清水建設
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種類 | 株式会社 |
市場情報 | |
本社所在地 | 東京都港区芝浦一丁目2番3号シーバンスS館 |
設立 | 1937年(昭和12年)8月25日 |
業種 | 建設 |
事業内容 | 建築・土木 |
売上高 | 単独: 1兆2,443億円(2005年3月期) 連結: 1兆4,843億円(2005年3月期) |
関係する人物 | 野村哲也 |
外部リンク | www.shimz.co.jp/ |
清水建設株式会社(しみずけんせつ)は、1804年(文化元年)に創業した東京都に本社がある、みずほ銀行(旧第一勧業銀行)系の大手総合建設会社(ゼネコン)。大林組、竹中工務店、鹿島建設、大成建設とともにスーパーゼネコン5社の一つ。
目次 |
[編集] 沿革
- 1804年(文化1年) 初代清水喜助が江戸の神田で創業(喜助は現在の富山出身で、大工となり、日光東照宮の修理に参加した後、江戸に出る)
- 1838年(天保9年) 江戸城西の丸焼失後の再建工事に参加
- 1858年(安政5年) 井伊直弼より、開港地・横浜の外国奉行所などの建設を請け負う
- 1859年(安政6年) 初代喜助死去。養子の清七が2代清水喜助となる
- 1868年(明治1年) 幕府の依頼で建設を始めた築地ホテル(外国人旅館)が完成
- 1872年(明治5年) 三井組ハウスが完成
- 1881年(明治14年) 2代喜助死去、養子の清水満之助が跡を継ぐ
- 1887年(明治20年) 満之助死去、未亡人や支配人が経営を引き継ぐ
- 1892年(明治25年) 澁澤榮一の仲介で法律学者、穂積陳重の案により家法を定める
- 1915年(大正4年) 合資会社清水組となる
- 1925年(大正14年) 鶴見騒擾事件起こる。(清水と間組の下請けの喧嘩)
- 大正から昭和にかけて大建築を多く手掛け、建設業のトップの地位を築く
- 1937年(昭和12年)8月25日 あらたに株式会社清水組を設立、合資会社清水組を合併する。
- 1948年(昭和23年) 清水建設株式会社に商号変更。
[編集] 概要
- 代表取締役社長 野村哲也
- 本社所在地 東京都港区芝浦一丁目2番3号シーバンスS館
- 資本金 743億6,500万円
- 売上高 1兆4,843億円(平成16年度・連結)
- 従業員数 11,515人(2005年(平成17年)4月1日現在)
- グループ企業:日本道路、第一設備工業ほか
[編集] 経営理念
- 地球社会への貢献 Socio-dynamism
- 人間尊重 Humanity
- 革新志向 Innovation
- 顧客第一 Market-in
- 情熱 Zeal
[編集] 施工物件
歴史的にも数多くの名建築を手掛けている。例えば国立屋内総合競技場(主体育館:1964年 設計・丹下健三)など枚挙に暇がない。
詳しくは清水建設の歴史を参照のこと。
以下はほんの一例である。
- 東京競馬場スタンド(東京都府中市)
- 大阪国際空港ターミナルビル(大阪府豊中市)
- 横浜スタジアム(神奈川県横浜市)
- サンシャイン60(東京都豊島区)
- 警視庁本部庁舎(東京都千代田区)
- みずほ銀行本店ビル(旧第一勧業銀行本店)本店(東京都千代田区)
- 服部時計店(現:銀座和光)本店(東京都中央区銀座)