で3位入賞の立役者となり、シドニーオリンピックでは男子シングルスでベスト16に入った。2000/2001年シーズンにはフランスリーグのセスタスへ移籍し、フランスリーグでプレーした初めての日本人選手となる。その後、国内へ活動の拠点を移し、2001年と2002年の全日本選手権男子シングルスで連続優勝を達成、2004年のアテネオリンピックで4度目のオリンピック出場を果たした。2005年4月からは再びグランプリに所属している。
[編集] チームマツシタ
選手生活と平行して、2001年7月に株式会社チームマツシタを設立。選手のマネンジメントや大会の運営などの活動も行っている。
[編集] 主な戦績
- 1993年 全日本選手権大会 男子シングルス優勝
- 1995年 全日本選手権大会 男子シングルス優勝
- 1997年 ITTFプロツアー・カタールオープン 男子ダブルス優勝
- 1997年 世界選手権マンチェスター大会 男子ダブルス3位
- 2000年 世界選手権クアラルンプール大会 男子団体3位
- 2001年 全日本選手権大会 男子シングルス優勝
- 2002年 全日本選手権大会 男子シングルス優勝
- 全日本選手権大会 男子ダブルス優勝7回
[編集] 外部リンク
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