マンチェスター
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マンチェスター(Manchester)は、イングランドの北西部、大マンチェスタ州に位置する工業都市。人口は441,200人(2005年)で、北部イングランドを代表する大都市であり、歴史的には産業革命において中心的役割を果たしたことで知られている。20世紀になって綿工業などが衰退し、19世紀にイギリス経済や世界経済で占めていたほどの地位からは外れているが、今日では商業・高等教育・メディア・芸術・大衆文化などの北部の中心地であり、実際にはバーミンガムがイギリス第二の都市とされているものの「イギリス国内ではロンドンに次ぐ都市だ」という自負を持つ。都市圏全体では人口2,240,230人に上る。
マンチェスター都心市街地は、19世紀の産業革命期に街が急発展した際に整備された運河や製粉所のネットワークが残っており、イギリスはこれを、ユネスコの世界遺産委員会に提出した世界遺産候補の「暫定リスト」に掲載している。今後の審査によっては世界遺産に登録される可能性がある。
マンチェスターという名の由来は、古代ローマの領土だった時代のラテン語名「マムシアム(Mamuciam)」(ケルト語の地名「mamm」をラテン語風に読み替えたものであり、元の意味は「胸」「乳房のような丘」ではないかと思われる)と、古英語の「ケステル(ceaster)」(ラテン語で駐屯地や城を意味する「castra」から来ており、町という意味)を合わせたものである。
マンチェスターは都市州・大マンチェスタ州の一部を占める都市区であるが、市の地位を持っている。
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[編集] 地勢
アーウェル川、メドロック川、アーク川の合流点に位置する工業都市である。産業革命以降、綿織物工業の中心都市として発展した。近隣の都市としては、約50キロ西のリヴァプール、約60キロ北東のリーズ、約55キロ東のシェフィールドなどが挙げられる。なお、英国第2の規模の国際空港であるマンチェスター空港は、同市のみならず上記の都市へのアクセスにも広く使われている。
マンチェスターの緯度はおよそ北緯53度で樺太よりも更に北である。更に内陸部に位置していることもあって、冬季は気温差がやや大きく冷え込みも厳しい。しかしイギリス・アイルランド周辺を流れるメキシコ湾流の影響で基本的にはほぼ温暖であり、一年を通じて平均的な降水量がある。
市域は東西約9km、南北19kmで面積は115.65平方キロメートルあり、大半が可住地・市街地となっている。南部は学生街・公園地帯として発展し、中心部はオフィス街や商業地、移民による居住地などが展開されている。マンチェスターの人口の約1.5%は中国系住民であり、市中心部にはイギリス有数の規模のチャイナタウンがある。
[編集] 歴史
古代ローマ帝国によって建設された砦が、マンチェスターの起源である。産業革命が進展する中で、綿織物工業の中心都市として成長した。1830年にはリヴァプールとの間に鉄道が開通し、マンチェスターで生産された綿織物がリヴァプール経由で世界中に輸出された。19世紀前半のイギリスでは、穀物法の是非をめぐって国内対立があったが、この街でコブデン、ブライトらが反穀物法同盟を組織した。(穀物法は1846年に撤廃へと追い込まれた。) 産業革命の進展は、一方ではスラムなどの深刻な都市問題を引き起こした。ドイツのエンゲルスが「イギリスにおける労働者階級の状態」を著したのも、この街に2年ほど滞留した経験に基づいたものである。
第二次世界大戦の際、ドイツによる激しい爆撃を受けたが、戦後に復興を果たした。主力産業が衰退したため最盛期と比較して人口は半分強ほどになっているが、代わってメディアや研究施設、金融機関などが集中し町は徐々に勢いを取り戻しつつある。約44万人の総人口のうちおよそ9%がインド人をはじめとする東南アジア人で、5%が黒人、1.5%が中国人である。バーミンガムと並んでイギリスの地方都市としては有色人種の割合が比較的高いが、これもまたマンチェスターの国際性をあらわすデータの一つであろう。
