福島藩
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越後国に存在した福嶋藩(高田藩の前身)(現在の新潟県上越市)については、高田藩を参照のこと。
福島藩(ふくしまはん)は、現在の福島県にあった藩である。居城は福島城(福島市)。藩主は本多氏,堀田氏,板倉氏の三名で、いずれも譜代大名であった。
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[編集] 沿革
福島城はかつて「杉目城」と呼ばれて、戦国大名である伊達晴宗が息子・輝宗との家督争いに敗れてこの城で隠居生活を送って以来、伊達氏の支城として機能していたが、葛西・大崎一揆後に伊達政宗が旧葛西・大崎領に転封となり、皮肉にもこの一揆の責任を問われて所領を没収された旧葛西・大崎領領主の木村吉清が福島の新領主となった蒲生氏郷の城代としてこの地に入った。吉清は新しく福島城と城下町を建設した。その後、吉清は再び大名に取り立てられたものの程なく死去、蒲生氏も転封となり、代わりに入った上杉景勝によって水原親憲・本庄繁長が城代に任じられた。その上杉氏も関が原の戦いに敗れて減封となり、福島城を没収された。
[編集] 居城
福島城 福島県福島市杉妻町福島県庁内
[編集] 領地
表高 15万石(本多氏)→10万石(堀田氏)→3万石(板倉氏)
封地(板倉氏の時代) 陸奥国信夫郡(福島県福島市),伊達郡,上総山辺郡(千葉県東金市),三河国幡豆郡
[編集] 歴代藩主
(出羽山形藩へ)
板倉氏(信濃坂木藩より)
- 初代 板倉甲斐守重寛 (1702年~1717年)
- 二代 板倉出雲守重泰 (1717年~1718年)
- 三代 板倉甲斐守勝里 (1718年~1743年)
- 四代 板倉内膳正勝承 (1743年~1765年)
- 五代 板倉富之助勝任 (1765年~1766年)
- 六代 板倉備中守勝行 (1766年~1773年)
- 七代 板倉河内守勝矩 (1773年~1775年)
- 八代 板倉内膳正勝長 (1776年~1815年)
- 九代 板倉甲斐守勝俊 (1815年~1834年)
- 十代 板倉内膳正勝顕 (1834年~1866年)
- 十一代 板倉甲斐守勝己 (1866年~1868年)
- 十二代 板倉内膳正勝達 (1868年~)
[編集] 支藩
各家とも福島藩主時代には支藩の創設は無し。
本多氏には、大和郡山藩主時代に分封した播磨山崎藩、陸奥岩瀬藩が存在した。
このうち、福島県須賀川市に陣屋を置いた岩瀬藩主の本多出雲守政利は、天和2年(1682年)まで播磨明石藩主であったが不行跡により岩瀬に減転封された。その後、行跡を改めず乱行を続けたとして、元禄6年(1693年)に改易となった。