内閣総理大臣補佐官
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内閣総理大臣補佐官(ないかくそうりだいじんほさかん)は、1996年から内閣法に規定された内閣官房の官職の一つ。内閣の重要政策に関して内閣総理大臣に進言し、またその命を受けて内閣総理大臣に意見を具申することを職務とする。内閣総理大臣直属の非常設の国家公務員(特別職)であり、内閣総理大臣の申出により内閣において任免される。略称は首相補佐官(しゅしょうほさかん)。
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[編集] 概要
組織の面では法律上内閣官房に属するが、指揮系統としては内閣総理大臣の直属であり、事実上内閣官房長官の管理から独立して職務を遂行することができる。定数は2001年以降最大5人となっているが設置は義務ではなく、全く置かないことも許される。任命に際しては、担当事項の内容・当人の事情等を勘案して常勤・非常勤の別が指定される。常勤と非常勤の主な違いは、勤務形態・報酬のほか、兼職する場合(就任前からの職業を続けたい場合も含む。)に常勤の内閣総理大臣補佐官のみ内閣総理大臣の事前許可を要するとされていることである。
設置(任命)される事例としては次のようなものが挙げられる。
- いわゆる「官邸主導の政治」を推進するため、総理の方針・考えに親しい人物を直属の部下として登用する場合(米国の大統領補佐官に倣ったもの)
- 重大な外交問題あるいは機構制度の大改革のような国内外からの反撥・抵抗等が想定される困難な職務に関し、特定省庁でなく総理直属の人物を省庁横断的な調整役の高官として登用する場合
- 特命担当大臣等を置くまでに至らない準重要事項を国会議員等に担当させる場合
- 高度に専門的な分野の業務を政府として遂行しなければならない事態が生じ、民間の学識経験者等を政府高官として登用する必要が生じた場合
- 閣僚就任を固辞した民間人等に「政府の一員」としての職務遂行を依頼する場合
- 内閣総理大臣の相談役(顧問)的な人物を非常勤で登用する場合
なお、内閣法を改正し、内閣総理大臣補佐官の権限を強化しようという議論があるが、これに対しては「中央省庁軽視ではないか」との批判がある[要出典]。
[編集] 沿革
[編集] 法制化前
- 1993年(平成5年)8月11日 - 細川内閣において、首相の私的な相談・補佐役(設置についての法律・政令上の根拠なし)として内閣総理大臣特別補佐(首相特別補佐)が設けられ、田中秀征(さきがけ・衆)が起用される(翌年1月31日辞任)。総理大臣官邸に専用の執務室を持つ(事実上の常駐)体制をとっていた。
- 1994年(平成6年)10月14日 - 村山内閣において、首相の私的な相談・補佐役(設置についての法律・政令上の根拠なし)として内閣総理大臣補佐(首相補佐)が設けられ、中川秀直(自民・衆)・早川勝(社会・衆)・錦織淳(さきがけ・衆)の3人が起用される。細川内閣時代の特別補佐と異なり官邸への常駐形態はとらなかった。
- 1995年(平成7年)9月26日 - 中川秀直が退任し戸井田三郎(自民・衆)が首相補佐となる。
- 1996年(平成8年)1月11日 - 第1次橋本内閣の発足に伴い、戸井田・早川・錦織が首相補佐を退任。
[編集] 法制化後
- 1996年(平成8年)6月26日 - 内閣法の一部改正により内閣総理大臣補佐官(定数は最大3人)として法制化され、内閣官房に設置される。
- 2001年(平成13年)1月6日 - 内閣法の一部改正により、定数が最大5人となる。
- 2001年(平成13年)9月3日 - この日以降に任命されるすべての補佐官について、内閣総理大臣からの辞令の内容(担当業務)が官報に掲載されるようになる。
[編集] 事実上の首相補佐官
第1次橋本内閣において、沖縄の米軍基地・楚辺通信所一部用地の強制使用手続に関する大田昌秀沖縄県知事の代理署名拒否問題解決のため、1996年8月から9月にかけて、沖縄問題に詳しく人脈を持つ下河辺淳(国土庁国土審議会会長、元国土事務次官)をいわゆる密使として沖縄に派遣するなど交渉・処理に当たらせたが、この際いわゆる「政府筋」から下河辺を「事実上の補佐官」と評する発言があり、その旨の新聞報道もなされた。この時点では既に補佐官は法制化されていたが、下河辺がこれに任じられることはなかった。この件の約2か月後に初代の内閣総理大臣補佐官2人が任命され、うち1人は沖縄担当とされたことから、当時の報道では下河辺がテストケースであったと評価するものもあった。
