浅野清治
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浅野 清治(あさの せいじ、1850年頃 - 1918年1月)は元・福島県睦合村の村長。
[編集] 経歴
- 1850年頃、福島藩から刈谷藩領に移管された成田村に出生。父は栄吉。
- 1866年 菅野八郎が呼びかけた信達農民大騒擾に参加。
- 1875年、安場保和福島県令の下で竣工された橋(現在の十綱橋)の建設に父と共に献金。
- 1885-86年、明治新政府下で民間会社である日本鉄道によって推進された東北本線の郡山-仙台間の敷設の際には、成田村世話役として土地接収斡旋等に活躍する。87年に東北本線は塩釜まで開通。また、米沢藩から国有地に移管された入会地の睦合村への払い下げには、元米沢藩主上杉茂憲の協力を仰ぎつつ村会議員等として活躍、その入会地から半世紀後に伐採された木材で睦合小学校の校舎は建てられた。
- 長男清左衛門、次男清六。次男清六は、短期ハワイ移民として成功する。
- 先妻は雷に打たれて死亡、後妻は会津藩士の娘、ゆう(旧姓今田)。
- 1918年、睦合村村長在任中に死去。辞世の句「永き世の深き恵みに長らえて…」は戒名の代わりとされた。菩提寺は、桑折町慈雲寺。
[編集] 関連項目
カテゴリ: 福島県の政治家 | 福島県の歴史 | 都道府県知事・市町村長 | 1918年没