桂ざこば
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桂 ざこば(かつら ざこば)は、上方落語の名跡。当代は2代目。
「ざこば」の名は、1931年(昭和6年)まで大阪市西区靱(現在の靱公園の位置)に存在した鮮魚卸売市場「雑喉場(ざこば)」に由来する。2代目は襲名に際して、後身の大阪市中央卸売市場に挨拶に行っている。
[編集] 初代
初代 桂ざこば(1866年 - 1938年9月19日)は、本名: 小倉 幸次郎(おぐら こうじろう)。
初め3代目笑福亭松鶴門下で光蝶を名乗るが、すぐに圓馬もしくは園馬を名乗り、旅興行に出る。その後、三遊亭柳生門下で柳吉を名乗る。次に桂三之助(2代目桂文三門人)門下で洗湯亭さん助となり、1897年頃、3代目桂文三門下で初代三輔を名乗るが、1912年に突然落語を廃業し、大阪を離れて古物商を営む。しかし事業に失敗して帰阪するも、既に弟子の助六が2代目三輔を襲名していたため、1920年、初代ざこばを名乗る。1931年頃に引退。
三輔時代は、正統的な桂派の中で異色の爆笑派として知られ、仲間内の信望も厚かった。ざこば襲名の後は、新作を手がけ、英語を噺に取り入れたり、あるいは立ったまま落語を演じたりと、常に新しい試みを続けた。寄席通いに電気自動車を使ったりと、時代を先取りする感覚にも勝れていたが、玄人筋からは批判されたのと、過剰に英語を取り入れすぎて客が理解できなくなり往時の人気は取り戻せなかった。得意ネタは『宿替え』『大和橋』『三十石』『口入れ屋』など。
引退後は日蓮宗への信仰を深め、近所の妙見堂参拝を日課とする生活を送っていたというが、自殺を遂げた。享年72。
墓は谷町九丁目の海宝寺。法名: 華辨院超凡日行信士。
[編集] 出典
- 『落語系圖』(月亭春松編) - p216 に初代ざこばの写真肖像および経歴あり。
- 『古今東西落語家事典』(平凡社、1989年)