[編集] 歴代内閣総理大臣補佐官の一覧(法制化以後)
- 現に在任中の者は黄色地で表示する。
- 辞令のある再任は個別に記載する。
- 発令日の古い順(同日の場合は官報掲載順)に記載する。ただし、同一人物についてはとりまとめて記載。
- 辞令内容(担当事項)の官報掲載は小泉内閣からであり、それ以前(中曽根補佐官まで)の担当事項は新聞報道等を参考に記載したため、必ずしも正確なものではない。
氏名 | 形態 | 在任期間 | 担当事項 |
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水野清 | 常勤 | 1996年11月12日-1998年7月30日 | 行政改革担当 ※総理府行政改革会議事務局長兼任(1996年11月21日-1998年6月30日) |
岡本行夫 | 非常勤 | 1996年11月12日-1998年3月10日 | 沖縄担当 |
2003年4月15日-2003年11月19日 | イラクに係る諸課題に対応するための施策担当 | ||
2003年11月19日-2004年3月31日 | |||
町村信孝 | 非常勤 | 2000年3月1日-2000年4月5日 | 教育改革担当 ※衆議院議員 |
2000年4月5日-2000年7月4日 | |||
中曽根弘文 | 非常勤 | 2000年7月18日-2001年4月26日 | 教育改革担当 ※参議院議員 |
牧野徹 | 常勤 | 2001年9月3日-2003年11月19日 | 都市再生本部が中心となって推進する都市再生に係る諸施策等担当 |
2003年11月19日-2005年9月21日 | |||
2005年9月21日-2006年9月26日 | |||
熊代昭彦 | 常勤 | 2002年1月22日-2002年10月2日 | 行政改革を推進するための施策担当 ※内閣府副大臣兼任 ※衆議院議員 |
根本匠 | 常勤 | 2002年10月2日-2003年9月25日 | 行政改革の推進及び食品安全委員会(仮称)等に係る施策担当 ※内閣府副大臣兼任 ※衆議院議員 ※食品安全委員会(仮称)に係る施策担当部分は2003年7月1日解除 |
2006年9月26日- | 経済財政担当 ※衆議院議員 |
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佐藤剛男 | 常勤 | 2003年9月25日-2003年11月19日 | 行政改革の推進等に係る施策担当 ※内閣府副大臣兼任 ※衆議院議員(衆議院解散期間を除く) |
2003年11月20日-2004年9月29日 | |||
渡辺好明 | 常勤 | 2004年4月26日-2005年9月21日 | 郵政民営化を推進するための施策担当 ※内閣官房郵政民営化準備室長兼任(2004年5月1日-2005年11月9日) ※内閣官房郵政民営化推進室長兼任(2005年11月10日-2006年9月26日) |
2005年9月21日-2006年9月26日 | |||
山崎拓 | 非常勤 (註) |
2004年9月27日-2005年5月20日 | 内閣総理大臣の特命事項担当 ※衆議院議員(2005年4月26日以降) (註)2005年4月30日付けの本人メールマガジンにて「今後は常勤となった」旨の記述あるも正確な移行日は不明 |
川口順子 | 常勤 | 2004年9月27日-2005年9月21日 | 外交担当 |
小池百合子 | 2006年9月26日- | 国家安全保障問題担当 ※国家安全保障に関する官邸機能強化会議議長代理兼任 ※衆議院議員 |
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中山恭子 | 2006年9月26日- | 北朝鮮による拉致問題担当 ※内閣官房拉致問題対策本部事務局長兼任 |
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小川惠里子 (山谷えり子) |
2006年9月26日- | 教育再生担当 ※内閣官房教育再生会議担当室事務局長兼任 ※参議院議員 |
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世耕弘成 | 2006年9月26日- | 広報担当 ※参議院議員 |
カテゴリ: 出典を必要とする記事 | 日本の政治