橋本明
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橋本 明(はしもと あきら 1933年(昭和8年)5月24日 - )は日本のジャーナリスト。評論家。
学習院初等科入学当時から今上天皇のご学友として交遊を深め現在も親しい関係にある。
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[編集] 経歴
- 1933年5月:神奈川県横浜に検事・橋本乾三 千代の次男として生まれる。
- 1940年4月:学習院初等科に入学。以後大学まで学習院で学ぶ。
- 1956年:学習院大学政経学部政治学科卒業 4月:共同通信社に入社。1961年から1963年までチトー大統領の招待でユーゴスラビアに留学、ベオグラード新聞研究所第一回卒業生となる。
- 共同通信社会部次長、外信部次長、ジュネーブ支局長、ロサンゼルス支局長、国際局次長。
- 共同通信社役員待遇、ジャパンビジネス広報センター総支配人、共同通信社特別顧問、共同通信社国際スポーツ報道顧問、日本パブリックリレーションズ協会理事および長野オリンピック組織委員会メディア責任者、国際オリンピック委員会報道委員会委員、学習院桜友会機関誌編集長等歴任。
- いくつかの会社の顧問などを務めながらフリージャーナリストとして著書出版・講演活動を行う。
[編集] 人物像
- 戦争中は日光、岡山等に疎開した。岡山では吉備郡秦村字秦下(現・総社市)の親類宅から秦村国民学校に通った。兄と2人しばしば深夜に部屋をしのび出て畑に匍匐前進し熟れた西瓜を盗み取ったという。
- 今上天皇や皇族とごく親しい関係にあるため、その人柄を知る人物としてテレビ番組・ワイドショーなどにたびたび出演している。また『文藝春秋』・『諸君!』等の雑誌に皇室関連の論考を発表。近年の皇室典範改正問題については女系天皇容認の立場で論陣を張っている。
- 学習院高等科在学中、同級生だった当時皇太子の継宮明仁親王から銀座に行きたいと相談され、「今宵、殿下を目白の方にご案内したい。」と皇太子側近を騙し、同級生の千家崇彦と3人で銀座に繰り出し大騒ぎとなる。(いわゆる「銀ブラ事件」)。
[編集] 著書
[編集] 訳書
『オリンピック革命 サマランチの挑戦』 (ベースボール・マガジン社・1992年) デヴィッド・ミラー著
[編集] 家族 親族
- 祖父 橋本卯太郎(実業家)
- 祖母 真都(熊本県 軍人石光真清、陸軍中将石光真臣妹)
- 父 乾三(官僚・検事)
- 母 千代(大分県、軍人・陸軍中将三好一長女)
- 兄 實
- 弟 宏(官僚・外務報道官、シンガポール大使)
- 叔父 龍伍(官僚、政治家)
- 従弟 龍太郎(政治家・首相)、大二郎(政治家・高知県知事)
- 一男一女あり
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 日本のジャーナリスト | 神奈川県出身の人物 | 1933年生