牧田與一郎
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牧田 與一郎(まきた よいちろう 1903年1月15日 - 1971年12月7日)は静岡県出身の実業家。三菱重工業社長として三菱グループを指導し、三菱自動車工業を設立。牧田天皇と呼ばれた。
静岡県に代々続く材木商の家に生まれる。第四高等学校を経て、1925年、東京帝国大学経済学部を卒業。同年、三菱商事に入社するも、反抗的な性格ゆえに上司と喧嘩を繰り返し、1935年以降、ドイツ・イギリス・フランス・イラン・イラクに左遷される。左遷先でも支店長を投げ飛ばすほどの暴れん坊ぶりだった。
帰国後、1938年に三菱重工業へ移ってから頭角をあらわし、1945年、第十一製作所総務部長となる。名古屋機器製作所営業部長、同副所長を経て、1950年に機器部長。1953年、機械部長に就任。1956年、経済同友会幹事となる。1964年、三菱重工業専務。
1966年から1967年にかけて、四男牧田吉明(当時成蹊大学在学中)が新左翼の過激派活動に関わったために教授会から呼び出しを受けたが、これに対して與一郎は「息子の喧嘩に親が出られるか!」と一切の介入を拒んだ。
1969年から三菱重工業社長。吉明が背叛社火薬暴発事件(1968年10月6日)に関わって逐電していた時期には、父親としての責任を取るために社長辞任を真剣に考えた。
1970年、米国クライスラー社との提携によって自動車部門を強化独立させ、三菱自動車工業を設立。社長在任中に病死。
[編集] 関連書籍
- 清水一行『燃え盡きる〈小説・牧田與一郎〉』(1972年、徳間書店。1995年、集英社文庫)- 伝記小説
- 岩崎峰子『祇園の課外授業』(2004年、集英社)pp.49-55 - 與一郎と親しかった元芸妓の回想録