生存圏
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生存圏(せいぞんけん,ドイツ語でLebensraum、生活圏とも訳される)は地政学の用語であり、国家が自給自足を行うために必要な、政治的支配が及ぶ領土を指す。
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[編集] 概要
生存圏とは国家にとって生存(自給自足)のために必要な地域とされており、その範囲は国境によって区分されると考えられている。ただし国家の人口など国力が充足してくれば、より多くの資源を必要となり、生存圏は拡張すると考え、またその拡張を国家の権利であるとされている。また生存圏の外側により高度な国家の発展に必要な、経済的支配(必ずしも政治的支配が必要ではない)を及ばせるべきとされる領土を「総合地域」と理論上設定している。近年経済の国際化が進んでおり、自給自足の概念は重視されなくなったため、生存圏理論を国家戦略に反映させることはなくなっている。
[編集] 第二次世界大戦における生存圏
ナチス・ドイツにおける対東欧への膨張政策の理論的裏づけとして影響したと考えられている。
[編集] ドイツ
元々は第一次世界大戦前から新興国家であったドイツ国は英米に対抗して東欧に政治的、経済的な影響力を行使するべきであるという膨張主義がなされていた。この膨張主義の影響を受けたアドルフ・ヒトラーは著書『我が闘争』において、ドイツ人のlebensraum(生活圏域、具体的には土地と資源)を東欧に見出しうるのであり、そこに居住しているロシア人をはじめとしたスラブ系諸民族を排除(抹殺も含めて)し、新たにドイツ人の領土とするべきであると主張した。このヒトラーの主張に基づき、ナチス・ドイツはオーストリア、チェコスロバキア、ポーランドをはじめウクライナ、ベラルーシ、ロシアなど東方における侵略を政治的、軍事的に推進した。
[編集] 日本
同時期に日本で満州侵略の際に唱えられた満蒙は日本の生命線というスローガンや、大東亜共栄圏構想はナチスの生存圏論の影響を受けており、中国語版Wikipediaにおいては日本の軍国主義とナチスの生存圏構想について同様の見解を示している。ただし日本で唱えられたスローガンは(少なくとも建前上は)五族協和論やアジア主義を思想的基礎としており、これらは石原莞爾の『世界最終戦論』に拠るところが大きい。したがって民族浄化を指向したナチスの政策とは思想的方向性が異なる。
[編集] ソ連
ドイツや日本のように生存権の理論においては各国のイデオロギーが反映しており、主観的である。 概念を抽象化すれば、ドイツや日本のみならずスターリン時代のソ連も生存権の確保に努力した国家と言える。スターリンはドイツと協力し、ポーランド、バルト3国、フィンランドに侵攻している。
ヤルタ会談においてもチャーチルとの間に東欧をソ連の勢力圏に置く約束を交わしている。
これらは、ソ連の安全保障戦略の一環として、自国の周辺を衛星国で固めることを手段として自国の生存権を確保しようとしている点が上記の二つとは細部が異なる。
[編集] 第2次世界大戦後の生存権
第2次世界大戦後にはナチスの膨張主義に理論的支柱を与えた「生存権」という概念は「排他的」であり「各国各民族協栄」の概念から離れるものだとして捨てられた。
ヨーロッパ連合の拡大の過程を「生存権の確保」と表現されたときがあったが、それに関してドイツは不快感を示している。
[編集] 関連項目
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