津田真道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
津田 真道(つだ まみち、1829年7月25日(文政12年6月25日) - 1903年(明治36年)9月3日)は明治時代の官僚、啓蒙学者。福沢諭吉、森有礼、西周、中村正直、加藤弘之、西村茂樹らと明六社を結成。名を真一郎ともいう。岡山県出身。
[編集] 来歴
1850年に江戸に出て箕作阮甫と伊東玄朴に蘭学を、佐久間象山に兵学を学ぶ。藩籍を脱して苦学したが、1857年蕃書調所に雇用されて、1862年には西周とオランダに留学しライデン大学のフィセリングに学び、4年後に帰国する。その講義録を1866年に『泰西国法論』と題して訳出する。これは日本初の西洋法学の紹介となる。
その後、幕府の目付役になり、大政奉還に際しては徳川家中心の憲法案を構想した。明治維新後は新政府の司法省に出仕して〈新律綱領〉の編纂に参画。1869年人身売買禁止を建議。1871年外務権大丞となり日清修好条規提携に全権・伊達宗城の副使として中国へ行く。のち陸軍省で陸軍刑法を作成。さらに裁判官、元老院議官。1890年には、第1回衆議院議員総選挙に大成会から出馬し、当選。1896年に勅選貴族院議員となる。男爵、法学博士。
[編集] 関連事項
カテゴリ: 人物関連のスタブ項目 | 日本のフリーメイソン | 1829年生 | 1903年没 | 裁判官 | 岡山県出身の人物