[編集] 人口
1881年から2005年までのマンチェスターの人口の推移 | |||||
1881年 | 1911年 | 1931年 | 1961年 | 1981年 | 2005年 |
516 868 | 711 941 | 751 292 | 612 537 | 437 660 | 441 200 |
マンチェスターは産業革命の進展と共に急成長し、1851年には30万人以上の人口を擁していた。更にその後も順調に発展を続け1930年代には市域人口がおよそ75万人に到達し、ロンドン・リバプール・バーミンガムに次ぐ大都市として英国経済を支えた。
しかしその後イギリスは『英国病』と呼ばれる長期不況に突入。マンチェスターは主力の繊維産業や日用品製造などの軽工業が衰退し、人口は急激に減少していった。それと共に中心部には放置された空き工場や無人住居、空き地、倉庫などが目立つようになっていく。1980年代、サッチャー政権による地方自治推進政策や産業構造転換により街は徐々に息を吹き返し、金融機関や新聞社・テレビ局などのメディア企業、学術機関、研究所などが立地するようになり人口は2000年前後にようやく下げ止まり、増加に転じた。現在では市域内人口こそ全国第9位(ロンドン、バーミンガム、リーズ、グラスゴー、シェフィールド、ブラッドフォード、エディンバラ、リバプールに次ぐ)であるものの、国全体の都市の位置づけとしてはバーミンガムなどと並んで2位、3位あたりを争うと言われている。市域人口は2005年現在441,200人で4年前(392,819人)と比べて10%ほど回復しており、中でも市中心部を中心としてインド人や中国人、黒人の増加が目立っている。非白人の全住民に占める割合は20%近くに達し、ロンドンやバーミンガム、リーズなどと並んで多民族都市の色彩が濃い。
[編集] 経済・生活水準
Index of Multiple Deprivation 2004 によれば、マンチェスター市の1世帯当たり平均年収は16,500ポンド(約358万円)で英国平均21,300ポンド(約462万円)より2割あまり少ない。なお都市圏(グレーター・マンチェスター)全体では19,400ポンド(約421万円)となり、市単体よりもやや多くなる。生活保護を受けている世帯は割合にして英国平均の約2倍に上り、全体には中・低所得者が多い。→ [1]
[編集] 交通
[編集] 文化
[編集] 芸術
マンチェスターにはマンチェスター市立美術館をはじめとして多くの美術館・ギャラリーがある。また、帝国戦争博物館やマンチェスター・ユダヤ博物館もある。
[編集] スポーツ
プロスポーツもマンチェスターの名を高めている。マンチェスター・シティとマンチェスター・ユナイテッドという二大サッカークラブ、およびランカシャー・カウンティー・クリケットクラブなどが有名で、2002年のコモンウェルスゲームズの開催都市となった。主にMENアリーナやマンチェスター水泳センターなどがある。
[編集] 映画
マンチェスターが舞台となっている映画がいくつかある。
- ベルベット・ゴールドマイン (1995)
- 28日後... (2002)
- ミリオンズ (2005)
[編集] 音楽
マンチェスターは著名なミュージシャン・バンドを多く輩出している。英国を代表するロックバンドのザ・スミスやザ・ストーン・ローゼズ、オアシスが結成した地である。特に80年代後半にはファクトリー・レコードを中心にマッドチェスターというジャンルを生み出している。
- ザ・ホリーズ
- ハーマンズ・ハーミッツ
- 10cc
- バズコックス
- ジョイ・ディヴィジョン→ニュー・オーダー
- ザ・スミス
- エレクトロニック ニュー・オーダーのバーナード・サムナーとザ・スミスのジョニー・マーによるプロジェクト。
- ジェイムス
- ストーン・ローゼズ
- ハッピーマンデーズ
- インスパイラル・カーペッツ
- 上記3つのバンドはマンチェスター3大バンドと呼ばれる。
- オアシス
- 808ステイト 他
- モリッシー 元ザ・スミス
- ジョニー・マー 元ザ・スミス
- イアン・ブラウン 元ストーン・ローゼズ
- ジョン・スクワイア 元ストーン・ローゼズ
- テイク・ザット