桂川 (淀川水系)
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![]() トロッコ列車から見た保津川下り |
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水系 | 淀川水系 | |||
延長 | 107 km | |||
水源の標高 | - m | |||
平均流量 | - m³/s | |||
流域面積 | 1159 km² | |||
水源 | 佐々里峠 | |||
河口 | 淀川(京都府) | |||
流域 | 京都府 |
桂川(かつらがわ)は京都府を流れる淀川水系の一級河川。流路延長107km。
目次 |
[編集] 地理
京都市左京区広河原と南丹市美山町(旧北桑田郡美山町)佐々里の境に位置する佐々里峠に発する。京都市左京区広河原、京都市左京区花脊を南進するが、花脊大布施町で流れを西へと大きく変える。京都市右京区京北(旧北桑田郡京北町)を東西に横断し、南丹市日吉町(旧船井郡日吉町)の世木ダム、日吉ダムを経由、以降は亀岡盆地へと南流する。亀岡市の中央部を縦断し、保津峡を南東に流れ、嵐山で京都盆地に出て南流、伏見区で鴨川を併せ、大阪府との境で木津川、宇治川と合流し淀川となる。
[編集] 表記
河川法上の表記は起点以降全て桂川であるが、京都市右京区京北の流域にかけては上桂川(かみかつらがわ)、南丹市園部町に入ると桂川、亀岡市に入ると大堰川(おおいがわ)、亀岡市から嵐山あたりまでは保津川(ほづがわ)などと名を変え、嵐山から合流地点は再び桂川と称される。
[編集] 流域の自治体
上流から京都市左京区→右京区→南丹市→亀岡市→右京区→西京区→南区→伏見区→乙訓郡大山崎町
[編集] 名所
- 保津川下り
[編集] 歴史
京都盆地流入以南の桂川は、古くは葛野川と呼ばれていた。川の西に桂の里が有ることから嵯峨より南を桂川と呼ぶようになったと「雍州府志」にある。江戸時代頃には、嵐山では大井川、嵐山より南では桂川と呼んでいたようだ。
亀岡など丹波地方では、古くより保津川と呼ばれていた。これは丹波国一宮である出雲大神宮で祀られる三穂津姫命の名前に由来するという説が有る。
古代、嵐山周辺の桂川の流れは現代とはやや異なるものだったと考えられている。そのこともあり洪水に苦しめられたようだ。嵯峨や松尾などの桂川流域を支配していた秦氏が、6世紀頃に桂川に堰堤を築いたとされる(葛野大堰)。とくに下嵯峨から松尾にかけて桂川東岸に築かれた堤は罧原堤と呼ばれる。「秦氏本系帳」によると、これら堰堤完成の際に、それまでの葛野川から大堰川と呼ばれるようになったとある。また、車折神社によると、洪水のたびに被害が出たため清原氏が復旧にあたっていたともある。
平安京造営の時、現在の右京区京北町の木材を京都に運搬するなど、桂川の流れは丹波と山城、摂津の木材輸送によく用いられた。17世紀にはいると嵐山の豪商であり政商の角倉了以が桂川を開削し、現在の丹波町与木村から下流の淀や大坂まで通じることになったため、船運が発達した。園部、保津、山本、嵐山、梅津、桂津などは湊町として栄えた
[編集] 主な支流
[編集] 上桂川流域
- 弓削川
[編集] 大堰川流域
- 田原川
- 園部川
[編集] 保津川流域
- 水尾川
- 清滝川
[編集] 桂川以降
[編集] 橋梁
数字は渡月橋からの距離(km)
- 0.0 渡月橋 (京都府京都市右京区)
- 1.8 松尾橋 (京都府京都市右京区)
- 3.6 上野橋 (京都府京都市右京区)
- 4.5 西大橋 (京都府京都市西京区)
- 6.4 桂大橋 (京都府京都市西京区)
- 8.8 久世橋 (京都府京都市南区)
- 9.6 第二久世橋※ (京都府京都市南区)
- 11.8 久我橋 (京都市京都市伏見区)
- 14.1 羽束師橋 (京都市京都市伏見区)
- 17.1 宮前橋 (京都市京都市伏見区)
※2007年度開通予定。橋名は仮称。