クアラルンプール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クアラルンプール(ラテン文字:Kuala Lumpur、ジャウィ:كوالا لمبور)はマレーシアの首都で、国内最大都市。マレー半島南部の丘陵地帯にある。一般的にKLと略して称される。
目次 |
[編集] 概要
クアラルンプールはマレー語で「泥が合流する場所」という意味があり、市中心部にある代表的なモスク「ジャメ・モスク」(Masjid Jamek)の付近で、ゴンバック川とクラン川が合流していることが元になっている。正式には「連邦領クアラルンプール」(Wilayah Persekutuan Kuala Lumpur)と称し、中国語では「吉隆坡」と記される。なお、現在首都機能を市郊外南方の新行政都市プトラジャヤ(Putrajaya)へ移しており、2010年には移転が完了する予定である。
多民族が平和的に共存するマレーシアの首都らしく、多彩な文化が混ざり合ったことがかもし出す賑やかな雰囲気が特徴である。近年は高速道路や市内鉄道、モノレールなどのインフラ開発が進み、豊かな緑の中に高層ビルが立ち並ぶ東南アジア有数の近代都市となった。また、東南アジアの大都市には珍しく、市街地が清潔で治安がいいことも特徴である。
[編集] 歴史
- 19世紀半ば 錫の採掘拠点として開発。
- 1874年 イギリスの政治介入をスルタンに了承させた、パンコール条約を締結。
- 1896年 イギリスによって統合された、マレー連邦州の首都とする。
- 1942年 前年の第二次世界大戦(太平洋戦争/大東亜戦争)の勃発により、イギリス軍が日本軍によって制圧され(クアラルンプールの戦い)日本の統治下に入る。
- 1945年 終戦により、再びイギリス統治になる。
- 1957年 8月31日にマラヤ連邦が独立し、首都となる。
- 1974年 マレーシアの直轄地域となり、スランゴール州から分離。
- 1998年 スランゴール州南部のスパンに新国際空港(KLIA)が開港。
- 1998年 英連邦競技大会(コモンウェルスゲームズ)の開催都市(アジア・アフリカで初の開催)となる。
- 1999年 首相官邸が新行政都市プトラジャヤに移転。
[編集] 地理
[編集] マルチメディア・スーパーコリドー
マハティール・ビン・モハマド前首相の指導の下でクアラルンプール南部周辺に建設された、最新のITインフラが整備された総合開発地域が、「マルチメディア・スーパーコリドー」である。その中核となるのは、「サイバージャヤ」と呼ばれるハイテク工業団地と、新行政都市「プトラジャヤ」、クアラルンプール国際空港等で、F1・マレーシアGPが行われるスパン(Sepang)サーキットもこの地域内にある。
[編集] 見どころ
- ペトロナスツインタワー
- スリアKLCC
- ブキッ・ビンタン
- ブルジャヤ・タイムズ・スクエア
- チャイナタウン
- セントラル・ マーケット
- クアラ・ルンプール・タワー
- ムルデカ広場
- マスジット・ジャメ
- スパン・サーキット
- プトラジャヤ
- サイバージャヤ
[編集] 交通
[編集] 市内
市内は市内電車(LRT)やモノレールなどで縦横に結ばれており、英語とマレー語の表記があるため外国人でも気軽に利用できる。また、バスの路線網やタクシーを使って安価な移動が可能である。
[編集] 市外
他の都市とは、近郊電車やマレー半島を縦断するマレー鉄道を使った長距離列車、クアラルンプール国際空港を使った航空便、高速道路を使ったアクセスが可能である。特に近年はエアアジアなどの格安航空会社が相次いで就航したことで、日本では考えられないほどの安価な価格で飛行機を使用できる。
[編集] 日本との交通
日本からはマレーシア航空と日本航空が東京(成田)、大阪(関西)、名古屋(中部)から直行便で乗り入れている他、香港やバンコク、シンガポール経由で行くこともできる。なお、クアラルンプール国際空港と市内を結ぶエアポートエクスプレスの駅構内には日本語の案内看板が出ているため便利である。
[編集] 宿泊
世界各国のホテルチェーンの高級ホテルが市内中心地とクアラルンプール空港周辺に点在する。なお、観光客とビジネス客誘致のために宿泊料金はアジアの主要都市の中でもかなり格安に抑えられている。
[編集] 主なホテル
- シャングリ・ラ・クアラルンプール
- マンダリン・オリエンタル・クアラルンプール
- メリディアン・クアラルンプール
- ヒルトン・クアラルンプール
- ニッコー・クアラルンプール
- リッツカールトン・クアラルンプール
- パン・パシフィック・クアラルンプール・インターナショナルエアポート
- J.W.マリオット
- ザ・リージェント